人類で最初のマラソンランナーが死亡した原因は、世界で最初に日本で報告された病気だった。
マラソンの由来は、紀元前490年の8-9月頃にあったとされるマラトンの戦いと言われています。それはギリシャとペルシアの戦いで、両軍はマラトン平野で行われていました。戦況はギリシャが勝利に近づきつつあったものの、敗勢のなかペルシアの船がギリシャの中心地のアテネへ進路を変えたそうです。アテネに偽りの主張・襲撃をされることを危惧したギリシャ軍は、フィリピデスを使者としてアテネに向かわせます。
フィリピデスは身体をできる限り軽くするために、武器や衣服さえも脱ぎ捨てて40kmを走り、アテネで開かれていた集会に転がり込むと「我々は勝った!」と叫び、そのまま倒れてなくなったとされています。この話がマラソンの起源になったため、彼は世界で初めてマラソンを走った人とされています。
ですがこのフィリピデスが走ったのは、この40kmだけではありません。
ペルシア軍に比べて兵数の少ないギリシャ軍は、この戦いの前にスパルタに援軍要請の使者を送っています。その使者もフィリピデスで、240kmの距離を36時間で走ったと言われています。そしてその後アテネに戻ってマラトンの戦いに付き従い、勝利の目前でアテネまで40km走って戦勝報告し、そののちに亡くなったのです。
その死因については、心臓発作と推察されています。
それは彼の大理石の墓碑(右の絵)の、表情と手指の形からです。心臓発作の典型的な兆候は、前胸部が締めつけられるような痛みで、墓碑からはそんな症状が見て取れます。そしてそのときの心臓発作の原因には、二つの説があります。
一つ目はアテネ~スパルタ・スパルタ~マラトンという2回のウルトラマラソンと、それから数日以内のマラトン~アテネのマラソンの際に、心臓を栄養する血管が詰まって心筋梗塞で亡くなったという説です。そしてもう一つは運動による身体的ストレスで、ストレス性心筋症と言われるタコツボ症候群が生じ、最終的には致死的な不整脈を引き起こしたというものです。
一番新しい今年4月の文献では、冠動脈狭窄をおこすような病歴や危険因子については不明である一方、継続する強い身体活動により交感神経が過度に刺激され、タコツボ症候群を引き起こしたという文献が多数報告されてきており、後者を有力としています。
たこつぼ症候群とは、1990年に広島市民病院の佐藤光先生が世界で初めて報告した疾患です。原因は不明ですが、身体的、感情的ストレスや興奮によって引き起こされる心臓の壁運動異常で、死亡することが多い疾患とされています。ウルトラマラソン2回とフルマラソン1回という強い身体的ストレスと、戦勝報告という高揚でたこつぼ症候群が引き起こされ亡くなってしまったのです。
そんな命を懸けて使者・伝令を全うした彼の偉業に思いをはせ、現代ではマラトン~アテネ間の40km(現代は42.195km)と同距離を走るフルマラソンや、実際に現地でアテネ~スパルタ間の245kmを36時間で走破するスパルタスロンが開催されているのです。
表紙の写真はWikipediaより