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ロシアW杯18日目。日本、史上ベストマッチとメキシコの限界。日本なら“戦術無き戦術”もありか?

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
乾が戦術、柴崎が戦術、吉田が戦術……。日本ならそれでチームとして成立しそうだ(写真:ロイター/アフロ)

マッチレビューではなく大きな視点でのW杯レポートの17回目。大会18日目の2試合で見えたのは、日本の史上ベストマッチとメキシコの手詰まり感……。ならば、日本は戦術をあえて定めない手もありか?

ベルギー対日本(3-2)は日本の大健闘という以上に、サッカーとして面白かった。

両チームのファンはもちろん、中立のファンもしびれるような魅力的な試合だった。“まあベルギーの楽勝だろう”と遠い目で眺めていた者はテレビの前で正座し刮目したに違いない。

世界に日本ファンが誕生した夜

今後、W杯で日本と言えばこの試合が思い出されるのだろうし、ポーランド戦で失った分をはるかにしのぐ日本ファンが今夜世界に誕生したのだろう。もう20年近くスペイン在住なので観戦数が乏しくて恐縮だが、セネガル相手の最強試合を超え、この試合が史上ベストマッチである。

が、あえてブラジル対メキシコ(2-0)からスタートしたい。この試合でわかったことが日本戦に生かせるからだ。ドイツ対メキシコを見て、日本はメキシコを目指すべきではないか、と考えた。似たような体格、足下のテクニック、組織的なサッカーで、見た目も魅力的、前回王者を倒せるほど強い――。が、それが通用するのは一流レベルまでで、ブラジルのような超一流には歯が立たない。

ブラジルとメキシコの差は何だったか?

それはペナルティエリア内で崩す能力、個の能力と2、3人のコンビネーション能力の違いである。よく鍛えられたブラジルのファーストプレスをかわす精度の高いワンタッチパスで、メキシコはブラジルゴールに何度も迫った。だが、ペナルティエリアの壁にことごとく跳ね返され、苦し紛れの強引なミドルシュートに頼らざるを得なかった。

メキシコに不在のエリア内での絶対的な個

メキシコの個の止める&蹴る能力、集団としてのパスワークは今大会のチームの中でも指折りだった。

しかし、ネイマールのような深い切り返し、ウィリアンのようなリズムチェンジというスーパーな個はない。ブラジルのリトリートは徹底していてペナルティエリア内に人の壁ができていたが、それを崩しCBコンビ、チアゴ・シウバとミランダを慌てさせる能力は単独としてはもちろん、組織としてもない。もちろん、ベルギーが日本を倒したような空中戦もない。

一方、組織として守るブラジルは、相手ペナルティエリアに近づくと個あるいはせいぜい2、3人によるコンビネーションで守備をこじ開けにかかる。ネイマール、ジェズス、ウィリアン、コウチーニョがいればそれが可能なのだ。

以上の前提で、ブラジルの4回にメキシコの1回くらいの頻度で攻め合えば、時間の経過とともにスコア差が開いていくのは必然だった。極めて堅実な、論理的とさえ呼べるブラジルの勝利であり、彼らの強さとメキシコの限界がよく見えた。

カウンター?ポゼッション?日本の戦術は何?

このメキシコ式を目指すのは、「あり」だろうと思う。だが、ベルギー戦を見ていて考えが少し変わった。

誰か日本の戦術は何だったか言えますか? カウンター? ポゼッション? 両方であり、同時にどちらでもなかった。体力、展開、スコア、時間帯によって日本はラインを上げたり下げたりし、相手GKへもプレッシャーを掛けたし、11人が自陣に引き籠りもした。主要なトーンは前から行く、であり、全4戦の中で最も攻撃的な姿勢だったが、それが支配的というわけではなかった。

攻撃ルートはサイド。これは明確だった。

3トップのウインガーに開かれSBの背後を徹底的に狙われたセネガル戦よりは、ベルギー戦の方がはるかにサイド攻撃が効いていた。相手は3バック、2シャドー、サイドはSBのみの布陣で、スペースも時間も与えられていたから、乾と長友が大暴れした。

だが、この戦い方、果たして乾抜きで成立しただろうか?

運動量と規律、犠牲的精神で“無戦術”が成立

乾のプレーはまったくエイバルでのそれと同じだった。

サイドに開いて待ってサイドチェンジのボールを収め、SBの上りを待って対角線に侵入し、ペナルティエリア付近でボールを持てば切り返してシュートコースを作り、ファーポスト目掛け右足を振り抜く。ついでに守備の方もエイバルばりに前からプレスを掛けたが、こちらは連動しておらず空振りすることもあった。

要は、日本は[4-2-3-1]という誰もが慣れた並びに適材を配し、最低限の約束事の中でそれぞれにクラブチームでやっている得意なプレーをさせた、という風に見えたのだ。

悪く言えば個のツギハギなのだが、叩き込まれた規律を遵守する日本人ならそれでもチームとして成立する。少々の戦術的綻びをカバーする運動量がベースとしてあり、その上で、献身的で犠牲的な精神を決して忘れず、エゴイスティックなプレーに走ってチームがバラバラになることはない。欧州や南米では不可能なやり方である。

メキシコのようにアイデンティティと呼べるスタイルはなく、その時々の個の資質によって変わる。しかし、“スタイルが無いのがスタイル”というのは日本ならありかもしれない。

最後のCKは責める気になれない…

サイド攻撃を封じられると日本は止まった。ウィツェルがサイドに開き、フェライーニを長友にぶつけられると、フリーになったムニエからの危険なクロスがゴールを襲った。空中戦で劣勢なのはもうどうしようもない。

最後のCKも延長戦狙いで後ろに人数を残しても良かったが、まあそのイノセントさも潔さも、この試合の劇的な幕切れには相応しかったのかもしれない。あの見事なカウンターで敗れたとしても、日本が成し遂げたことの価値が下がるわけでも、灯った明るい希望の光が消えるわけでもないのだ。

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

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