ブレない指揮官こそが名将。手倉森監督に期待される “正しい負け方“
開会式に先駆けてスタートする五輪サッカー。前景気に水を差すわけではないが、これほど、結果に重みがない競技も珍しい。何の優劣を決める大会なのか。オーバーエイジ枠という特殊ルールが定義を曖昧にし、ステイタスを逆に押し下げている。しかも、試合間隔はほぼ中2日。ベンチ入りメンバーはわずか18人。出場国は16で、実力上位の欧州勢には4枠しか与えられていない。すべてにおいて変則だ。
日本は前回、そうした中で準決勝に進出。1968年メキシコ大会以来、44年ぶりのメダル獲得に王手を掛けた。だがそこでメキシコに敗れ、3位決定戦で隣国の韓国に0-2で完敗すると、何事もなかったかのように、世の中の盛り上がりはサッと引いた。4位は日本サッカー界にとって史上2番目の成績。にもかかわらず、ファンはさして喜ばなかった。
五輪の賑やかしの余興。ファンも皮膚感覚としてその実態を何となく把握している。成績に他の競技のような重みがないことは、前回を体験したことで、より鮮明になっている。五輪のサッカー競技と、そこに出場する日本チーム。僕は他の競技とは異なる視点で見つめるべきだと思う。
今回の日本五輪チームは、メンバー的にはたいしたことがない。遠藤、植田、大島、浅野など、日本代表にすでに選ばれた経験のある選手は確かにいる。だが、全体的には小粒。例えば、2000年シドニー五輪に出場したチームのような期待は抱けない。
予選の戦いを見る限り、主役は別にいた。手倉森誠監督だ。
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