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ウクライナ侵攻で進むロシアの頭脳流出――国外脱出する高学歴の若者たち

六辻彰二国際政治学者
モスクワ空港でキャンセルだらけの出発時刻表を眺める旅行客(2022.2.28)(写真:ロイター/アフロ)
  • ウクライナ侵攻をきっかけに、ロシアに見切りをつけて国外移住に踏み切る動きが加速している。
  • そこにはプーチン政権の「経済的自殺」への悲観だけでなく、「強制的徴兵」への危機感がある。
  • 国外移住に向かう多くは高学歴の若者で、プーチン政権はウクライナや世界はもちろん、ロシアの将来にも暗い影を落としている。

 ウクライナ侵攻後のロシアは、いわば「既定路線にこだわりすぎるワンマン経営者のもとから優秀な社員が次々いなくなる会社」に近づいている。

ロシアからの「避難民」

 ウクライナ侵攻以来、ロシアで活動する海外メディアは次々と規制されているが、これは都合の悪いことを報じられるのを恐れているからとみてよい。そこにはプーチンのお膝元で反戦デモが広がり、すでに数千人が逮捕されていることだけでなく、ロシアから脱出を目指す動きも含まれる。

 国外脱出を目指すロシア人が増えていることは、ウクライナ侵攻が始まった2月末からロシアのGoogle検索で「移住」が急増したことからもうかがえる。

 実際に移住する多くは若者で、さらにその行き先はいわゆる欧米と限らず、アジアや中東の新興国なども含まれるとみられる。ウクライナ侵攻後、NATO未加盟のセルビアなど一部を除き、欧米諸国の多くはロシア直行便やロシア市民へのビザ発給をストップしているからだ。

 3月3日、モスクワで英語を学んでいた男性は英ガーディアンの取材に「自分の将来は奪われた」と話した。彼はスリランカへの航空券を購入したという。

「経済的自殺」「兵隊にとられる」

 ロシア脱出の動きが加速する背景には、経済が極度に悪化することへの恐れがある。

 ウクライナ侵攻直後、家族などに促されていち早くハンガリーに移っていた若者は、アルジャズィーラの取材に「仲間たちはこの戦争が‘経済的自殺’になるといっているが、自分もそう思う」と応じている。

 日本を含む西側からの経済制裁がこれまでになく強化されるなか、こうした悲観論がさらに広がることは避けられない。

 これに加えて、「戒厳令が施行される」というウワサが国外脱出の動きに拍車をかけている。戒厳令は大統領に非常大権を認めるもので、いわばプーチンに全権を与えるものだ(現段階でプーチン政権は戒厳令を検討していないと強調している)。

 それにより、国外との移動が完全に停止されるだけでなく、強制的な徴兵も可能となる。だからこそ、徴兵の対象にされやすい若者ほど国外に逃れようとするし、家族がそれを後押ししても不思議でない。

将来的な衰退への道

 エスカレートする若者の国外待避は、ロシア自身にとっての大損失だ。

 もともとロシアでは国外移住を目指す人々が多く、この20年間で500万人が国を出たが、この傾向は最近特に強くなっており、2016-2019年だけでその数は30万人にのぼるといわれる。この移住者数はヨーロッパ大陸で最大規模である。

 特に高学歴の若者ほど国外移住の傾向が強いとみられるが、その大きな要因には「ロシアに機会がない」ことがある。ウクライナ侵攻以前のことだが、フルブライト奨学金を得てアメリカに留学し、修士号までとった女性は、モスクワ・タイムズの取材に、帰国後のロシアでは「海外での評価は過大評価されたもの」といわれて相手にされず、就職もままならいと嘆いていた。

 このように閉鎖的なシステムの裏返しで、ロシアではもともと優秀な人ほど国外に流出しやすかったわけだが、ウクライナ侵攻はこれに拍車をかけている。カーネギー財団のアレクセイ・コレスニコフは「この‘大脱出’は国家の凋落を意味する」と指摘する。

 チャンスのある高学歴の若者ほど国外を目指す「頭脳流出」は、かつてはアフリカなどの貧困国の専売特許だったが、最近では香港などでも確認されている。

「愛国心」の逆効果

 こうした‘大脱出’は、「愛国心」の逆効果といえる。

 プーチン政権はこれまでも愛国心を鼓舞してきたが、ウクライナ侵攻後はそれがさらにエスカレートしている。ロシア政府スポークスマンは3日、反戦デモの頻発に関して「今は分断の時ではない」、「今こそ大統領を中心に一体となるべき」と強調した。極右勢力はこうした論調に足並みを揃えており、それに呼応する有名人や文化人も皆無ではない。

 しかし、そこには異論を一切認めない姿勢が鮮明だ。5日、ロシア議会は戦争に関する「フェイクニュース」を拡散した者に最長15年の懲役を科す法律を可決した。

国を愛せよといわれても、自分を愛してはくれず、それどころか多くの国民の窮状や声を無視しながら、一方的に都合よく結束を呼びかける国に、そこまでつき合わなければならないものなのか。「愛国心」が声高に叫ばれれば叫ばれるほど、こうした疑問や不信感がロシアの若者に渦巻いても不思議ではない。

 おそらくプーチン政権の重鎮たちの頭には、2014年のクリミア危機があるのかもしれない。

 欧米の批判や国内の反対を無視してクリミアを力ずくで編入し、それを既成事実にしてきたプーチン政権は、これによって「押し切れば何とかなる」という成功体験を得たことだろう。NATOの東方拡大への拒絶反応が根っこにあるとしても、この「成功体験」がウクライナ全土へのなりふり構わない攻撃を加速させたとすれば、若者の‘大脱出’は既定路線にのみこだわって爆進するリーダーへの異議申し立てといえる。

 それはかつての成功体験を拠り所にトップダウンの方針をゴリ押しし、部下や現場の声さえ聞かないのに、チームワークだけをひたすら求めるワンマン経営者のもとから人が去っていくのに近い。そうした場合、どこにも行けない者だけが残り、ドロ船はさらに底が抜けやすくなる。

 だとすると、ウクライナ侵攻の結末がどうなるにせよ、ロシアの現体制が続く限り、優秀な人材の流出はとまらないだろう。プーチン政権の暴走はウクライナや世界はいうに及ばず、ロシアの将来にも暗い影を投げかけているのである。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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