このままでは日本のコンテンツ産業もガラパゴス化してしまう
日本の映像コンテンツは輸出に対応できていない
あるプロジェクトのメンバーに加わり、この半年ほど、日本のコンテンツ産業の今後について考えるためヒアリング作業を行ってきた。とくに海外への進出の可能性を探るのが大きなテーマだった。日本の映像コンテンツの最前線の方々に話を聞いて回って感じたのは、もう手遅れかもしれないという憔悴感だった。
まず、中国だ。かの国の映画産業が急激に、怒濤の勢いというべき成長をしている。世界の映画市場についてざっと説明すると、かなり長い期間、日本は世界第2位の市場だった。1位はもちろんアメリカで、2015年ではカナダも合わせて110億ドル程度、1兆3千億円程度の規模だ。日本は変動はあるものの不思議と2000億円前後で推移してきた。他の国、イギリスやフランスなどはもっとぐっと規模が小さい。
ところが近年、中国の映画市場がぐいぐい伸びて、2012年にはついに日本を抜き世界2位の座を奪った。その後も毎年ものすごい勢いでさらに伸び、2014年には5000億円台半ばだったのが、2015年には8000億円を超えたという。50%の成長率だ。そんな成長ってあるだろうか。しかも広い国土に映画館がない都市がまだまだあるという。2017年にはアメリカをも抜いて世界第1位の座に就くと予測されている。13億人もいるのだからその予測は間違いないのだろう。
映像産業では、市場規模がものを言う。ハリウッドが世界で君臨してきたのも、3億人の映画大好き国民を抱えて国内の規模が最大だったことが大きな要因だった。自国市場が大きいと、まず国内向けに大きな予算をかけて映画を製作できる。そして映画にとって予算はスペクタクルな映像を左右する。自国市場が大きいことはその時点で非常に有利なのだ。その利点を、今度は中国が手にしてしまう。
だったら日本の映画産業も中国市場に進出するといいのだが、あの国は難しい。外国勢が中国で映画を上映するには、”そういう関係”を結ばねばならないのだが、日本は外交関係からしてギクシャクしており、映画界も関係構築ができていない。韓国は共同合作協定を締結していて、一緒に制作をすることで市場に入り込んでいる。出演者は中国人だが製作スタッフは韓国勢、という作品が増えているそうだ。対して日本は、巨大な成長市場ですっかり出遅れているのだ。
さらに中国ではいま、映像配信市場もすごい勢いで伸びている。中国に限らず、世界的に配信はホットだ。過去作品で著作権も処理できていれば、ひところよりいい値段で買ってもらえるという。
だが日本は著作権の解釈が非常に保守的で、配信を販売するための著作権処理には多大な労力が必要だ。放送権の販売はできても配信権は売れないテレビ番組がたくさんある。
ところが、いまや海外の見本市などに出展しても、配信権がないと話にならないという。番組を気に入ってもらえて商談が成立しそうになっても、配信権は別だというと、じゃあいらないとあっさり断られてしまうそうだ。いまや放送権と配信権をセットで売り買いするのが世界市場の常識になっているのに、分けて売っているのは日本くらいだそうだ。売れるものも売れない。そんな状況になりつつあるのだ。
頼みの国内市場も、今後縮小する一方
日本が世界2位の市場だったのはなぜか。もちろんコンテンツ産業のレベルが高かったからだが、その背景には人口の多さがある。日本の人口は世界で10番目に多い。大したことないようだが、これまでの”先進国”の中ではアメリカに次いで二番目だった。世界2位の市場は、先進国での人口が2位だったからだ。
人口が多いことはコンテンツ産業にとって、要といっていいくらい重要だ。映画やドラマを楽しむには、その国の言語が理解でき、文化がわかっていないといけない。役者だって全然知らない人たちばかりだといまひとつ楽しみにくいだろう。阿部寛が『半沢直樹』の原作者・池井戸潤の小説『下町ロケット』のドラマ化作品に出る。だったら見ようか見まいかと判断する。ハリウッド製作の西部劇を見る時、19世紀の開拓時代にはみんな拳銃持って自衛していたと知らないとさっぱりわからないだろう。
言語と文化を共有している”国民”が一億人いた。そこにコンテンツ市場ができ、メディア産業が活発になり、映画やドラマがビジネスになった。マンガも市場ができてアニメも盛んになった。人口が多いと文化は豊かになる。
このグラフは、これまでの日本の人口増加と、今後の人口減少の推計値を表している。人口が登り坂を駆け上がるのと並行して、産業全体が栄えてコンテンツ市場も拡大していった。手塚治虫や黒澤明や宮崎駿がそれぞれの分野に登場し、彼らに憧れる若者たちが次世代の作り手となり市場拡大を支えてきた。
人口が増えてきたから、それが起こった。
これから、人口が減る中で、何が起こるだろうか。ほっておくと、市場が急激に縮小し、これまでと逆の下り坂に入ってしまう。作っても作ってもコンテンツは前ほど売れず、もともと貧しかったクリエイターの環境は貧しさから抜け出せなくなる。多くが諦めていくだろう。海をひとつ越えた国では、コンテンツ市場が大にぎわいになっているのに。
私は保育園の問題も別の記事で訴えてきたが、ひとつには、専門であるメディアやコンテンツの世界にも影響するからだ。保育園が増えないと、コンテンツ産業が衰えるのだ。
配信権を見直さないとコンテンツ産業は衰える
日本の少子化を食い止めるべきだという論はある一方で、日本のコンテンツ産業は豊かな国内市場をあてにできない状況を認識すべきだろう。もはや待ったなしで、世界に活路を求めないわけにはいかないと思う。
となると、輸出できる環境づくりが必要だが、同時に”権利”についてこの機に国全体で考え直すべきではないか。これまで、映像のネット配信になると権利保持者が急に態度が硬化し、権利処理や配分とは別に「ネットには出したくない」と感覚的につっぱねる例も多く見られた。それができていたのは、国内市場が豊かだったからだ。これから、厳しくなる。国内市場だけでは作り手が食えなくなる。急速に変化する。そのことをぜひ認識してほしい。変えるなら、いましかない。来年、再来年になったら、日本抜きでの国際市場ができ上がって入るスキがなくなるかもしれないのだ。いまだってすでに、日本のコンテンツが受けるのは台湾と香港くらいで、東南アジアでは若者たちが韓国俳優に憧れ、韓国のファッションや、韓国のメイクを真似したがる。日本はアジアの憧れだというのは、もはや幻想だ。
海外に行けないだけならまだしも、今後は日本国内でのコンテンツも中国などアジア製が増えるかもしれない。そんなバカなと思うだろうが、テレビの黎明期には日本のゴールデンタイムのドラマはアメリカ製だらけだった。当時の日本では製作のノウハウも薄かったし、自分たちで作る余裕も少なかった。買ってきて流したほうが早かった。同じことがこれから起こってもまったくおかしくない。今後十年間で人口が5%減り、さらに次の十年間ごとに1000万人ずつ減る。衰えていく国では、物語を映像化する余裕は薄れていくだろう。
だからいま、大きな決断が必要だ。著作権に対する考え方を大転換し、コンテンツ輸出を最優先にする。そういう決意を、政治レベルでも、権利保持者レベルでも、なすべき時だと思う。
日本のコンテンツ産業のレベルはいま、かなり高いと思う。中国などアジアが追いつこうとしても、数年では追いつけない。だが十年経つとわからない。だから、いまだ。コンテンツ力があるうちに、変わらねばならない。