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世界的にも貴重な諏訪湖「御神渡り」578年の記録 幕末から明治に観測の切断が起きたのはなぜか

森田正光気象解説者/気象予報士/ウェザーマップ会長
昭和38年2月2日御神渡り拝観式 国土交通省中部地方整備局天竜川上流河川事務所

 1月23日(日)、最低気温が-8.3度まで下がった長野県諏訪湖では今シーズン9回目となる全面結氷が確認されました。

 諏訪湖の真冬の最低気温は-6~-7度くらいですから、湖全体が凍ることは珍しいことではありません。注目すべきは、このあと諏訪湖特有の現象である「御神渡り(おみわたり)」ができるかどうかです。

御神渡りとは

諏訪湖の御神渡り photoAC
諏訪湖の御神渡り photoAC

 御神渡りというのは全面結氷した湖の氷が、昼夜の温度差によって膨張・収縮を繰り返し、一瞬にして氷に亀裂が入り、神様が通った跡のように見える現象です。

 御神渡りができるには、気温の低さのほかに雪が少ないこと、朝晩と日中の気温差が大きいこと、さらには湖の形が丸いことや、水深が浅いことなど地理的な要因もあります。したがって北海道の屈斜路湖などを除くと、本州では諏訪湖しか見られない珍しい現象です。

578年間も続く記録

 さらに、この諏訪湖の「御神渡り」は、西暦1443年(室町時代)から約580年にもわたって続けられている、他に類をみない「気象観測」でもあります。

 御神渡りはもともと「神事」としてその形状をもとに、農作物の吉凶やその年の動静などが占われてきました。拝観式をとりおこなう諏訪市にある八剱神社は、その結果を「御神渡注進書」として当時の幕府、やがては宮内庁や気象庁へも報告し、それが現在も続いています。

 天文現象ならいざしらず、気象現象をこんなに長い期間、連続的に記録している例は世界的にも珍しく、事実、その記録は科学雑誌「ネイチャー」などにも”omiwatari”として取り上げられるほど世界的にも価値のあるものです。

 諏訪湖の御神渡りがニュースになるのは、単に季節の風物詩だからというだけではなく、こういった理由もあると思います。

 しかし、この観測を仔細に見ると、明治時代に「観測の切断」が起こっていた事実があったようなのです。

観測の切断

 この世界的にも貴重な記録に若干の瑕疵(かし)を指摘したのが、長野県諏訪市出身の気象学者、藤原咲平(ふじわらさくへい1884年・明治17~1950年・昭和25)です。

 藤原は第5代中央気象台長(現・気象庁長官)で著名な気象学者でもあります。その藤原が、大正15年発行の「雲をつかむ話(岩波書店)」(復刻版・大空社)という本の中で、諏訪湖の御神渡りについて、以下のようなことを述べています。

諏訪湖の神渡記録は、その昔、諏訪湖の結氷及び裂開の期日と、その裂開の模様とを、湖畔の小和田村からの報告に基き、諏訪神社から時の奉行所に報告したもので、足利時代(1443年)から今日まで大体連続して残っている。このような記録はどこにも無い。ただちょっと残念に思うのは明治初年から30年ほどの記録が欠けていることだ。

と、御神渡りの記録に不備が有ることを指摘していたのです。※現代語に変換 足利時代は原文の通り

 これまで私は、諏訪湖の御神渡りの記録が長きにわたって存在することは知っていましたが、その中身については詳しく検討したことはありませんでした。

 そこで、元飯田測候所員・米山啓一氏が1988年(昭和63)に書かれた「諏訪湖の御神渡り」を参考に出現起日を確認してみると、1865年(元治2)に「欠」(観測していない)と書いてありました。さらに、1873年(明治6)から1892年(明治25)は、御神渡りが起きた日付がまったく書かれていません。

 なんと、約580年間、ほぼ完璧に記録が残っていると思っていたら、幕末から明治25年までの御神渡りは、観測した日付が欠落しているのです。これは、「観測の切断」といっていい状況でしょう。

