中国のゼロコロナ政策はリスクではなく世界の防波堤
著名な国際政治学者イアン・ブレマーが社長を務める米調査会社ユーラシア・グループが1月3日に公表した2022年の「世界の10大リスク」。
日本でも大きく報じられたが、目を引いたのは一位に予測されたのが中国だったからだ。しかも習近平政権が誇る「ゼロコロナ政策(以下、ゼロコロナ)の失敗」が世界経済に深刻な打撃を与えるというシナリオだから刺激的だ。
根拠とされるのは、感染力が従来の変異とは格段に違う新型コロナウイルス(以下、新型コロナ)の変異株、オミクロン株の登場だ。これに国民の封鎖疲れが重なって社会が混乱するとの予測だ。中国が乱れればサプライチェーンも破壊され、その影響が世界経済にも及ぶという。
もっとも直近の感染者数をみる限り、ゼロコロナが限界に達したとは判断できない。それでも日本のメディアが危うさを取り上げて盛り上がるのは、どこかで「ゼロコロナの敗北」を面白がっているからかもしれない。
ユーラシア・グループの予測したリスクは、もし的中すれば世界経済に大打撃がもたらされるものだ。混乱は間違いなく日本経済も直撃する。他人事ではない話のはずだ。
言い換えれば中国の徹底した感染の抑え込みこそが、その防波堤だという見方もどこかでなければならないはずだ。
しかし、日本のメディアは概して中国のやり方に批判的である。なかでも多いのが、人権からの視点での批判で、多いのが「行動制限が厳しすぎる」だ。「人権が守られている国は真似のできない対策」という表現で、間接的に中国を揶揄することもある。
日本よりはるかに人権意識の強い国でロックダウンが繰り返されている事実や、中国のロックダウンがSARS(重症急性呼吸器症候群)後に制定・修正された法律をベースに発せられたという基本的な事実も無視――知らないのかもしれないが――している記事がほとんどなのも気になる。
そもそも本当にそんなリスクが到来したとしたら、世界は無事でいられるだろうか。日本がもし、単にサプライチェーンの混乱程度で済む問題だと考えているのだとしたら、明らかに想像力の欠如だ。
では、どんな混乱が予測されるのか。
思い出されるのは、アメリカのキッシンジャー元国務長官が語った言葉だ。かつて同氏は中国を「西ヨーロッパとアフリカが一緒になった国」と表現した。言い得て妙であり、中国の感染症対策を語る上で、この特徴的な言葉こそ有用なものはない。
前回の記事(「中国のゼロコロナ政策は本当に失敗したのか?」https://news.yahoo.co.jp/byline/tomisakasatoshi/20220124-00278853)でも書いたように、もし中国が早期の消火に失敗すれば、瞬く間に医療崩壊が全国へと広がり、一定の期間放置される地域が出てくることは容易に想像される。そして新型コロナウイルスの特徴を考慮すれば、この次に浮上する悪夢のシナリオは、中国国内で多種多様な変異株が次々に誕生してくるという展開だ。
これが世界にとってどれほどの脅威となるだろうか。
かつて中国は、結核治療においてこのシナリオと近似した状況に陥った。農村によって病院が近くになかったり、あっても治療費が高くて負担できないといった理由から、結核にかかった患者が途中で治療を放棄してしまうケースが続出したのである。
結核は完治するまで薬を飲み続けなければ新たな耐性を備えた菌へと進化してしまう病気である。結果、治療を中断した患者の体内で強力となり、最終的には多剤耐性を備え、薬の効かない恐ろしい結核菌を作り出してしまったのである。
結核と新型コロナを簡単に比較すべきではないかもしれない。だが医療の手が届かない空白地帯は、いまも中国には多く、そして厳然と存在し続けている。だからもし、中国に医療崩壊が起き、全土で次々と変異株が生れるような状態に陥れば、日本の危機感は現在のレベルで済むはずはなかっただろう。
つまり中国のゼロコロナは、単に自国のための感染対策という枠を超えて、世界にとっての防波堤の機能を果たしているといったのはこうした理由からである。
独裁色の強い隣国が感染対策の成功を誇っているのを面白くないと思う心理は理解できる。それが読者にアピールすると考えることも分かる。しかし、一定の節度はあってしかるべきだろう。