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朝ドラ『おちょやん』と『エール』裕一は二歳違い 設定差から見える『エール』が至高のドラマだった理由

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

『おちょやん』浪花千栄子は明治40年生まれ『エール』古関裕而は明治42年生まれ

新しい朝ドラ『おちょやん』はいかにも大阪らしい始まりだった。

大阪とはいえ、「河内」から物語は始まった。

やがて舞台は「摂津」へと移っていく。(道頓堀は摂津にある)。

この微妙な大阪内の別のエリアを描き分けているところが、大阪制作ドラマらしい味わいである。

『おちょやん』のモデルは浪花千栄子。

1960年代には現役だったし、テレビでもよく見かけた。強く印象に残る人である。

生まれは明治40年(1907年)。

この前のドラマ『エール』のモデル古関裕而は明治42年(1909年)生まれだったので、ふたりは二歳違いの同世代である。

つまり再び、大正時代から昭和にかけて、という同じときを、朝ドラで追いかけることになる。だれかが「時を戻そう」と声をかけたみたいだ。

親に捨てられた『おちょやん』と、蓄音機のある家で育った『エール』

『おちょやん』の始まりは大正5年(1916年)で、主人公の千代は9歳だった。

冒頭の口上で「たった9歳で親に捨てられ」と紹介され、第一週めはその「親に捨てられるまで」を描いていた。

継母役・宮澤エマの存在感が凄まじかった。この人はこれからいろんなドラマで見かけるようになるのではないだろうか。そう予感させる力強さと妖しさがあった。

お千代は、大正5年、水道はもちろん井戸もない河内の山奥で、家事を担っていた。水を確保するのに大変そうだった。

前の朝ドラ『エール』の第3話は大正8年で、主人公の裕一は自宅の蓄音機で西洋音楽に聴き入っている。

この蓄音機は2歳下の弟が生まれたときに買ったものだというから、明治末年から蓄音機のある家で育ったことになる。

当時の蓄音機はいまでいうなら「超高級外車」というあたりだろう。

『エール』はそういう意味で、かなり異色の主人公だった。

貧しい家に育つと字が読めなかった時代

『エール』の前の朝ドラ『スカーレット』は昭和の戦争が終わってからの物語だったが、ここでも主人公の家は貧しかった。

貧しい家に育つと、まともに学校に通えずに、字が読めない。

それが明治から昭和初期にかけての、日本の現状だった。

『スカーレット』の2話で、主人公・喜美子は教科書の字が読めず教室で困るシーンがあった。『おちょやん』でも同じ2話で、教科書の文字が読めずに立ち往生している風景が描かれていた。

いちおう『スカーレット』は戦後の話なので、そのあと学校に通いつづけて、読み書きに問題はなくなったようだが、『おちょやん』は大正時代なので、そのまま学校に行っていない。読み書きを習っていない。独学で習得するしかない。(やさしい旦那さんたちに教わったようだったが)。

ともに、かなり厳しい状況で育った女主人公である。

もうひとつ前の朝ドラ『なつぞら』もまた、戦争で親を亡くし家もなくなり、戦災孤児となった女の子が主人公だった。北海道の農場に引き取られるまでは、かなり悲惨な生活だった。

ここのところの朝ドラでは、貧しい少女が、何とか自力で世界を切り開くパターンが多い。力強いストーリーだ。

『おちょやん』とは別世界の、恵まれて育った『エール』

『エール』はちょっと違っていた。

主人公は、かなり裕福な育ちである。

幼いときから自宅の蓄音機で音楽に慣れ親しんでいた。そこから作曲家への道を歩んでいく。

彼は曲を作るのに、苦しんでいるようには見えなかった。

もちろん創作に苦労はするだろう。湧き上がってくるものを形にするには、かなりの努力が必要である。でも、曲が浮かばないということはなかったようだ。涌いてくるものを、多くの人に受け入れられるようにする作業に、苦心していた。

