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世界最高水準のフランス製マスク スタートアップ【R-PUR】に熱視線

鈴木春恵パリ在住ジャーナリスト
高機能マスクR-PURをつけたマチューさん(写真はすべて筆者撮影)

「マスクがないと死んでしまう。急いでくれ」

ロックダウンのパリでそんな電話を受けつつ、毎日ノンストップで12時間から15時間も仕事をしていた、とマチュー・レキュイエさんは回想する。

電話の相手は病院、クリニック、あるいは軍の人たち。

彼らからのSOSに応えるべく、マチューさんの会社は、通常の生産ラインを修正して医療用マスクを作り続けた。

「いつも作っているものより低い水準のものを作るのは、逆のケースよりも簡単です。

とはいえ、大変でした。原料を確保するのが至難の業。1トン5000ユーロで買えたはずの生地が85000ユーロになっていた。とにかく世界中で需要と供給のバランスが崩れたわけですから、それと闘う必要がありました」

そもそも医療用マスクの生産がマチューさんの会社の本業ではない。

だが、ロックダウン中の記事でもご紹介してきたように、フランスのマスク不足は深刻で、しかも国内にマスク工場がほとんどないという事態から、マチューさんとフラヴィアン・エローさんが2016年に始めたスタートアップの高機能マスクブランド『R-PUR(エール・ピュール)』ですら、医療用マスク供給の最前線に立たされることになったのだった。

そんな想定外の緊急事態もようやく収まり、本来の製品のネット販売を再開したのが6月22日のこと。

ところが、予定していた量は開始から1時間20分で完売。去年1年分の売り上げを1時間20分で達成してしまったのだという。

そのマスクがこちら。一つ100ユーロをゆうに超える品物だ。

高機能マスク「R-PUR NANO(エール・ピュール・ナノ)」
高機能マスク「R-PUR NANO(エール・ピュール・ナノ)」

では、このマスクがどのように生まれたのか、マチューさんの経歴からご紹介したい。

【世界中の50のマスクでも不満】

マチュー・レキュイエさんは、1990年フランス・エクサンプロヴァンス生まれ。

航空宇宙関係のエンジニアである父の仕事の都合で、トゥールーズで育ち、教育を受けた。

電子工学、土木工学等を学んだのち、ビジネスの世界に進むべく、上級商業学校で国際マーケティングを専攻した。

Matthieu Lecuyer(マチュー・レキュイエ)さん
Matthieu Lecuyer(マチュー・レキュイエ)さん

その間、交換留学でソウルとロンドンに半年ずつ滞在しているが、のちに『R-PUR(エール・ピュール)』を一緒に立ち上げることになるフラヴィアンさんとは、同じソウル中央大学校の留学生同士ということで知り合った。

学業を終え、パリでオンライン広告のスタートアップの会社で仕事を始めたのだが、それまで一度も大病をしたことのなかったマチューさんが病気になった。呼吸器の不調と極度のアレルギー。大気汚染が原因だった。マチューさんは当時、自転車かバイクでパリ13区の自宅から仕事場のラ・デファンスまで、つまりパリの端から端を東西に往復していたのだが、その間に都会の汚染された空気をしたたかに吸ってしまっていた。

ある時、フラヴィアンさんと飲みながら話していると、彼も同じ問題を抱えていることがわかり、二人で世界中のマスクを試してみることにした。メキシコ、日本、中国、フランス、スペインなど、ありとあらゆる国のものを取り寄せ、試したマスクは50種類以上。だが、空気のフィルター機能、着け心地、見た目など、自分たちの希望を完全に満たしてくれるものには出合えなかった。

それなら、都会の大気汚染に対抗できるマスクを自分たちで作ろうと考え、『R-PUR(エール・ピュール)』が誕生した。

【開発に2年かけた高機能マスク】

まずは敵を知ることから、と、都市の空気中にある超微粒子を調べ、それらが人体にどのような影響を及ぼすのかを研究することから始めた。もちろん彼ら二人だけではなく、フランスのラボラトリーや研究者、専門の医師たちと一緒に仕事をした。その上で、空気をろ過するフィルターの技術開発に着手した。

