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岸田新首相の経済政策に物申す。「本当に賢い分配」とは何か。

中原圭介経営アドバイザー、経済アナリスト
(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

企業の業績が良くても賃金の伸びが鈍かった理由とは

 岸田文雄・新首相が唱える経済政策は、財政拡大や金融緩和を柱とするアベノミクスを踏襲しながら、富の再分配や所得の拡大に重心を置いています。「成長と分配の好循環」「新自由主義からの転換」「令和版所得倍増」など、立憲民主党や共産党の主張かと勘違いしてしまうようなフレーズが並びます。

 そもそも企業の業績が良くなっても賃金の伸びが鈍かったのは、主にふたつの要因があります。

 ひとつは、企業が低コストで人を雇えるように、非正規の雇用を増やし続けてきたということです。小泉政権時代の構造改革から非正規雇用の促進が始まりましたが、今では非正規雇用が労働者全体の4割を占めるまでになりました。正規雇用と非正規雇用では所得で優に2倍以上の開きがあり、格差拡大の温床といっても過言ではありません。

 もうひとつは、株高の維持を優先してきたアベノミクスの成長戦略において、上場企業の株主資本利益率(ROE)向上が国策となったということです(※ROEは「純利益÷株主資本」で算出される企業の収益性を測る指標)。ROEを簡単に高めるには、株主への配分(配当や自社株買い)を増やせばよいので、その一方で労働者への配分(賃金)が抑えられるのは当然の帰結だったのです。

「Go To トラベル」による分配はやめたほうがいい

 そのようなわけで、企業の収益性が上がった割には労働者の賃金は伸びなかったのですが、それゆえに「これからは分配にも注力すべきだ」という岸田氏の主張に反対する国民は少ないでしょう。

 ただし、個人向けの現金給付は、新型コロナによって大きな影響を受けている人々も含めて、非正規社員やひとり親などの子育て世帯、低所得者層に限定したほうがよいと考えます。世論調査などでは「全国一律で給付してほしい」という意見が多いものの、一律で配るのは非常に効果が薄いからです。

 内閣府の統計によれば、家計貯蓄率はコロナ前の2019年に2.1%だったのに対して、一律に10万円給付が行われた2020年4~6月期に21.8%に跳ね上がり、その後も高水準を維持しています。平均的な家計は自粛生活を続けることで貯蓄が増えており、むしろお金が余っているのです。

 そのような実状を考慮すれば、Go ToトラベルやGo Toイートなどの消費刺激策はやめたほうが賢明です。コロナ禍で旅行や飲食を我慢してきた人々は貯蓄が増えているので、政府がGo Toで補助金を出さなくても旅行や飲食に行くようになるからです。おまけに、過去の消費刺激策と同じように、Go Toによる刺激策の効果は持続的な成長に寄与しないのです。

「賃金引き上げありき」では持続的な成長は難しい

 今のところ岸田氏から発せられる経済政策には、日本の成長力(生産性)を底上げするための具体論が乏しいように思われます。過去を振り返ってみると、国政選挙前はバラマキ型の政策が打ち出されやすいため、今回も「規模ありき」の予算から脱却できずに、経済が停滞したまま政府債務だけが膨らみかねないという懸念が高まっています。

 また、先月の自民党総裁選で岸田氏は、賃金を引き上げる企業に対して税制で優遇するという案を述べていました。実は、これはかなりマズイ考え方です。賃金を増やしただけで企業の生産性が上がらないのでは、企業の収益性が落ちるだけだからです。企業が生産性を低下させれば、海外の企業にいっそう水を開けられてしまうでしょう。

 日本のように人口減少が加速していく社会では、企業は国内だけをマーケットにしているわけにはいかない情勢にあります。経済のパイを増やすためにも、海外から稼ぐ企業が増えていかなければならないのです。ですから、「賃金引き上げありき」の政策を推し進めれば、日本企業は世界シェアを落とし、結局は経済の悪化を招いてしまうというわけです。

デジタル化の副作用を乗り越える「本当に賢い分配」とは

 今の日本で何よりも求められるのは、生産性の向上を後押しする政策です。そのためには、企業のデジタル化の促進が欠かせないのは議論の余地がありません。とはいえ、デジタル化には大きな副作用があるということも意識しておきたいところです。。 