 観測の切断と聞いて思い出すのが、一昨年の秋、気象庁が「生物季節観測のうち、動物についての観測を全部止める」と発表した件です。それに対して、それは「観測の切断」になるのではないかとの意見も寄せられ、現在、気象庁と環境省では、新しい生物観測の方向が検討されています。

 「観測の切断」とは、長期間にわたって観測されていた記録が、観測を止めたことによって途切れてしまうことで、その途切れた状況によっては長年の観測成果が毀損してしまうことを意味しています。(過去記事参照)

明治期に御神渡り出現日が観測されなかった理由

 ではなぜ、幕末から明治に観測の切断が起こったのでしょう。

 それは幕末の混乱が一つの理由として、具体的には明治4年の太政官布告で御神渡りの拝観・注進行事の廃絶が決められたことが原因のようです。このことについても藤原は本の中で触れています。

元来、御神渡りの観測は敬神の意味からなされたものでありますが、御維新に際しその頃の新しがり家が、氷は膨張して割れるものだ位に片づけて、こんな迷信はやめた方がいいと観測を中断してしまったのです。

と、書いています。

 明治維新に関しては、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)とか文化財の破棄(破壊)などの負の側面もあったとの研究がありますが、御神渡り観測記録も、近代化の名によって存続の危機にあったのです。

 幸い、その後小和田村の有志によって観測は継続され、1893年(明治26)には諏訪神社の要請によって拝観・注進行事が再開され今日まで詳しい記録が残っているわけです。

 藤原は、「昔からやり来ったことを、小智慧を働かせて変更する事は、余程気を付けねばなりません」とも、書いています。

今年の御神渡りの状況

諏訪湖の様子 1月23日(日)友人撮影
諏訪湖の様子 1月23日(日)友人撮影

 私は1994年の1月に、この御神渡りの取材に行きましたが、その時には残念ながら見ることができませんでした。近年は発生そのものの頻度も少なくなっています。

各新聞記事などをもとにスタッフ作成
各新聞記事などをもとにスタッフ作成

 東京都立大学の三上岳彦名誉教授らの研究によると、1980年代後半ごろから出現確率が顕著に減るようになって、それまでは4年に3回起きていたのが1987年以降は4年に1回しか現れていないとのことです。

 御神渡りが出現するためには、全面結氷してから少なくとも-10度前後の日が2~3日続くことが必要で、また風があると、せっかく凍った表面の氷が壊されたり、湖水がかき混ぜられたりして、凍るためには案外、様々な条件をクリアしなければなりません。

1月21日(金)からの最低気温の推移と今後の予報 (出典:ウェザーマップ)
1月21日(金)からの最低気温の推移と今後の予報 (出典:ウェザーマップ)

 このグラフでみると、今年はこのあと寒気がいったん弱まり、再び強まるのは月末以降になりそうです。ただ、寒気の入り方が昨年より強いので、御神渡りが4年ぶりに出現する期待ももてるでしょう。

 今年、御神渡りのニュースに接したら、大昔から人々が連綿と観測してきた現象だと考えると、ニュースの感じ方も違ったものになるかもしれません。

参考

「雲をつかむ話」藤原咲平著 岩波出版(2010年大空社発行復刻版)

「語りつぐ天竜川10巻 諏訪湖の御神渡り」米山啓一著 国土交通省中部地方整備局天竜川上流河川事務所HP

「信州の空模様」荒井伊佐夫著 信濃毎日新聞刊

気象解説者/気象予報士/ウェザーマップ会長

1950年名古屋市生まれ。日本気象協会に入り、東海本部、東京本部勤務を経て41歳で独立、フリーのお天気キャスターとなる。1992年、民間気象会社ウェザーマップを設立。テレビやラジオでの気象解説のほか講演活動、執筆などを行っている。天気と社会現象の関わりについて、見聞きしたこと、思うことを述べていきたい。2017年8月『天気のしくみ ―雲のでき方からオーロラの正体まで― 』(共立出版)という本を出版しました。

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