ブロンクスの夜空に「あとひとつ」が流れた日。ヤンキース・田中将大投手の本拠地初完封勝利の舞台裏。
背番号「19」が、九回のマウンドに走った時、ヤンキースタジアムは一瞬、ざわめき、次の瞬間、ウォーという大歓声が沸き起こった。本拠地にレイズを迎えた17日(日本時間18日)の首位攻防戦第1戦。二塁を踏ませぬ好投のヤ軍先発・田中将大投手(30)の球数は八回終了時点で100球に達し、ブルペンでは守護神チャップマンが肩をつくっていた背景もあり、田中は“お役御免”と見る向きもあったからだ。続投だ…。ゾクゾクした瞬間、聞き覚えあるメロディーと日本語の歌詞が耳に飛び込んできた。えっ? 記者席の隣にいたヤ軍・佐藤芳記広報が、自らの携帯電話で球場の様子を撮影しながら、「あとひとつ、です」と、私に言ったー。
メジャー移籍後、6年間、温めてきたサプライズ企画がついに実現した瞬間だった。入団1年目から田中と球団側は「リードして九回のマウンドに上がった時」という限定で、ファンキー・モンキー・ベイビーズの名曲「あとひとつ」を球場に流す計画を立てていた。田中がプロモーションビデオにも起用され、2013年日本シリーズ第7戦(対巨人)、胴上げ投手となる田中が九回のマウンドに向かう際、Kスタ宮城のファンが大合唱したシーンは、今でも語り草となっている。
実現は想像以上に長い年月を要した。田中は過去に3度の完封勝ちを含め、5度の完投勝ちがあるが、全て敵地でのもの。2014年6月28日の本拠地でのレッドソックス戦は、完投も九回の時点では1−1の同点で実現していない。(因みに、九回二死からナポリに勝ち越しソロを許し、敗戦投手となった)。田中自身でさえ、試合後「そういえば、そういう演出があったな、と思い出した」と振り返った程だ。佐藤広報は、八回終了時点で球場の音響担当者の元に確認に走っている。担当者は「I Know」と返したという。田中の好投、球団の配慮、裏方役の準備という各方面のコラボで実現した名演出となった。
ブーン監督は、「最後は、打者1人ずつ様子をみるつもりだったが、マサが非常に効率良く投げていたのが、大きかった。彼も、フィニッシュ・ラインの匂いを感じていたと思う」と続投策の背景を説明した。田中は「去年、今年とずっと続くと予想しちゃうじゃないですか。だから、どうだ?と聞かれて、投げていいんだ、行かせてくれるんだ…という気持ちでしたね」と振り返る。今季だけも、1失点なのに90球以下で降板した試合が5試合もあったからだ。
先発と中継ぎの分業化が進んだ昨今、完投試合は激減した。100年前の1919年には全体の58%あった完投試合は、60年代に20%代に、90年以降は10%を切り、ここ3年は、ついに1%と絶滅種化している。昨年の完投試合は両リーグ全4862試合中42試合。一方で満塁本塁打は141本。完投試合に遭遇するのは、貴重な体験なのだ。それだけに「あとひとつ」が流れる中に沸き起こった歓声には、先発投手へのリスペクトと労いが入り混じった賛美があり、快挙に立ち会える野球ファンの喜びが満ちていた。本塁打が乱れ飛ぶ打撃戦は楽しいが、渾身のピッチングゲームに酔いしれる夜もあっていい。
それにしても、あの日の球場の雰囲気は、どこか特別だった。七回から客席でウェーブが始まった。右翼席から左回りに最初は1階席から、徐々に上階席を飲み込み、球場全体に波状化していった。八回は二死走者なしで打者ウェンデルをカウント0−2に追い込むと、ファンは総立ち。圧巻の3球三振でボルテージは更に上昇。客席と一体化しながら、九回の演出を誘う舞台装置が出来上がっていった気がする。楽天時代からファンの期待を背負い、それを、マウンドで実践してきたパフォーマー・田中の真骨頂が溢れる試合だった。