阪神・淡路大震災から25年 進まない耐震化
女性高齢者が多く亡くなった
阪神・淡路大震災の死者は6,434人、行方不明者は3人でした。そのうち、地震による直接死は約5,500人で、多くは兵庫県下で家屋が倒壊して亡くなりました。厚生省大臣官房統計情報部「人口動態統計からみた阪神・淡路大震災による死亡の状況」(1995.12)によると、1995年6月に死亡届が出され、震災による死亡と記された5,488人のうち、男性は2,211人、女性は3,277人でした。女性が男性の約1.5倍です。さらに、65歳以上では男性803人、女性1,596人と男性の2倍で、女性高齢者の死亡率が高くなっています。
死因は家屋倒壊がほとんど
死因は窒息・圧死が4,224人です。さらに、頭・頭部損傷282人、内臓損傷98人、外傷性ショック68人、全身挫滅45人、挫滅症候群15人などを加えると全体の86%の4,732人が、家屋倒壊が原因で亡くなったと考えられます。焼死・熱傷の504人も倒壊した家屋から逃げられなかったことが原因だと推察されます。死亡日時は、95%弱の5,175人が17日当日で、うち午前中が4,461人となっており、多くの人が即死に近い形でした。このことから、消防や自衛隊の救出で命を救えた人は多くないこと、強い揺れに対して人的被害を減らすには耐震化しかないことが分かります。
旧耐震基準の家屋の耐震問題
建設省がまとめた平成7年阪神淡路大震災建築震災調査委員会中間報告によると、神戸市中央区で行った923棟の悉皆調査の結果、1971年以前の建築物の倒壊又は崩壊、大破、中破、小破の割合は、それぞれ、17%、23%、17%で、軽微・無被害はわずか26%でした。これに対し、1972~1981年では、5%、7%、11%、20%で、軽微・無被害は57%、さらに1982年以降は、3%、5%、5%、11%で、軽微・無被害は75%でした。とくに、鉄筋コンクリート造は、1971年以前の建物は倒壊又は崩壊が11%、大破22%に対し、1972年以降は大破以上が5%に減少しています。このように、明らかに建築年によって耐震性に差がありました。これは、耐震基準の改正と関りがあります。
木造住宅の耐震基準の変遷
小規模な木造住宅の設計では、構造計算は行われず、床面積に応じて必要な筋違などを入れる壁量規定が採用されています。壁量規定は、地震被害を受けるとともに強化されてきました。例えば、重い屋根の2階建て家屋の1階の壁量は、1950年に建築基準法が制定されたときには16cm/m2でしたが、10年後の見直しで1959年に1.5倍の24cm/m2、新耐震設計法が導入された1981年には33cm/m2と、当初に比べ倍増しました。さらに、性能規定化が行われた2000年以降は、地盤調査で得られる地耐力に応じて杭基礎やべた基礎を採用することが義務化され、接合部の継手や仕口の仕様が定められ、バランスの良い耐力壁配置が必要になりました。
一般建築物の耐震基準の変遷
1950年に導入された建築基準法では、数十年に1度発生する中地震に対しては建築物がほとんど損傷しないという設計法が取り入れられました。これは、1925年に市街地建築物法に導入された耐震基準に準拠しています。その後、1968年十勝沖地震で鉄筋コンクリート造の被害が多数生じたことから、1971年に粘り強さとせん断強度を確保するため柱の帯筋の基準が強化されました。また、新耐震設計法の開発が行われました。ですが、1978年に発生した宮城県沖地震でも、十勝沖地震と同様の被害が生じ、とくにピロティ形式や偏心の著しい建物の被害が顕著だったことから、1981年に新耐震基準が導入されました。ここでは、大規模な地震動に対しても空間を確保するよう、2次設計が導入されました。
建築年によって異なる耐震安全性
以上に述べたように、木造住宅は、1950年、1959年、1981年、2000年を境に、耐震性に明確な差が存在します。その結果、2016年熊本地震では、2000年以降の木造住宅の被害は微少に留まりました。一方、一般の建築物は、1971年と1981年で、耐震性に差があります。これが、阪神・淡路大震災での建築年による被害率の差の原因と考えられます。
ちなみに、1998年に建築基準法が、2000年に施行令が改正されて、耐震基準が性能規定化されました。また、2005年に起きた構造計算書偽装問題を受けて、2007年にも建築基準法が改正されて、建築確認や検査が厳格化されました。ですが、建築物の耐震性能には大きな変化はないと考えられます。
耐震改修促進法の制定