ところで、新型コロナ以前のフランスでは、日本やアジア諸国のようにマスクは一般化していなかった。あるとすれば、工事現場、医療現場、はたまた、グラファー(落書きをする人)など、特別な環境で仕事をする人が着けるもの。

もっとも世界的に見ても、都市の汚染された空気から“ナノ”の単位で微粒子を選別することができるマスクは存在していなかった、とマチューさんは語る。

彼らが開発製作したマスクのスペックは、サイトで視覚的に理解できるようになっているが、微粒子をろ過するカートリッジ式のフィルター、空気を一度に大量に取り入れ、素早く内側、しかも下方に流す弁、さらに肌を傷める心配がなく、なおかつ伸縮性のある縁取りやベルクロの留め具など、それぞれの箇所で徹底的に性能を追求し、特許をとった集大成。10社にわたるすべての工程がフランスで行われているというところにもこだわりがある。

顔の形状にピッタリとフィットする作りになっているマスク
顔の形状にピッタリとフィットする作りになっているマスク
内側のフィルター部分。現在ヨーロッパのマスクのフィルター機能の最高基準FFP3の値の10倍の効果がある
内側のフィルター部分。現在ヨーロッパのマスクのフィルター機能の最高基準FFP3の値の10倍の効果がある
自転車、バイクの利用者などヘルメットをかぶることを想定し、後頭部とうなじでベルクロで留めて装着する仕組み
自転車、バイクの利用者などヘルメットをかぶることを想定し、後頭部とうなじでベルクロで留めて装着する仕組み
スマホのアプリケーションで、フィルターの替え時がわかるようになっているほか、商品にはQRコードが付いているので、偽造ができないようなシステムになっている
スマホのアプリケーションで、フィルターの替え時がわかるようになっているほか、商品にはQRコードが付いているので、偽造ができないようなシステムになっている

【先駆者がゆえの悩み】

4年前にこの会社を立ち上げる以前、フランスでは一般的にはそれほど大気汚染を問題視していなかったとマチューさんは言う。

それが証拠に、マスクのアイディアを語ると、「中国で売ったらいい。あそこならたくさん売れるだろう」というような反応が返ってくるばかり。

ただし、その頃からマチューさん、フラヴィアンさんのような症例を持つ人たちが多いことがわかってきていて、専門家の間では研究が進んでいた。

「自分自身に問題が降りかかったから関心を持つようになって調べてゆくうちに、都会の大気汚染が遠因でどれほど多くの害がもたらされているかを知るようになりました。脳卒中、心不全。それに、パリで生まれる子供の多くが喘息にかかっています。

マスクそのものを開発するのはもちろん大変でしたが、その後には、大気汚染をまだ深刻に受け止めていない市場と向き合ってゆくという仕事も残されていました」

【需要は実は世界中にあった】

彼らのプロジェクトはクラウドファンディングで始まった。INDIEGOGOというアメリカのプラットフォームを利用し、最初は15000ユーロからのスタートだったが、蓋を開けてみれば予約だけで300000ユーロ集まった。つまり世の中には、マチューさんたちと同じような悩みを持ち、解決策を求めていた人がたくさんいたことが数字で現れた。

「まず、お金を提供し、6ヶ月後に製品を受け取るという仕組み。最初のクライアントは韓国人でした。スタートからとても国際的で、35カ国の人から注文がきました」

2017年に最初のモデルを発表し、18年、19年と少しずつブランドを広げていった。

1時間20分で完売した直近のネット販売では、最初の時とは違い、注文してから手元に届くまでの期間が最大2週間という基準を設けている。そのためいくらでも注文を受けるという状態にはなっていない。

「もちろん、売りたいのは山々です。けれども、クライアントといい関係性を保つためには、あまりにも待たせてはいけない。3ヶ月待ちではダメです。だから、いったんサイトを閉じ、また供給ができるような状態になったときにサイトを再開する。なにせまだ若い企業ですから、今現在大量に生産することは無理です」

