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紫式部とその夫・藤原宣孝の痴話喧嘩!喧嘩に勝った式部の戦略とは?

濱田浩一郎歴史家・作家

大河ドラマ「光る君へ」において、紫式部の夫・藤原宣孝が死去してしまいます。

親子ほどに年の離れた藤原宣孝と結ばれた紫式部。結婚して早々とも言うべき長保元年(999)1月、式部と宣孝は喧嘩をしています。そのきっかけは、夫・宣孝にありました。彼は式部が自分に送った手紙類を他人に見せてしまったのです。その話を聞いた式部は怒ります。「今まで自分が出した手紙を全て集めて、返してくれなければ返事をしない」と使者を遣わして抗議したのです。これまで式部と宣孝のやり取りは和歌を介してが多かったのですが、それもなく、使者に口頭で言わせているところにも、式部の怒りの深さを感じることができます。

確かに自分が書いた手紙を他人に見せられたら、どこまで怒るかは別にして、恥ずかしいと思う人は現代にも多いでしょう。書状には、式部作の和歌が記されていたでしょうから、それもまた式部にとって赤面するものだったと思われます。宣孝としては、悪気はなく、若い新妻の式部の和歌の才や文才を知り合いに見せびらかそうと思ったのかもしれません。要は妻の自慢をしたかったとものと推測されます。しかしそういったことは、式部にとってどうでも良いこと。ただ恥ずかしさが先に立って、宣孝に怒ったのです。宣孝はそんな事でそこまで激怒しなくてもと思ったのでしょう。「全ての手紙はお前に返す。これで絶交だな」と式部に伝達します。

すると式部は「とじたりし上のうすらひとけながら さは絶えねとや山の下水」 (水面に張り詰めていた氷がやっと解けましたのに、それでは山の水の流れも絶えてしまえということなのでしょうか。やっとあなたと打ち解けた仲になったばかりなのに。縁を絶とうというのですか)との和歌を宣孝に送るのです。一歩引いた形の式部に宣孝はそれでも良いと言う内容の歌を寄越します。

式部はそれに対しては「言ひ絶えばさこそは絶えめ何かそのみはらの池をつつみしもせむ」 (お言葉のように、罵り合って2人の仲を絶ってしまうおつもりなら、それもいいでしょう。腹が立っていらっしゃるのを、怖がってはいません)と返歌。受けて立つ姿勢を示します。ところがここで、宣孝が「腹を立ててみても、仕方がないこと」と白旗を挙げるのでした。引いたり押したり、式部の巧みな「戦略」が夫との「痴話喧嘩」から垣間見えます。

(主要参考文献一覧)

・清水好子『紫式部』(岩波書店、1973)

・今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985)

・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007)

・紫式部著、山本淳子翻訳『紫式部日記』(角川学芸出版、2010)

・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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