音楽そのものは、陽の光のように、主人公に降り注いでくるようだった。

そういうシーンが端々に描かれていた。天賦の才で人生を歩んだ人物だった。

NHK朝ドラとしては、かなり珍しい題材である。

それでも、見ていて元気になった。

タイトル通りの「エール」を送られた気分だった。

『おちょやん』『スカーレット』『なつぞら』のヒロインの力強さ

いまの『おちょやん』も前々作の『スカーレット』も、貧しい育ちだからこそ、彼女たちはエネルギッシュでどんどん前へ出ていく。

成長したのちも、自分の力で世界を切り開いていく。

『おちょやん』は芝居の世界で、『スカーレット』は陶芸で、『なつぞら』はアニメ制作で、自分の世界を作り上げていった。

貧しさを笑われても、それをはねのけるパワーを持っていた。言われたら言い返す。自分からどんどん前へ出ていく。ある意味、生意気だし、大人の言うことをなかなか聞かない。

そういう彼女たちのパワーをもらうドラマである。

元気がほとばしっているから、それを少し分けてもらう。

ただ、正直なところ、見ていてちょっとついていけないときもある。

大人として見ていると、もうちょっと人の話を聞いたらどうだろう、と、ときどきおもう。

でもそれが正統派の朝ドラヒロインである。

貧乏な育ちでなくても、中くらいの家庭でも(「半分、青い」)、いいところの出でも(「まんぷく」「あさが来た」)、朝ドラのヒロインは、もともとの場所に安住せず、自分のやりたいことを押し通して、道を切り開いていく。

それが朝ドラである。

『おちょやん』や『スカーレット』は修羅の物語だった

『エール』は、それに比べてもっと穏やかであった。

主人公の裕一は、運動はからきしだめだったし、喧嘩も弱い。

あまり自己主張しない。負けん気の強さも見せない。

女の子との取っ組み合いでも負けてしまい、そのあと照れ隠しにへらへら笑う少年だった。“大将”に、悔しいときに笑うな、と怒られていた。

ふつうの、弱々しい少年が主人公だった。

たぶん、このドラマはそこがよかったのだ。

「正統派の朝ドラ」は厳しい状況で育ち、そこを抜け出すために戦いつづける。

きつい言い方をするなら「修羅の物語」である。

もちろん周囲に愛され、助ける人がいて、またヒロインはまわりを助けていく。友愛にもたくさん包まれている。

でも、芯の部分ではたった一人で最後まで戦い抜くしかない。

当人には修羅を生きる覚悟がないと成り立たない。そういう物語である。

「私は音楽を愛していた。きみは音楽から愛されていた」

もちろん『エール』の主人公も、たった一人で戦っていた。

ただ、彼はほかの人より抜きん出ようとして戦っていたのではない。

ドラマの最終話で(119話)、志村けん演じる小山田耕三の手紙が紹介されていた。

「私は音楽を愛していた。きみは音楽から愛されていた」

天才が天才を評して、その才覚をひと言で表していた。

主人公・裕一は、無理をせず、ごく自然に生きているように見えた。飄々として、だからこそ、より神の領域に近づいていたようでもあった。

106話では、作詞家となった幼なじみの“大将”と、劇作家の池田が、主人公のことを話していた。

「あいつは、どんな依頼でも受ける、何でも書くが、それの質がすべて高い」

大将はそういって、おれは、自分のなかにないものは書けない、と言う。

池田は、そうか、きみはおれと同類かと言ったあとに、主人公裕一の本質について語る。

「彼が何でも書けるのは、どんな題材にも自然と感情を寄せていけるからだとおもうんだよ。何でも受け入れて愛せる素直さは、もともとの性格もあるだろうけども、愛情に恵まれて育った人間ならではって気がする」