耐震基準は、不遡及の原理によっており、建物を建築したときの基準に適合していれば、現行の耐震基準を満足しなくても合法です。現行の基準を満足しない建築物を既存不適格建築物と言いますが、阪神・淡路大震災では、既存不適格建物の被害が顕著でした。このため、震災後、1995年に建築物の耐震改修の促進に関する法律(耐震改修促進法)が制定されました。ここでは、多数の者が利用する建築物への指導・助言、指示や、耐震改修計画の認定制度などが定められ、建築物の診断・改修に係る補助制度も作られました。さらに1998年には住宅の診断に係る補助制度が、2002年には住宅の改修に係る補助制度が作られました。2005年にはこれらの補助制度を統合した住宅・建築物耐震改修等事業が作られました。
耐震改修促進法の改正と耐震改修促進計画
21世紀になって、内閣府に移管された中央防災会議が、東海地震、東南海地震・南海地震、首都直下地震などの被害想定結果を公表し、被害軽減のため、耐震化の重要性が再確認されました。2004年には新潟県中越地震も発生しました。このため、2006年に耐震改修促進法が改正されて、耐震化率の目標を明示した耐震改修促進計画の策定などについて規定が加えられました。この結果、2018年時点で、全市区町村のうち97.7%が耐震改修促進計画を策定しています。
大規模な建築物等の耐震診断の義務付けと公表
その後、2007年新潟県中越地震、2008年岩手宮城内陸地震、2011年東日本大震災などが発生し、南海トラフ巨大地震の被害想定結果も公表され、2013年に再び耐震改修促進法が改正されました。多数の者が利用する大規模な建築物等の耐震診断の義務付けや結果の公表、住宅や小規模建築物への指導や助言についての規定が加えられました。これに合わせて、多数の者が利用する大規模建築物等の診断・改修に、国が重点・緊急支援する耐震対策緊急促進事業が創設されました。
要緊急安全確認大規模建築物と要安全確認計画記載建築物
延べ面積5,000m2以上の病院、店舗、旅館等を「要緊急安全確認大規模建築物」と称し、これまでに計約11,100棟について耐震診断結果が公表され、耐震性が不十分なものが約1,800棟あることが分かりました。また、地方公共団体が指定する緊急輸送道路等の避難路沿道建築物や、都道府県が指定する庁舎、病院、避難所等の防災拠点建築物を合わせて「要安全確認計画記載建築物」と称し、避難路沿道建築物については18都府県71市町村において対象道路が指定され、東京都の一部、大阪府、4市から診断結果が公表されました。また、防災拠点建築物については、35道県が対象建築物を指定し10県が診断結果を公表しています。ただし、個人情報の問題もあり、公表は影響の大きな建築物に限られています。
ブロック塀の除却と改修
2016年熊本地震や、2018年大阪府北部地震での多数のブロック塀の倒壊を受けて、2018年に耐震改修促進法の施行令が改正され、地方公共団体が計画に位置付ける避難路沿道の一定規模以上のブロック塀などの耐震診断の義務付けが行われました。合わせて、住宅の改修などにパッケージ支援する制度の拡充やブロック塀等の除却・改修等に対する支援制度が創設されました。
高い耐震化率の目標
このように、被害地震を経験する中で、耐震化の制度が強化・拡充されてきました。2003年には、東海地震、東南海・南海地震の地震防災戦略として、75%だった耐震化率を2013年までに90%にする目標が掲げられました。ですが、2013年時点の耐震化率は、住宅が約82%、多数の者が利用する建築物が約85%に留まっています。同年に策定された南海トラフ地震防災対策推進基本計画では、2020年までに少なくとも耐震化率を95%にすることを目標とし、2025年までに耐震性が不十分な住宅をおおむね解消することを目標に定めました。2016年に閣議決定された住生活基本計画でもこれが踏襲されています。
なかなか進まない耐震改修
実は、耐震化率の向上の殆どは、建て替えです。新耐震基準が導入されてすでに39年が経ちます。建物の平均寿命を50年とすれば、毎年2%ずつ耐震化率が向上して、78%が耐震化されたことになります。ですが、早稲田大学の小松幸夫先生の研究によると、木造住宅の寿命は、1997年には43年強だったものが、2006年には54年、2011年には65年と伸びているようです。このため、耐震化率の改善が伸び悩みます。
一方で、木造住宅の耐震補強数は、ダントツ日本一の静岡県でも今までに約2万3千、二番目の愛知県も約1万程度しかありません。おそらく全国では数十万程度だと思われ、これでは耐震化への寄与は数%にしかなりません。
約束不履行の場合どうやって責任をとるのか
さて、2020年と言えば今年ですが、本当に95%が達成できるのでしょうか。もしも達成できなければ、国難ともいえる南海トラフ地震や首都直下地震などを前に、最悪の約束不履行になります。さて、その責任はどうとればよいのでしょう? 行政、建築関係者、そして国民自身、全てに責任がありそうです。