【京都市】北区 「椿寺(地蔵院)」にのこる遺跡『切支丹キリシタンの墓』!
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あまり知られてないかもしれませんが、京都にはキリシタンに関する深い遺跡や歴史があります。
過去に数カ所についての記事を書いたことがありますのでどうぞご参照くださいませ。
日本映画の創世記から携わってきた「高津商会」や「高津古文化会館(閉館中)」の近くにある「大将軍八神社」。そこからすぐのところにある「椿寺(地蔵院)」さん。
726年に行基が建立した浄土宗の寺院で「椿寺」の愛称で親しまれてます。
そこには長い弾圧の期間にキリシタン地のほとんどは破壊されたそうですが、その墓石が残っているそう。
「<キリシタンの墓>京都の北野にある椿寺の中にあるキリシタンの墓。この墓石を削り、『ちょうずばち』として使っていたのを見つけここに置いたとされる」
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境内の地蔵堂のところから天野屋墓に到る途中に「キリシタンの墓」と書かれた立て札をみることができます。
あきらかに、他のお墓とは形が違いますね…
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また、「椿寺(地蔵院)」は「豊臣秀吉」が献木したと伝えられる見事な「五色八重散椿」が有名!
過去記事ご参照くださいませ→
大将軍にある『地蔵院』は椿がいっぱいの「椿寺」♪
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境内には「忠臣蔵」で有名な「天野屋利兵衛(あまのやりへえ)」のものと伝わる墓や、夜半亭巴人(やはんていはじんー与謝蕪村の師)の墓などがあります。
京都におけるキリスト教の布教は、織田信長(1534~82)の保護によって浸透を深めていきます。当時のキリスト教人口が日本人の人口の6〜7パーセントといわれるほどに布教が熱心に行われてました。
京都の教会は、1612年まで栄光の日々を送っていたが、1619年には迫害の結果、惨めなものに変わった。信者のほとんどは貧しく、「ダイウス町」と呼ばれた通りに住み、平穏に信仰を守り続けていたが、1619年の初め、徳川秀忠は新たに迫害を強化し、それまで無関心を装っていた京都所司代板倉勝重は信者のほとんどを牢に入れた。殉教者たちは牢から出され、みせしめのために六条から七条まで引き回された後、27本の十字架に縛られた。夕暮れになると、十字架を囲む薪の輪に火が付けられた。(カトリック中央協議会HPより)
![高津商会 宇治田原倉庫より](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/dk/expert-image/kozushokairica/article/00402107/internal_1676945867456.jpeg?fill=1&fc=fff&exp=10800)
![高津商会 宇治田原倉庫より](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/dk/expert-image/kozushokairica/article/00402107/internal_1676945851343.jpeg?fill=1&fc=fff&exp=10800)
「高津商会」にも映画やドラマで使用される小道具たちのなかに、キリスト教関係のものが数多くあります。再現ドラマなどでもよく使われているそうです!
「刀剣乱舞-ONLINE-」において、京都・椿寺(西陣)は「戦国の記憶」の4つ目の合戦場にあたるなど、いまでも語り継がれるべき様々な歴史が渦巻く京都には、興味深い史実がそこかしらに残されてますね。
例年3月下旬頃に「椿寺」の椿は見頃を迎えるので、ぜひ、歴史探訪に訪れて見られてください〜♪
地蔵院(椿寺)
住所;京都市北区大将軍川端町2
電話番号;075-461-1263