中国の中東進出のリスクにみる国家の説明責任と国民の自己責任
南シナ海での人工島の造成など、東南アジア以東のアジアでは、中国の軍事的な存在感が日増しに強くなっています。その一方で中国は、伝統的に自らの勢力圏(中華)と認識する近隣地域以外では、総じて「静かな発展」を心がける姿勢をみせてきました。硝煙の舞う中東も、その例外ではありませんでした。
しかし、習近平政権は極東からヨーロッパに至る経済圏「一帯一路」構想を掲げており、いわば「現代版シルクロード」ともいえるこの構想に基づき、中国はユーラシア大陸のなかほどに位置する中東に近年猛チャージをかけています。それにともなって、軍事的な関与も強める兆候をみせています。
これは複雑な中東の相関関係をさらに複雑化させる要因になる一方、少なくとも中国自身にとって、経済的利益を期待させるだけでなく、リスクを予想させるものでもあります。中国政府は恐らくそれらのリスクを承知で、敢えて中東に手を伸ばそうとしているとみられますが、その国家意志は、多くの中国人を「棄てる」ことにつながる可能性があります。
中国の中東アプローチの加速
まず、中国による中東進出が加速する様子を確認します。
中国は2004年以来、アラブ諸国の首脳と中国・アラブ諸国協力フォーラムを開催しており、2014年6月にはその第6回閣僚会合が北京で開催されました。のみならず、2016年1月に習主席はサウジアラビア、エジプト、イランを歴訪。このうちサウジアラビアでは、習主席はアラブ諸国が加盟するアラブ連盟の会議に出席し、道路整備などインフラ開発のために200億ドル相当の金融支援を行うことを約束し、併せて相互の貿易を活発化させることも提案しました。
一方、この歴訪中に、かねてから多くのアラブ諸国と犬猿の仲のイランでは、ロウハニ大統領らと会談。中国首脳によるイラン訪問は、約14年ぶりのことでしたが、この場ではやはり、原子力発電所や高速鉄道の建設への支援が約束されるとともに、向こう10年間で約6000億ドルの貿易額を目指すなど経済交流を活発化することが決まりました。
ところで、中東のイスラーム圏におけるパワーバランスで看過できない国には、習主席が歴訪した3カ国に加えて、トルコがあげられます。後述するように、トルコと中国は、中国西部にある新疆ウイグル自治区の問題をめぐり、必ずしも友好関係にありません。しかし、外交的には冷たい関係であっても、両国の経済関係は熱を帯びつつあります。2016年3月、トルコのアルバヤラク天然資源相は、初めての外遊で中国を訪問。両国間の投資・貿易の増加について話し合い、その翌週には中国企業がトルコの風力・太陽光発電施設などに総額150億ドルの投資を行うことが明らかになりました。外交的に必ずしも良好といえない関係のトルコへのアプローチは、中東あるいはユーラシア進出に対する中国の思い入れを象徴します
このような猛チャージは、中国による中東各国との外交的な友好関係の強調によって支えられています。アラブ連盟本部での演説で習主席は、中国が(米国と異なり)人権保護など相手国の内政に干渉しないこと、経済発展を促し、その果実を配分することこそ、社会を安定させ、テロリストの台頭を抑える道であること、などを強調しました。内政不干渉や経済優先の実利性などは、これまでのアフリカ進出などでも、中国政府が強調してきたことです。これらの方針は、特に冷戦終結後に人権保護や民主化を援助と結びつけ、相手国の内政に深く関わってきた欧米諸国とは対照的で、開発途上国の政府からは概ね好意的に受け止められやすい内容です。
その一方で、中国は中東で軍事的な行動を可能にする条件も整えつつあります。2015年12月、海外でのテロ活動に軍事的な対応を認める法律が発効。また、2015年12月には、アラビア半島の対岸のジブチに中国海軍の基地が建設されると発表されました。
中国と中東―それぞれの事情
このようにアプローチを強める中国ですが、東南アジアやアフリカなどと比較して、中東との関係は、歴史的に必ずしも深いものではありませんでした。
そこには、いくつかの要因があげられます。第一に、中東では20世紀初頭から英米系企業が石油利権の多くを握ってきたため、中国にとって参入が難しい土地でした。第二に、厳格なイスラーム国家にとって、あるいはサウジなど専制君主国家にとっては、無神論を内包し、「万人の平等」を謳う共産主義を奉じる中国は、イデオロギー的に相容れない存在です。