そう評する。

きみやぼくには、そこが欠けてるのさ、と自嘲気味に語っていた。

この言葉が『エール』の主人公の本質と、このドラマそのもののテーマに触れていたようにおもう。

『エール』が風通しのいいドラマになっていた理由

クリエイティブな仕事というのは、自分のやりたいことだけをやっていればいいというものではない。仕事は仕事である。

依頼があり、方向性が示され、受け手の嗜好を考えて作らないといけない。

作詞家の“大将”や、劇作家の池田は、自分の中にある何かしらを掻き集めて、その「要望」に沿ったものを作ろうとする。

ところが、裕一は、やすやすとそれを越えていく。

ごく自然に、ふつうにそれができる。

同時代人から見ても自然なぶんとてつもない存在に見えたのだろう。

だから『エール』の味わいは違っていた。

音楽に愛され、自然に振る舞い、だからこそ時局にも巻き込まれていく。

私たちはそういう半生を眺めていた。

『おちょやん』とは正反対である。

お千代は、この世界に居場所がない。おそらくそうおもっているだろう。自分で必死で獲得しないかぎり、9歳の女の子が生きていける場所がないのだ。

『エール』の裕一は、自分がこの世界にいていいかどうかということさえ疑ったことはなかったはずだ。だからこそ「人を励ます音楽」を次々と作っていく。

畏るべき才能を持ち、気負いなく、自然に振る舞っていた。

ごく近くからみるかぎりは、ふつうの人のように見える。

彼に押しつけがましさがないため、朝ドラらしからぬ風通しのよい仕上がりになっていたとおもう。

世俗を超越し仙人であるかのようだった晩年

最終話で、主人公は、いまも自然に音楽は涌いてくる、という話をしていた。

引退同然となり、なぜもう曲を書かれないのですかと若者に問われ、いまでも曲は涌いてくる、でももう自分ひとりで楽しみたい、と言う。

世俗を超越している。

穏やかにふつうに話していたが、何かの境地に到達した「超人」のようであり、神仙思想でいえば「仙人」に近い。

神との会話が可能だ、と言ってるようなものである。

至高の境地に達しているようだった。だからこそ穏やかだったのだろう。

『エール』の妻は「修羅の道」を歩んでいた

いっぽう彼の妻・音は、歴代朝ドラヒロインと同じような「修羅」を歩んでいた。

欲しいものはすべて欲しいと願った。わがままを言い通していた。

歌手も、家庭も、と欲しがっていた。

でも、それは叶っていない。(このあたりは史実とは少し違うようである)。

ドラマの終盤、夢だった舞台での主演を辞退し、隣家の喫茶店の妻にだけ自分の心情を語る。「私は、ここまでの才能の人間だった」と正直に語っていた。

胸に刺さるシーンであった。あまり朝ドラでは見かけない正直な心情吐露である。

史実と離れてまで、妻を修羅の道(戦いの道)から引き離して描いたのは、おそらく『エール』というドラマのテーマを貫徹するためだろう。

最終話ラストシーンでは、彼女が病いの床にいながら、海が見たい、と言いだす。

衰えた足で歩いていたが、ふっと、若かりし日に舞い戻り、砂浜を駆け回る。

それがテーマ曲のシーンにつながり、見ているものの心を打った。

若さが、ただ、美しかった。

それはそれで、また、とてつもない哀しみも含んでいた。

このラストシーンは、朝ドラ史上まれにみる“爽やかな一篇”だった『エール』を象徴していたとおもう。

オリンピックではなく打ちひしがれた世界に「エール」を送った奇蹟

『エール』はまさに「神に愛されていた男」のドラマだった。

歴代朝ドラとはまったく違う存在だった。

徹頭徹尾、初夏の爽やかな風が吹きつづけているようだった。

何でも受け入れる姿勢だから、昭和の時局と密接につながってしまったのだろう。昭和の戦争シーンが独特の視点で描かれたのは、主人公のおおらかさが招いたものだったとおもわれる。

そして、本来は「2020東京オリンピック」開催中に放送されている予定だったドラマだ。

私たちはオリンピックの熱狂にはさまれて見るはずだった。

でも世界は一変した。そしてもっと切実に「エール」が必要な世の中になった。

そのおりに、この「みんなを応援するドラマ」が放送されたのは、何かしらの天の配慮があったかのようだった。

これもまた「彼」の起こした奇蹟だったように見える。

まさに「至高」のドラマだったといえるのではないだろうか。

飄々としているからこそ、おそらく神の歌声が聞こえていた音楽家の物語は、「至高」というにふさわしい。

そしてそれに元気づけられていた半年(再放送を入れると8か月)であった。

こんどは『おちょやん』の世界を切り開く力が、私たちに強く生きる元気を与えてくれるのだとおもう。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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