 アメリカの先行事例が示すところでは、AI・IT関連など高スキル職と小売業・飲食業など低スキル職の双方が増加したのとは対照的に、製造・事務など中スキル職の雇用が大幅に減少してしまいました。いわゆる中間層の人々の雇用が縮小し、労働市場の二極化が進行してしまったのです。

 日本でも現在進行形で進むデジタル化の波が、将来このような傾向をエスカレートさせるのは自明の流れであり、格差がいっそう拡大していくことが懸念されます。アメリカやヨーロッパの国々と比べて日本は格差が小さいといわれていますが、技術革新によって雇用のあり方が変わる時代では安穏としていられないというわけです。

 だからこそ、企業の生産性を高める構造改革の本丸は、働いている人々のスキル教育(学び直し)を中心に据えた財政支援策(分配)を恒久的に続けるということです。働き手が従来のスキルを上げること、あるいは、新しいスキルを身に付けることが、生産性を上げるには欠かせないからです。

デジタルと共生して豊かな社会をつくる

 不幸中の幸いというか、デジタル技術を駆使することによって、私たちは専門性の高いスキルを習得する時間を劇的に短縮できるようになっています。デジタル技術のイノベーションが目覚ましく起こっているなかでは、ITを通してAIが効率的にスキルを学ぶプロセスを教えてくれます。さらにこれから数年後には、VR(仮想現実)やAR(拡張現実)が本格的にスキルを習得する手助けをしてくれるようになるでしょう。

 その結果として、10年前や20年前であればひとつの専門性を身に付けるのに10年程度かかったものが、デジタル技術の飛躍的な発展によって、私たちはやる気次第で3年もあれば専門家としてひとつのスキルを習得することができるようになります。いくつもの専門性を持つことが当たり前の人生が訪れるというわけです。

 たとえ技術革新が進んだとしても、新しく身に付けたスキルは最低でも10年は廃れることはありません。新しいスキルを活かして働きながら、その他の新しいスキルを習得する機会が与えられる環境があれば、働き手は将来の不安を解消できるうえに、自信を持てるきっかけにもなるはずです。

 たしかに、デジタル化が進む社会では、多くの人々が仕事を奪われるかもしれません。しかし、私たちはデジタル技術を自らのスキル習得に利用することができるので、デジタルやAIを競争相手とするのではなく、良好なパートナーシップを組んで共生することができるのです。

岸田首相に早急に求めたいこと

 そこで早急に岸田政権に求めたいのは、すべての日本人が年齢を問わずスキル教育(学び直し)の機会を与えられ、社会で活躍できるシステムを整備しなければならないということです。現在の仕事と新しいスキルの習得を両立できるような制度を構築することで、ひとりひとりの人材育成や収入の底上げを通じて、多くの人々が満足いく人生を送ることができるからです。

 近年の国の一般会計では、公共事業関係費は6兆円を超えて推移していますが、そのうち1兆円でも2兆円でも恒常的にスキル教育に回すことができれば、若年層や低所得者層だけでなくすべての層のスキルアップに役立つはずです。ですから、本当に賢い分配というのは、すべてのやる気のある人々がスキル教育を受ける機会を財政が全力でサポートし続けるということです。

 このままの現状を放置して深刻な格差社会になるよりは、スキル教育を通した生産性の底上げによって格差の拡大を縮小すると同時に、国民全体の収入も上げていくという前向きな政策のほうが、大多数の国民が賛成してくれるのではないでしょうか。やりがいを持って仕事をすることで、人生が豊かになる人々が徐々に増えていくことを切に願っている次第です。

経営アドバイザー、経済アナリスト

「アセットベストパートナーズ株式会社」の経営アドバイザー・経済アナリスト。「総合科学研究機構」の特任研究員。「ファイナンシャルアカデミー」の特別講師。大手企業・金融機関などへの助言・提案を行う傍ら、執筆・セミナーなどで経営教育・経済金融教育の普及に努めている。経営や経済だけでなく、歴史や哲学、自然科学など、幅広い視点から経済や消費の動向を分析し、予測の正確さには定評がある。ヤフーで『経済の視点から日本の将来を考える』、現代ビジネスで『経済ニュースの正しい読み方』などを好評連載中。著書多数。

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