しかし、図1、2で示すように、中国と中東の間の貿易額は、特に2000年代半ば以降、飛躍的に増加しています。
中国の輸入のほとんどは石油・天然ガス、中国からの輸出の大半は工業製品とみられます。このような中国と中東の急接近は、中国の猛アプローチによって加速してきましたが、中東諸国の側にも、それを受け入れる素地があるといえます。それを、以下の3点からみていきます。
- 資源の調達
中国にとって、中東はこれまで縁遠かったエネルギー供給地です。一方、資源価格が2014年半ばから急落し、昨年には米国がシェールオイルの輸出に踏み切ったことで、中東各国は景気の低迷と石油依存型の産業構造から脱却する必要に直面しています。
この状況は中国からみて、中東に入り込む隙間が大きくなったことを意味します。一方、中東産油国からみて、中国が猛烈なアプローチをしてくることは、新たな大顧客の登場を意味します(米国のシェール生産に関して、湾岸諸国の間では以前から「米国が石油を買わないなら中国に売るまで」という声があった)。つまり、資源価格の下落や米国のシェール輸出は、中国の中東進出を加速させる一因になったといえます。
- 市場の確保
「安かろう、悪かろう」から抜け出すため、中国は産業構造の転換を迫られています。しかし、景気低迷のなかでの構造改革は大量の失業や短期的な企業収益の悪化につながるため、中国政府がこれに本腰を入れることは困難で、結果的に過剰生産に陥る構造に大きな変化はありません。
「一帯一路」構想の一つの大きな目的には、生産過剰の製品を売りさばくことがありますが、なかでも富裕な産油国が多い中東は、中国にとって魅力的な「未開拓地」といえます。中国は各地で高速鉄道などの建設を相次いで受注していますが、プロジェクトに必要な物資の約半分は中国産を用いる契約になることが一般的です。そのため、中東でのインフラ建設の増加は、ダンピングなどの理由により先進国の市場から締め出され始めている鉄鋼製品をはじめ、中国製品の輸出拡大にもつながります。
一方、中東諸国は景気後退に直面するなかで公共事業などを拡張してきましたが、ロシアなど非OPEC加盟国を含めた資源価格をめぐる交渉が難航するなか、いわばジリ貧にあります。その中東諸国が、中国による大規模なインフラ整備を、景気浮揚の起爆剤と捉えても不思議ではありません。
- 秩序の動揺
利権や力関係が堅固なところに入り込むことは、いかに意思と能力があったとしても困難です。例えば、中国が急速にアフリカに進出したのは1990年代でした。この時期は、まずソ連崩壊後にロシアが撤退し、さらに欧米諸国が内戦、感染症の蔓延、貧困や飢餓などが常態化するアフリカへの関心を低下させた時期に符合します。つまり、冷戦期の秩序が動揺し、海外勢力がアフリカに及び腰になったことが、中国の進出を容易にしたといえます。
この観点からすると、現代の中東では、これまでの秩序が大きく揺らいでいます。シリアでのロシアの軍事活動による欧米諸国の影響力の減少、西側諸国とサウジなど湾岸諸国との間の緊張、イスラーム過激派なかでも既存の国境を否定するISの台頭などは、その典型です。一般に不安定な状況は、既に利益を得ている側には保守的な反応をもたらしがちですが、逆に新規参入を目指す側にとっては、それを促すチャンスになり得ます。この場合、その代表格が、これまで中東に縁遠かった中国といえるでしょう。
中東で中国を待ち受けるもの
ただし、中東進出の加速は、資源開発や市場開拓を通じて、中国に少なからず経済的利益をもたらす一方、これによって中国は大きなリスクを抱えることになるとみられます。
まず、安価な工業製品の輸出先を確保することは、中国自身の経済成長を支える要素にはなるでしょうが、それは裏を返せば中国の構造改革をさらに遅らせる一因になり得ます。それは中国にとって、長期的な発展の足かせになるといえるでしょう。
これに加えて、より短期的に表面化するであろう、テロなどのリスクも看過できません。これに対して、中国政府やその支持者からは、「中国は日本と異なり、米国主導の有志連合を支援していないし、ましてイスラームと欧米の対立とは無縁だから、テロの危険にさらされるとすれば、『他の国』の巻き添えになった時だけだ」という批判が飛んでくるかもしれません。
