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追悼・岡田徹――最後までムーンライダーズのステージでキーボードを弾き続けた彼のポップスの魔術に捧げる

宗像明将音楽評論家
岡田徹のInstagram(@tohru.okada)の筆者によるキャプチャ

青空の日の悲しいしらせ

2023年2月22日、日本現存最古のロックバンドであるムーンライダーズのキーボーディスト、岡田徹が2023年2月14日にこの世を去っていたことが発表された。

夕刻、ムーンライダーズのメンバーたちは、次々とTwitterに青空の写真を投稿していた。鈴木慶一、武川雅寛、鈴木博文、白井良明、夏秋文尚、そしてサポート・メンバーである澤部渡(スカート)、佐藤優介も。何かのしらせだろうか――しかし、メンバーの死去など想像もしなかった。

なぜなら私は、2023年1月22日にムーンライダーズのファンクラブ「moonriders family trust」のイベントで、岡田徹の姿を見て、彼の演奏を聴いたばかりだったのだ。その日の新代田Feverでイベントは、トークパートで始まり、ライヴパートは、2023年1月11日にこの世を去った高橋幸宏が好きだったという「9月の海はクラゲの海」で幕を開けた。そして、「花咲く乙女よ穴を掘れ」「DON'T TRUST ANYONE OVER 30」「スカーレットの誓い」「大寒町」と続いた。この日は、サポート・メンバーの澤部渡と佐藤優介がおらず、鈴木慶一、岡田徹、武川雅寛、鈴木博文、夏秋文尚の5人のみで演奏された(白井良明はコロナ感染で欠席)。岡田徹の弾く鍵盤の音色を聴けることが嬉しかった。

結果的に、岡田徹がいたムーンライダーズの最後のライヴになることなど、想像もしなかった。2013年に亡くなった、かしぶち哲郎に続くメンバーの死去だ。

復活劇、リハビリ、そして最後のステージまで

2022年12月25日、ムーンライダーズは恵比寿ザ・ガーデンホールで「moonriders アンコールLIVE マニア・マニエラ+青空百景」を開催した。その楽屋での会話が、私が岡田徹と交わした最後の言葉になってしまった。あの日の演奏を喜ぶ私に岡田徹は、指を動かせるようにいつも慣らしてしているんだよ、というようなことを笑顔で教えてくれた。

岡田徹は、2021年に長期間の入院から退院して、翌日すぐにステージに出たこともあった。2021年6月12日にEX THEATER ROPPONGIで開催された「moonriders 45th anniversary ”THE SUPER MOON”」でのことだ。前日に退院したばかりの岡田徹は、ステージの終盤、車椅子で登場したのだ。ファンからの熱い拍手に「人生最良の日です」と語っていた。

ライヴに出演できない時期もあったが、それでもムーンライダーズのステージには可能な限り出演し、2023年1月22日もその演奏を聴かせてくれた。

新曲披露、そして新作へ――平均年齢69歳、日本現存最古のロックバンド・ムーンライダーズ ライヴレポ(2021年12月26日)

2022年のmoonridersは“今”を生きていた 月夜の日比谷野音で目撃した明確な進化(2022年3月13日)

そして、Instagramには、自宅でのキーボード演奏の様子を投稿していた。その音の響きのひとつひとつが嬉しかった。

https://www.instagram.com/tohru.okada/

ムーンライダーズのポップネスを生みだしてきた作曲家

岡田徹は、1973年にはちみつばいに加入後、さらにムーンライダーズの結成に加わる。日本語のロックの創成期から音楽活動を開始し、ムーンライダーズでは、その先進性、尖鋭性を担ってきたキーボディストだった。

一方で、数々のゲーム音楽やCM音楽を手掛けてきた作曲家でもあった。さらに、アコーディオン奏者5人を擁するLIFE GOES ON、山本精一らと結成したya-to-i、polymoogやイマイケンタロウとのCTO LAB.など、多くのユニットでも活動してきた。特にCTO LAB.では、若手と音を鳴らすことを楽しんでいる岡田徹の姿があった。

プロデューサーとしては、プリンセス プリンセスを手掛けたことが有名だ。その名付け親も岡田徹である。また、チロリンのプロデュースも忘れがたい。

岡田徹は、ムーンライダーズのポップネスを生みだしてきた作曲家だった。シングルにもなった1992年の「ダイナマイトとクールガイ」は、岡田徹ならではの一曲だ。

振り返れば、私は中学生の頃、初めてムーンライダーズをラジオで聴いた。そこで耳にした不思議な楽曲とは、1986年の「9月の海はクラゲの海」。この楽曲もまた、岡田徹が作曲したものだった。私は後年、『最後の晩餐』(1991年)でムーンライダーズのアルバムを初めて聴くことになるが、「9月の海はクラゲの海」はそのきっかけを作った罪作りな一曲だった。

いや、1991年の「涙は悲しさだけで、出来てるんじゃない」の美しさを忘れられるわけがない……など、岡田徹が作曲した名曲を挙げだしたら止まらない。

2008年、「MUSIC MAGAZINE」でのLIFE GOES ONの取材で、岡田徹にインタビューをした。その取材が終わると、「宗像くんは楽器は弾くの?」と聞かれたことを思いだす。いつも温和で優しく、どこまでも音楽を愛し、鍵盤楽器を愛し、晩年はリハビリを重ね、病にも負けずにステージに立ち続けた岡田徹。改めて、最期まで音を鳴らし続けてくれたことに感謝したい。

岡田さん、今までありがとうございました。

2022年12月25日の「moonriders アンコールLIVE マニア・マニエラ+青空百景」の際に貼りだされていた、1982年の『マニア・マニエラ』当時のムーンライダーズ。右から2人目が岡田徹、当時33歳(筆者撮影)
2022年12月25日の「moonriders アンコールLIVE マニア・マニエラ+青空百景」の際に貼りだされていた、1982年の『マニア・マニエラ』当時のムーンライダーズ。右から2人目が岡田徹、当時33歳(筆者撮影)

音楽評論家

1972年、神奈川県生まれ。「MUSIC MAGAZINE」「レコード・コレクターズ」などで、はっぴいえんど以降の日本のロックやポップス、ビーチ・ボーイズの流れをくむ欧米のロックやポップス、ワールドミュージックや民俗音楽について執筆する音楽評論家。著書に『大森靖子ライブクロニクル』(2024年)、『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』(2023年)、『渡辺淳之介 アイドルをクリエイトする』(2016年)。稲葉浩志氏の著書『シアン』(2023年)では、15時間の取材による10万字インタビューを担当。

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