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『クリーピー 偽りの隣人』に見る、「ドラッグで洗脳」の不自然

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
「ねえ、ご主人と僕とどっちが魅力的ですか?」は良かったが……。写真は映画祭提供

日本でヒットした『クリーピー 偽りの隣人』。シッチェス国際ファンタスティック映画祭の公式コンペティションに参加したが受賞は無く、スペインの観客とメディアの反響も今一つだった。主人公とその仲間があまりにあっけなく罠に落ちて行くシーンでは少し笑いも起きた。「そっちへ1人で行っちゃ駄目だって!」と心の中で叫んだ者は私だけではなかったようだ。

作品を見ての私の感想は「小説より現実の方が怖い」だ。

実際の事件の方が怖い

映画について予備知識はなかったが尼崎連続殺人事件をモデルにしていることはすぐにわかった。NHKスペシャルの未解決事件を見ていたし、2カ月前に『モンスター 尼崎連続殺人事件の真実』を読んだばかりだったからだ。周りのスペイン人たちに「これって日本で本当に起こった事件なんだよ」と教えたくなったが、それはフィクションより事実の方がもっと怖いことを伝えるためだ。

映画に出て来るドラッグ。

あんなに都合良く人を意のままに操れる薬物があるだろうか? 尼崎の事件では精神的・身体的な虐待(監禁、飲食の制限、肉親への暴力など)によって人格を崩壊させることで洗脳し、薬など使っていなかった。

依存性のあるドラッグもあるから、何となく人を操れるような効果があると思いがちだが、よく考えれば依存はドラッグへの依存であり、人への依存ではない。

売人の言うことを聞くのはドラッグ目当てであって、当然クスリの切れ目は縁の切れ目である(実際、映画でもそうなる)。クスリ欲しさに売人を殺すなんてことも起こり得るから、何家族も乗っ取ろうと思ったら危なくてドラッグなんかに頼っていられない。

クスリの切れ目は縁の切れ目

尼崎の事件のような虐待や暴力による洗脳は時間も手間もかかるが、その分命令をする者とされる者の支配関係はより属人的になり、ドラッグのように薬の支配者が代わる度に隷属先が代わるなんてことは起きない。洗脳である限り、自らの意志によって主に従っているのだから支配関係はより絶対的で、謀反が起きにくい。

洗脳の過程でドラッグに使い道があるとすれば、せいぜいオウム事件のように幻覚を見せて教祖のカリスマ性を高めるくらいである。

もちろん周りをいくらドラッグ漬けにしても教徒は生まれない。教祖になろうと思ったらその人物と経典がメインであり、クスリは補助に過ぎない。

尼崎事件の犯人の邪悪さは、ドラッグなどに頼らず、無慈悲で圧倒的な身体的・精神的な暴力によって人を支配し、肉親同士で殺し合いをさせたところに凝縮されている。しかも、主犯は精神科のマッドサイエンティストでも拷問のプロでもなく、普通のおばちゃんだった。

それに比べると、『クリーピー 偽りの隣人』の犯人はお手軽にドラッグを使い、薬物依存を個人崇拝と勘違いする浅はかさで墓穴を掘った。自業自得と呼ぶべきだが彼の業はあまりに浅く、あのおばちゃんに比べると怖くも何ともない。

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

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