確かに、中国は「内政不干渉」の原則のもと、有志連合から慎重に距離を置き、シリアやイラクの混乱にも関わっていません。しかし、西側先進国とは立場が違うにせよ、中東進出が本格化するなかで中国がイスラーム過激派の標的になるリスクは、決して小さくありません。そこには、主に3つの理由があげられます。
- 現地政府との関係
第一に、先述のように、中国政府は内政不干渉を金科玉条のように掲げており、これは相手国の人権問題などに頻繁に口を出す欧米諸国のイデオロギー的干渉主義とは対照的で、開発途上国政府からは総じてウケのいいものですが、中東ではそれがかえってアダとなることも、充分考えられます。
まず、内政不干渉の原則を強調することは、相手国の内政に関して、結果的には相手国の政府のみを認めることにもなり、これは相手国の政府による不公正を無視することにもなりがちです。例えば、ほとんどの中東諸国では中国に負けず劣らず汚職が蔓延しており、体制に批判的な人間はイデオロギー的な立場に関わらず「テロ対策」の名目のもとで取り締まりの対象になっていますが、内政不干渉を掲げる場合、これらを黙認することにもなります。そして、イスラーム過激派のほとんども、それぞれの国の現体制の腐敗や不公正を糾弾し、これれらを攻撃対象にしています。
米国あるいは欧米諸国の場合は、相手次第で実質的に内政不干渉を人権保護より優先させるというダブルスタンダードが顕著なのに対して、中国の場合は内政不干渉一本やりです。それは、この文脈において、それだけ多くの国で、政府に批判的な人間からの敵意に中国政府が晒される可能性を示唆しています。
- ヒトの移動
ただし、そこには「相手国での存在感」という変数もあり得ます。すなわち、不公正の目立つ政府と友好関係をもつ国の全てが、同じだけの敵意を、反体制的な人間から買うとは限りません。
これに関連して、中国が中東でテロや戦闘に直面しやすい第二の条件として、中国の海外進出が、大規模なヒトの移動をともなうものであることがあげられます。
開発途上国で活動する中国系企業は、資源開発やインフラ整備に関わる巨大な国営企業ばかりでなく、中国政府から補助金を受けて海外展開に乗り出した中小零細企業もあります。その多くは流通・販売業に携わっており、一族郎党を引き連れたものが一般的です。
いわば国策として中小零細の流通・販売業者に海外移住を促すことには、国内の失業や過当競争に対応すると同時に、中国製品の販路を拡大する目的もあります。Going out と呼ばれるこの政策により、例えばアフリカに居住する中国人は既に100万人を超えているといわれ、これは先進国のなかでとりわけ多いフランスの30万人を大きくしのぎます。
もちろん、アフリカと中東では初期条件が大きく違うため、アフリカでみられたほど爆発的に中国人移住者が増えるかは定かでありませんが、少なくとも他国より早いペースで、中国から中東へヒトの移住が増えることは、ほぼ確実でしょう。その場合、母数が大きくなる以上、他の国の出身者と比べて、中国人がテロや戦闘に直面する頻度は高くならざるを得ません。
のみならず、中国企業や中国人商人は、現地でのトラブルにおいても、その存在感が大きくなりがちです。中国企業は海外においても中国流あるいは東アジア流に労働環境を軽視することが一般的です。例えばアフリカでは、各国の労働組合の連合体が、有給休暇や産休・育休をとらせない、法定最低賃金以下の給料しか払わない、などの事例を数多く報告しています。この背景のもと、アフリカ人従業員が中国人マネージャーを殺害する事件や、群衆が中国人商店を襲撃する事件なども相次いでいます。
これらを受けて、アフリカ各国政府からは法令遵守を求める声があがっており、中国政府もこれを無視できないものの、あまりに数が多いため、取り締まることは事実上不可能です。ただし、(やはり中国流に)中国企業は現地政府の有力者とコネを築くことに余念がなく、労働環境をめぐるトラブルなどが現地当局によってもみ消されることも稀でないため、アフリカが求める「法令遵守」も額面通りに受け止められるとは限りません。いずれにせよ、結局それでワリを食うのは現地の一般の人々です。
