戦場カメラマン渡部陽一に聞く!① 僕を危険な戦場へと駆り立てた、ある恐ろしい出来事
2023年10月にエッセイ『晴れ、そしてミサイル』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を出版した渡部陽一さんに、戦場カメラマンになったいきさつについて聞いてみた。
アフリカのジャングルは、ひとりで入ることのできない、過酷な環境だった
きっかけは明治学院大学の1年生のとき、教養課程で生物学の授業を受けたことだった。
アフリカの中央部に、ピグミー族(ムブティ族)という、現代でも狩猟生活をおくる部族がいることを教わり、興味を惹かれたのだ。平均身長が150cmほどで、上半身は裸、弓矢や槍を持ち、ワニやサルを捕獲しながら移動生活をしている──。
そんな人たちに会いにいきたいとアフリカのザイール(現在のコンゴ民主共和国)に飛んだというから、その行動力には恐れいる。
アフリカでまず彼が体験したのは、ジャングルという環境の過酷さだ。
こうしてようやくトラックに乗せてもらえたのは、3週間後のこと。それから2カ月かけて、大きな穴がところどころにあいた悪路を止まっては押し、止まっては押ししながらゆっくりと進んだ。
だが、その先で彼を待っていたのは狩猟民族のピグミー族ではなく、とんでもなく恐ろしい人たちだった。
アフリカの残酷な状況を世に伝えたい。その思いが僕を戦場に駆り立てた
そのとき、命をうばわれなかったのは、即座に持っているキャッシュと小型カメラ、靴、衣服などの身ぐるみいっさいを差し出したからだった。
こうしてピグミー族に会うのをあきらめて、失意のまま帰国することになったのだが、この経験が戦場カメラマンを目指す、直接の動機になったのだという。
しかし、海外で怖い目にあったとき、普通の人は「もう二度とあんな目には遭いたくない」と思うはずだが、なぜ渡部さんはそれとは逆の選択をしたのだろう?
ベトナム戦争のとき、AP通信のカメラマンのニック・ウト氏が戦場で撮った「ナパーム弾の少女」は、戦争の悲惨さを世界に訴えることで戦争の終結に一役買ったと言われているが、そんな写真の力を身につけようと決意したのだ。
こうして渡部さんは、ルワンダ内戦をはじめ、イラク戦争、コソボ紛争、チェチェン紛争、ソマリア内戦、アフガニスタン紛争、コロンビア左翼ゲリラ解放戦線、スーダン、ダルフール紛争、パレスティナ紛争など、世界のあらゆる紛争地、戦場を飛びまわる生活に身を投じていく──。
※この記事は、かっこよく年を重ねたい人におくるWEBマガジン「キネヅカ」に公開された記事を加筆・修正したものです。是非、そちらの全長版も読んでください。
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