グルメ記事のタイトルにおける3種類の微妙な表現
タイトルと画像が重要
インターネットには1日に数千の記事が配信されます。その中で、記事を読んでもらうこと、つまり、クリックして、該当記事へと着地してもらうことは、容易なことではありません。
と言うのも、それは、数多ある他の記事に打ち勝ち、ユーザーから選んでもらうことを意味するからです。
厳しい競争の中で記事を選んでもらうためには、タイトルと画像がとても重要となります。そのため、インパクトのある画像を使い、他と差別化したタイトルを付けなければなりません。
これは、グルメ記事に関しても同様です。
おいしそうな画像を使うことはもちろん、記事中にあるレストラン、食べ物や飲み物がいかに素晴らしいものであるかを伝え、食欲や知識欲を喚起して記事を読みたくなるようなタイトルを付けることが重要です。
しかし、他との差別化を意識し過ぎたのか、タイトルに微妙な表現が使われていることが少なくありません。
私は以下のような記事で、インターネットのグルメ記事で懸念していることを書いてきましたが、タイトルについても以前から気になっていました。
- DeNAのWELQ問題から考える、グルメのキュレーターにとって必要なたった1つの当たり前のこと
- インターネット時代で「残念なグルメ系インフルエンサー」にならないための3か条
- 効果が認められない流行1位「水素水」からたぐる「誤ったグルメブーム」
タイトルの微妙な表現
これまでに見掛けたインターネットのグルメ記事のタイトルで、次のような微妙な表現がありました。
「やばい」
「食べてみた」
「失神する」
「旨すぎる」
「声を失う」
「震えた」
「美味しすぎる」
「絶品すぎ」
「顎がはずれる」
こういった微妙な表現は、このように分類されると考えています。
- 過剰
- 軽い
- 不適切
それぞれどういうことなのか、説明します。
過剰
「旨すぎる」「美味しすぎる」「絶品すぎ」という表現がこれにあたります。
「美しすぎる」「可愛すぎる」という表現がよく見掛けられますが、そのグルメ版とも言えばよいでしょうか。通常の「旨い」「美味しい」「絶品」を著しく超えていると言いたいのだと思います。
どれくらい「すぎ」なのか知りたいと、読者の興味をある程度は引くかも知れませんが、もはや「すぎ」はありきたりな言い回しなのでインパクトはあまりないでしょう。
通常よりもずっと優れている様子を、他の言葉で表すことを放棄しているように感じられてしまいます。もしくは、本当は大したことがなくて、他の言葉で表現できないから、「すぎ」を使っているのではないでしょうか。
「過ぎたるは及ばざるが如し」と言うように、「すぎ」は、むしろ通常よりも劣っている表現だと感じます。
軽い
「やばい」「食べてみた」という表現には、あまり誠実さが感じられません。
「やばい」は本来のネガティブな意味から転じ、ポジティブな意味で使われるようになって久しいですが、「●●がやばい」というタイトルでは、何がよいのか、もしくは、何が悪いのか分かりません。
「やばい」という言葉で何かを表現できていると勘違いしているのではないでしょうか。
「食べてみた」というのもよく見掛けられます。記事に仕上げて公開しているので、きちんとレポートしていると思いますが、「食べてみた」という表現には責任がないように感じられるのです。
「やばい」も「食べてみた」も、どちらとも話し言葉をそのまま使うことによって、カジュアルさをだしていますが、それが軽過ぎてあまり信用できない記事のような印象を与えています。
不適切
「失神する」「声を失う」「震えた」「顎がはずれる」は、「失神するほどおいしい」「声を失うほどおいしい」「おいしくて震えた」「顎がはずれるくらいボリュームがある」という文脈で使われています。そのほとんどが比喩だと思いますが、グルメ記事には相応しい表現であるとは思えません。
「声を失う」はまだ理解できますが、食べたり飲んだりしたことで、声を失うほどの経験をすることが人生でそうあるでしょうか。食は確かに素晴らしい体験を与えてくれますが、いきすぎた表現が氾濫してしまうと、信頼されなくなってしまいます。
「失神する」「震えた」「顎がはずれる」というのは、そもそもポジティブな表現には聞こえません。もしも、自分が料理を作ったり、食材を生産したりする立場で、そのように表現されたら嬉しいでしょうか。
私であれば、むしろ小馬鹿にされた気がして、あまり嬉しいとは感じられません。
読まれたら、それでよいのか
どうして、このような表現が用いられるのでしょうか。
<DeNAのWELQ問題から考える、グルメのキュレーターにとって必要なたった1つの当たり前のこと>でも話題になりましたが、その根本にはPV至上主義があるからだと思います。
PVが増えればいい、つまり、記事が表示されればいい、だから、タイトルはとにかくクリックされれば何でもよいという考えがあるからではないでしょうか。
微妙な表現にならないようにするため
では、微妙な表現にならないようにするためには、どのようにすればよいでしょうか。
私は以下のような心構えが必要だと考えています。
- ユーザーに対する誠実さ
- 料理人や生産者に対する尊敬
- 自分自身に対する矜持
まずは、ユーザーに対して誠実であることです。読み手であるユーザーと真摯に向き合えば、軽薄なタイトルや記事内容と乖離した表現をすることはだいぶ減ってくるのではないでしょうか。
料理人や生産者に対して尊敬の念を抱くことで、ただインパクトがあるだけで、食べ物に相応しくなかったり、作った人の気分を害したりする表現はなくなると思います。
最後に、自分自身の記事に対して矜持を持つことによって、しっかりと取材して記事を書くようになり、そのことによって、内容に見合うタイトルを真剣に考えるようになるのではないでしょうか。
名は体を表す
醤油や味噌などの原料となり、日本の食生活の礎を築いている大豆は「重要な豆」=「大いなる豆」と認識されていることから、大豆と命名されましたが、「名は体を表す」と言われているように、記事のタイトルは記事の内容を表しているだけに、グルメ記事でもタイトルで微妙な表現がなくなることを願っています。