くどいようですが、アフリカと中東では初期条件が異なります。しかし、一旦海外に出てしまえば、中国政府の管理が及びにくくなることは同じです。また、先述のように、中東でも汚職は蔓延しています。つまり、中東において現地社会との摩擦が深まれば、中国企業や中国人商人は、ますます「イスラーム世界における不正を正す」ことを大義とするイスラーム過激派から目をつけられやすくなるといえるでしょう。
- 中国国内からテロが拡散する恐れ
第三に、そして最後に、中国の中東進出は、中国国内で抑え込まれてきたイスラーム過激派の国外での活動を促す契機になり得ます。先述の新疆ウイグル自治区は、その導火線になるかもしれません。
中国西部の新疆ウイグル自治区に多いウイグル人は、そのほとんどがスンニ派ムスリムで、1980年代以降はとりわけ漢人・共産党による支配への抗議・抵抗が目につきます。ウイグル人のグループは多岐にわたり、平和的な手段で自治権の拡大を目指す世俗的な組織から、武力によるイスラーム国家の建設を目指す過激派までいます。中国政府はこれら全てを「国家分裂を図るテロリスト」と位置づけ、「厳打」と呼ばれる苛烈な取り締まりで臨んできました。これに対して、中国国内でもイスラーム過激派によるテロはしばしば発生しています。
ウイグル系イスラーム過激派のうち、「東トルキスタン・イスラーム運動」はアルカイダとの関係が指摘されています。また、2014年に「イスラーム国」が建国を宣言した後、わずか3ヵ月の間に、少なくとも100人が新疆からシリアへ渡ったとみられています。このように、有志連合と距離を置いているにせよ、中国もイスラーム過激派と無関係ではありません。
このうち、ISは有志連合などの攻撃によって支配地域を縮小させており、追い詰められるにつれ、外国人戦闘員を中心に、彼らの出身国などでの活動を活発化させています。しかし、中国では国境管理や武器類の所持・輸送に関する規制がとりわけ厳しく、いわゆる「シリア帰り」が活動できる余地は限られています。つまり、パリやイスタンブールなどと異なり、北京や上海でイスラーム過激派が大規模なテロを実行できる可能性は、少なくとも現状において、限りなく低いといえるでしょう。
その意味で、中国人が大挙して中東を目指せば、それが国外にいるウイグル系イスラーム過激派に「これまで狙いにくかった標的がわざわざ自分たちの方に近づいてきた」と映ったとしても、不思議ではありません。2015年11月には、ISによって中国人の人質が処刑されています。
両刃の剣としての軍事的アプローチ
もちろん、これらのリスクについては、中国政府も考えているでしょう。いかに情報統制が厳しくても、海外から多くの情報が入る時代にあって、中国政府もまた「国民を守る」というアピールと無縁ではいられません。中国人の人質の処刑が国際的に報道されたことを受けて、中国政府が「ISとの戦い」を宣言したことは、その象徴です。
とはいえ、「内政不干渉」 を強調してきた経緯からも、シリアなどで有志連合が行っているIS包囲網に中国が参加することは、ほとんど考えられません。先述のジブチの基地も、ソマリア沖での中国船籍のタンカーの護衛や、非常時における中国人の避難などが主な目的です。つまり、中国の軍事的アプローチは、中東進出にともなうリスクを軽減するためといえます。
ただし、これもやはり、中国にとって両刃の剣になり得ます。相手がどんなつもりであるかは、イスラーム過激派にしてみればあまり関係のない話です。イスラーム過激派の掃討作戦に積極的でなくとも、少なくとも自分たちの利益にならないと判断されれば、ジブチの中国軍基地が「イスラームの地に入り込んだ異教徒の軍隊」と位置づけられたとしても不思議ではありません。つまり、有志連合やロシアと比べてそのリスクは小さいとしても、中国とテロリストとの間の緊張がこれまで以上に高まることは避けられないといえるでしょう。
政府の説明責任と国民の自己責任
これまでみてきた中国の中東アプローチは、中国の世界戦略を考えたり、日本あるいは西側先進国のアプローチを検討したりする一助になるでしょう。しかし、それと同時に、中国の中東アプローチは、日本を含む先進国の課題をも浮き彫りにしているといえます。
