学生へのリスペクトはあるか?ー日大ラグビー部不祥事で考える
これはひどい。言語道断である。日本大学ラグビー部で元ヘッドコーチ(HC)の40代の男性が、ラグビー部員に暴行を繰り返していたことが明らかになった。この男性コーチの行為はもちろん、大学側の対応の拙さも問題だろう。2年前の日大アメフト部の不祥事と共通するのは、指導者の資質の低下、大学の学生へのリスペクトの欠如ではないか。
スポーツの価値ってなんだろう。人はなぜ、スポーツをするのだろう。オリンピックの価値(友好、卓越性、公正、尊重)とラグビーの価値(品位、情熱、結束、規律、尊重)で唯一共通しているのが尊重である。リスペクトである。学生スポーツの価値もしかり、指導者は学生をリスペクトすべきだろう。
だから、学生も指導者をリスペクトする。指導者も学生も仲間をリスペクトし、相手チームも競技そのものもリスペクトする。そういった意味では、部員の頭につまようじを刺すなどの暴行はあってはならない。元HCは指導者失格だった。いわばラグビーという競技そのものも裏切った。
5日付の朝日新聞によると、昨年、元HCが未成年の部員に対する飲酒の強要や暴行を繰り返していた。こうした問題行為は部内調査で認定されたが、処分や明確な謝罪がないまま、今年3月、元HCはラグビー部を辞任していた。部員からは「隠ぺいされた」と不満の声があがっていると報じている。
問題がメディアで明らかになったことを受け、日大ラグビー部は5日、平山聡司部長名の声明をホームページに掲載した。黒地に白字で。「お騒がせしましたことを心よりお詫び申し上げます。まず、当該コーチは、大学と雇用関係はありません。適切に対応しているものでありますが、当部としては今回の事態を重く受け止め、学生スポーツとしてあるべき姿を実現すべく、再発防止に向けて全力で取り組んでまいります」(一部抜粋)と。
はて? 誰に対して謝っているのだろう。世間に対してか。まず誠意をもって謝罪する相手は、つらい思いをしてきたラグビー部員たちだろう。ラグビーを好きで、厳しい鍛錬を積んでいる学生たちだ。
2年前、悪質タックルをさせられた日大アメフト部の学生は記者会見で、「大学に入って、アメフトをあまり好きではなくなった」と口にした。日大ラグビー部の部員たちがラグビーを嫌いになっていないことを祈るしかない。
日大ラグビー部のHPの声明には、「当部は学生ファーストの精神を掲げております」とある。であるならば、学生の視点に立って、大学は対応をすべきだった。ラグビー部は「隠ぺいではない」と強調しても、受け手の学生は「隠ぺいされた」と言っている。なぜ、認識に齟齬があるのだろう。
SNS全盛のいま、都合の悪いことを隠し通すことは難しい。メディアに問題が知れると、どういう風に一般社会に受け止められるのか。常に最悪のケースを想定して準備する。危機管理学部を持つ日大として、パブリック・リレーションズは機能していたのだろうか。
そもそも学生スポーツはなぜ大学に存在するのか。そういう問いかけや考察がもっとなされてもいい。大学に勤める一教員から見れば、ほどんどの指導者、学生が真摯に日々、部活に打ち込んでいる。若者たちが社会的自己を形成していく上で、心身の鍛錬に励む学生スポーツは有益な場だと信じている。
反面、勝利至上主義ゆえの弊害、閉鎖的なムラ社会、タテ社会もまだ、根強く残っているところもある。新型コロナウイルスの感染拡大で1年延びた東京オリンピック・パラリンピックを契機とし、学生スポーツなど、スポーツそのものの在り方や文化を変貌させる好機である。
大学スポーツ界には昨年3月、まだ不参加の大学もあるが、“日本版NCAA(全米大学体育協会)”といわれる「大学スポーツ協会(UNIVAS)」が発足した。大学スポーツのビジネス化を狙ったものだが、そのためには大学スポーツの価値の最大化がマストである。教育、倫理面の論理もなければ、統括組織の意義もなくなる。
この統括組織で、例えば、大学スポーツ指導者資格認定の整備を検討してもいい。コーチには、指導スキル、知識同様、指導倫理も求めるのである。
学生スポーツはなぜ存在するのか。新型コロナ禍の影響でスポーツ活動が制限される夏、改めて考える時である。