【インキュベーターの住人】

ところで、マチューさんにお話を伺ったカフェテリアは、以前ここでご紹介したSTATION Fの隣り。『R-PUR(エール・ピュール)』は世界最大級のインキュベーターであるSTATION Fに拠点を置いて1年半になる。

パリ13区、かつての駅舎を再生させた世界最大級のインキュベーターSTATION F
パリ13区、かつての駅舎を再生させた世界最大級のインキュベーターSTATION F
STATION Fの内部
STATION Fの内部

「若い会社ですから、方向性を誤らないように常に助けが必要です。STATION Fにいると、企業、ビジネスの世界のエキスパートのネットワークにアクセスできる。それはすごいことです。情報量が半端ないし、ものすごく刺激になる」

数日前に30歳になったばかりというマチューさんはこう続ける。

「ここはオープンスペースなので、すぐ隣で別のスタートアップの人たちが仕事をしている。席を離れて、コーヒーやお茶を飲みながら『君はどんな風にした?』と自分の疑問を投げかけると、答えが即座に得られたりします。立ち上がってコーヒーを飲みに行くのは時間にして5分くらいのもの。普通だったら問題解決に1ヶ月もかかることが、5分でできてしまう。つまりすごいスピードで発展していける」

【最強のリモートワーク】

二人から始まった会社だが、現在スタッフの数は15人。平均年齢27、28歳という若さだ。

御多分に洩れずロックダウン中はSTATION Fも閉鎖されていたが、マチューさんらはロックダウンになる2週間前からリモートワークに切り替えていたという。

「共同経営者フラヴィアンは新商品のプロジェクトのために香港にいます。彼は中国でどんなことが起こっているのか熟知していましたから、ヨーロッパでも同じことが起こると予見していて、その対応を取ることができました」

STATION Fが再開された今でも、スタッフ全員がFacebookメッセンジャー上でのチャットを通してコミュニケーションすることが続いている。加えてMondayというコンピュータソフトを使って、スタッフ各自が短期的、長期的ビジョンに基づいて仕事をし、その進捗状態をみんなで可視化できるようになっている。

ノートパソコンとスマホを駆使して、あらゆる場所で仕事が可能
ノートパソコンとスマホを駆使して、あらゆる場所で仕事が可能
仕事のコミュニケーションもチャットで
仕事のコミュニケーションもチャットで

「どの道具が使えるか、今出回っているものを比べたうえで導入しています。そのおかげでとてもフレキシブルに仕事ができる。チャットは普通、とてもパーソナルなものだと思われています。友達とか家族とかで使うものだと。でもそれを会社で使い、しかもスタッフ全員のモチベーションが高いので、チャットで率先してコミュニケーションしている。インフォメーションが届くと、それに即反応するという具合に。STATION Fでは1ヶ月かかることが5分でできると言いましたけれども、これらの道具を駆使していることでも生産性が上がっていると思います」

【売れなくなることこそ目標】

ファッションブランドとのコラボや大物スターがこちらのマスクをつけた姿を目にするのもそう遠くないことらしい。

また、香港を拠点に進行中の新商品は、歩行者向けのものだそうで、まずはアジアで今年中に発表される予定とのこと。

そんな上り調子の渦中にいながら、マチューさんはこんなふうにインタビューを締めくくってくれた。

「私の目的は、みんながマスクをつけるようになることではありません。ミッションの最終形は、マスクが売れなくなること、かな。

人々を大気汚染からマスクで守るのと並行して、情報を与える。もしも、ある日みんなが十分に情報を得て、都市の公害そのものを減らせたら、その時はマスクをしなくていいことになる。そうなったら私はとても満足です」

パリ在住ジャーナリスト

出版社できもの雑誌の編集にたずさわったのち、1998年渡仏。パリを基点に、フランスをはじめヨーロッパの風土、文化、暮らしをテーマに取材し、雑誌、インターネットメディアのほか、Youtubeチャンネル ( Paris Promenade)でも紹介している。

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