ここまで検討してきたコストを支払ってでも、中国政府が中東進出による資源確保や市場開拓などのベネフィットを得ようとしているなら、そこには国家の確たる意志があるということもできるでしょう。ただし、それにともなうリスクが政府から伝えられたうえで多くの中国人が中東に送り出されるかは、大いに疑問です。
2011年、「アラブの春」のなかで発生したリビア内戦を受けて、中国の国営メディアでは連日、油田などで働いていた中国人労働者が退去する様子が報じられました。これは先述の「国民の守る」というアピールでもありますが、中国政府がこの方針に常に忠実とはいえません。アフリカでの調査では、現地の当局や一般の人々とトラブルになった際、中国大使館に駆け込んでも「我々が保護するのは国営企業だけ」と門前払いを食わされたと嘆く中国人商人に多く出会いました。国家から打ち捨てられているが故に、彼らは同郷人同士で固まって助け合う一方、いわば手段を問わずに利益を確保しようとしがちになります。いずれにせよ、アフリカよりさらに弾丸と火薬の使用量が多い中東では、このような「国策による棄民」がより頻繁に、さらに深刻な事態に直面するであろうことは、容易に想像されます。
ところで、中国の「国策による棄民」は、国家の「説明責任」の不足によるといえます。いつの時代も、どの国でも、為政者は自らの支配に都合の悪いことは控えめに、都合のよいことは力強く、国民に伝える傾向があります。これは全体を統括する立場に立った人間としては当然かもしれませんが、特に中国共産党体制はこの傾向が顕著です。報道やネットの規制に象徴される、政府と国民の間の情報格差が、これを支えているといえるでしょう。
つまり、中国の「棄民」の場合、そもそも自分たちの政府を選べず、おまけに政府が必ずしも「説明責任」を負っていない以上、事前にリスクやコストを正確に勘案することが困難なのですから、不測の事態が発生した場合、少なくとも彼らに「選んだ自己責任」を問うことは困難です。
これに対して、日本を含む西側先進国では、報道の自由が憲法で保障され、情報公開制度があり、政府は日常的に「説明責任」を求められ、日常的に国民から点数をつけられます。しかし、いわば「細かいことをよく分かっていないが、評価する権限をもつ人に説明責任を果たす」という立場に立てば、ちょうど生命保険や投資信託に関する書類で、為替相場の変動などに関する例外規定が小さな文字で、老後に必要とされる平均的な資産や最大リターンが大きな文字で書かれているように、「コストやリスク」をさりげなく、「必要性や期待されるベネフィット」を熱心に説明するに終始しがちになったとしても、あるいは何らか不都合が発生した場合に「結果として失敗があったとすれば、それは不可抗力による(今風に「想定外」と言っても同じ)」と強弁しやすくなったとしても、不思議ではありません。
民間企業の場合、公正取引委員会が不公正な説明を取り締まりますが、政府の場合、その説明が公正か否かの判断は、最終的には国民に委ねられます。しかし、そもそも説明する側との情報格差が大きければ、説明された側が責任をもって判断することは、実質的には困難です。それでも先進国では、少なくとも原則的には、自分たちの政府を自分たちで選び、曲がりなりにも判断材料がゼロでない以上、(例え露骨な「棄民」にならなかったとしても)国家の方針によって影響を受ける人々には、「選んだ自己責任」がついて回ることになります。
この自己責任、言い換えるなら民主的国家の有権者としての権利と責任を「絵に描いたモチ」にしないためには、政府見解や政府が「政治的公平性」のお墨付きを与えた報道以外からも事実を知る「知る権利」が保障されることが不可欠です。その意味で、メディアの自己規制を促す現政権の態度は、情報格差を助長し、有権者の自己責任をさらに形骸化させるものです。
その一方で、様々な課題が山積するなか、説明を受ける側も、自ら情報格差の圧縮に努めなければ、この自己責任はやはり「絵に描いたモチ」になります。その点で、先進国の人間は中国など非民主的な国の人間とはまた違うストレスを抱えざるを得ませんが、それを放棄すれば、「国策によって打ち捨てられる」ことがあったとしても、文句をいえなくなってしまいます。このようにしてみたとき、中国の「国策による棄民」は、先進国における「政府の説明責任と国民の自己責任」と表裏の関係にあるといえるでしょう。