多様性を尊重し過ぎて怖くなくなった映画『It Lives Inside』
多様性の時代である。
シッチェス・ファンタスティック映画祭でも様々な国が舞台となった様々な言語の作品を目にすることが普通になった。昨年の公式コンペティションでもコンゴ語、マレー語、マプチェ語、ウルドゥー語、ヒンディー語の作品があった。
結構なことだ。ホラーやスリラーやスプラッターのついでに多様な国の文化まで学べるなんて一石二鳥である――と喜んでばかりではいられない。なぜなら、『It Lives Inside』のような作品が混じっている可能性があるからだ。
■「移民あるある」では怖がれない
アメリカにあるインド人コミュニティが舞台で、主役は移民2世の娘である。移民の子であることでいろんな問題を抱えている。
例えば彼女は高校で孤立しがちだ。
活発で積極的なクラスメイトたちにうまく溶け込めない。控え目であることを美徳とするインド流の家庭教育を母親から受けているからである。
とはいえ、そのお母さんとも上手くいっていない。
アメリカ生まれの彼女は英語が当然ペラペラなのだが、お母さんはヒンディー語しかしゃべれない。娘には母がインドを引きずったままに見えるし、母は娘がアメリカかぶれしていくのが心配になる。
両者には、ジェネレーション&カルチャー適応具合のギャップが存在するわけだ。
と、ここまで説明したところで、みなさんにお聞きしたい。
以上のような移民の問題でホラーが怖くなりますか? 答えは「ならない」。こうした移民あるあるのエピソードに時間を割けば社会的なドラマは深くなるが、ホラーとしては浅くなる。単純に恐怖エピソードに割く時間がなくなるから。
※以下、ほんの少しだけネタバレがあります。白紙の状態で見たい人は読まないでください。
■インドの悪魔は優しく弱い
インドにも悪魔がいるそうだ。悪魔を退治した女王を称える行事もあるし、悪魔祓いの儀式というのもある。こういうことを学べるのはこの作品のメリットである。
しかし、肝心の悪魔、全然怖くないのである。
姿は、(よく見えないけど)歯並びの悪い二本足で歩くトカゲのよう。得意技は、触らずして放つパワー波動(よくわからないけど)で、人を吹き飛ばしたり、ブランコをぶんぶん振り回したりするシーンがある。性格は、西洋の悪魔より優しく、よほど腹を立てないと人を殺したりはせず、大抵はガラスや壁にぶつけて少し血を出させたり、打撲させたりする程度で勘弁してくれる。
こんな優しい悪魔だから悪魔祓いの儀式も優しい。母と娘が伝統衣装を身に着けて、せっせとインド料理を作り始める。どうやら食べ物を捧げると怒りを収めてくれ、腹ペコになると怒るらしい。で、人の恐怖に付け入るゆえ、「怖くない!」って立ち向かうと逃げる(笑)。
■インドの残酷描写は生ぬるい
この作品には残酷描写が皆無である。血も出てこないし、死体も出てこない。いや、お話の中には出てくるのだけど、映像としてはっきり見せてくれない。これは文化的な問題、いや「問題」と呼ぶのは悪いか――言い換えよう――文化的な「慣習」なのだろう。
インドでは残酷描写は道徳的に良くないこととされていて、避ける傾向があるということではないか。多分、インドにはスプラッター映画というのは存在しないのでは。
残酷描写にタブーがあることは、ホラー映画では当然ハンディとなる。怖がらせるためには映像以外で何らかの工夫をしなければならないわけだが、この『It Lives Inside』は単に残酷描写を隠して済ませていた。
で、結局、出来上がったのは、インド人コミュニティでの移民が抱える問題とインドの行事と儀式を紹介しつつ、優しい悪魔があまり残酷なことをしない(した場合は見せない)ホラーである。インド文化の勉強にはなるが、ちっとも怖くない。
もちろん、怖くないダメホラーはいくらでもあるのだが、この『It Lives Inside』が問題なのは、第一に、インド文化紹介がメインで怖がらすのがサブと本末が転倒していること。第二に――こちらがより重要なのだが――インド文化を尊重したことで結果的に怖くなくなっていることなのだ。
多様性の尊重とは、怖くないインド版ホラーを受け入れることなのだろうが、それでは政治的に正しくても映画的にはつまらない。
以上、たった1作を見た私の感想である。次は、本当に怖いインド版ホラーが私の偏見を払拭してくれることを期待する。
※写真提供はシッチェス映画祭