あの内閣改造で安倍政権の「潮目」が変わったと言われる可能性
フーテン老人世直し録(464)
長月某日
安倍総理が11日に内閣改造・党役員人事を行ってから1週間、新体制が内外の諸情勢にきちんと対応しているのかが見えてこない。この1週間だけを見ていると、あの組閣によって安倍政権の「潮目」が変わったと言われる日が来るかもしれないと思わせる。
第一は、9日早朝に関東に上陸した台風15号の大規模災害に対する対応の遅れである。関東に上陸した台風としては最強クラスと言われ、瞬間風速60メートル級の強風と猛烈な雨によって千葉県の93万戸が停電し2万戸以上の住宅に被害が出た。
東京電力は当初2日間で停電を復旧させると発表したが、それが1週間、2週間と後ろ倒しになり、ついに「27日までにはおおむね復旧」となった。夏の暑さが残る季節の停電に住民はクーラーも冷蔵庫も使えず、病院の医療機器も使えなくなり、熱中症で3名が死亡するなど深刻な影響が出た。
東京電力の見通しの甘さに与党からは批判が上がるが、しかし千葉県が災害対策本部を設置したのは、大規模停電が起きて丸1日以上たった10日午前9時である。経済産業省が停電被害対策本部を設置したのはさらに遅い13日だ。そして政府は災害対策本部をまだ設置しておらず、東京電力任せにしている。
大規模停電と言えば、ちょうど1年前の9月6日、北海道地震によって火力発電所が被災し295万戸で停電が起きた。その時は、安倍総理、菅官房長官、世耕経産大臣らが相次いで会見し、停電の理由を説明するとともに復旧の見通しを語った。
現地で陣頭指揮しているはずの北海道知事や北海道電力の担当者の姿は見えず、政府中枢が前面に出てきたことにフーテンは違和感を持った。とにかく官邸の広報は「気合が入って」いた。
地震が起きたのは午前3時8分である。総理官邸は3時45分に「3時9分に対策室を設置した」とツイッターに書き込み、4時10分に「安倍総理が3時10分に指示を出した」と書き込む。政府がスピーディに対応していることを発信し、夜が明けてからは安倍総理、菅官房長官、世耕経産大臣らが次々に発信を続けた。
それがなぜかをフーテンは考えた。翌7日が自民党総裁選の告示日で安倍総理は石破茂氏と総裁の座を争うことになっていた。投票日は9月20日で選挙期間は2週間である。それを意識したのではないか。その総裁選挙で安倍総理は石破氏を粉々に粉砕する必要があったのだ。
地震発生と大規模停電で総裁選は3日間自粛することになり選挙期間が短縮された。普通なら選挙期間は同じで日程だけを延期すべきだ。それをそうしなかったのは一般論だが選挙期間は短ければ短いほど現職に有利で挑戦者に不利になる。
結果は議員票で安倍総理が圧勝したものの、地方党員票で石破氏が45%の票を獲得し、粉々にならなかった。この時、小泉進次郎氏は石破氏に投票した。自民党は安倍一色ではないことが証明された。だが、この時の安倍総理は選挙のためかもしれないが、北海道の大規模停電に陣頭指揮する姿勢を見せた。それが今回はない。
今回は初入閣の小泉環境大臣や河野防衛大臣、菅原経産大臣らがばらばらに現地を訪れただけだ。これに何の意味があるのだろうか。フーテンはいつも思うが、現地に行って現場の声を聞くことは必要だが、それは役人の仕事で政治家の仕事と錯覚してはならない。現場に行けば自分の見たものが印象に残り、見なかったものへの理解は下がる。
政治家は大所高所に立つべきで、特に大臣ともなれば部下に命じて調べさせた資料を基に大局に立った判断を行う。判断をしてから現地を訪れ、判断に誤りがないことを確かめるなら良いが、ただ現地を訪れて話を聞くのでは下っ端役人並み、ただの人気取りだ。大臣のやるべきことではない。
フーテンが見てきた歴代米国大統領はすぐに災害現場を訪れることなどしなかった。十分に情報を集めてどんな対策を打ち出すかを決めてから現地に行く。現地に行った時には必ず政府が何をやるかを打ちだす。リーダーは話を聞くために現地に行くのではないことを、日本では国民も理解していない。政治家が話を聞いてくれるだけで喜ぶ習性がある。
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