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妖怪さえ惹きつける小芝風花の力 『妖怪シェアハウス』で見せた可能性

堀井憲一郎コラムニスト
(提供:KIMASA/イメージマート)

夏向き手軽なドラマ『妖怪シェアハウス』に惹かれていった理由

『妖怪シェアハウス』はふしぎで魅力的なドラマだった。

小芝風花の主演、妖怪たちと彼女が一緒に暮らすお話である。

最初は、なんだかゆるーいドラマだなとおもってぼんやりと見ていた。そのまま最後までゆるいドラマだったのだが、途中からすごく楽しみにしてる自分に気がついた。土曜になると、あ、そうだ妖怪ドラマの日か、とちょっと気分が上がるのだ。

おそらく夏向きドラマとして、怪談要素と妖怪要素を入れた軽めのものとして作られたのだとおもうが、ふしぎな魅力に満ちていた。

主人公と同居する妖怪は、ぬらりひょん、座敷わらし、酒呑童子、お岩さんだった。

かなりふしぎなセレクトである。

妖怪らしい妖怪なのは、ぬらりひょんだけである。

座敷わらしは、妖怪とされることもあるが、どちらかというと神の子というか精霊というかかなりスピリチュアルな存在で、あまり妖怪らしさはないうえ、東北地方(特に岩手県)限定の存在でもある。

酒呑童子は、鬼である。ずいぶん昔の鬼で、一条天皇のころだからつまり清少納言や紫式部のころの鬼で、ちょうど西暦900年代から1000年になるころの、前のミレニアム時代の鬼である。

お岩さんは文化文政のころに大人気となった怪談の主人公で、これは1800年代ですね、つまるところ幽霊だ。

鬼や幽霊は、いちおう鬼、幽霊という妖怪とは別の立派なカテゴリーが立てられているのだから、あまり妖怪らしい存在とは言えないのだが、でも、このドラマでは、べつだんそんなことを気にしなくてもいいんである。

この、変な取り合わせの四妖怪だったからこそ、このドラマには独特の味わいが生まれていたとおもう。

妖怪たちのやさしさが見てる者を和ませてくれる

小芝風花の演じるヒロインは、とても気を遣う女性で、人のいやがることは絶対にしないようにしていて、そこにつけこまれて彼氏にぼろぼろにされ(身代わりで会社を辞めたうえに借金を背負った)、借金取りから逃げてるときに妖怪ハウスと出会う。

そのままそこに居着くことになる。

最初から妖怪たちはやさしい。そのままずっとやさしい。

途中から目を離せなくなったのは、この「同居妖怪たちの無条件のやさしさ」によるものだろう。そこから生み出される生活は心地よさそうで、見ていてずいぶんと心なごんだのである。

ドラマでは毎回ちょっとした事件が起こって、それを妖怪たちの助力で解決していくのだが、でもまあそんなに大きな事件ではなく(少なくとも人は死なない)、気軽に見ていられるものだった。

気軽に見られて、それでいて心地いいドラマというのは、じつはなかなか出会えない。

これは趣味が合うかどうかが大事な問題だからで、しかもコメディタッチのドラマだから使われているギャグや冗談が趣味に合うかが大きなポイントで、私はこのドラマの細かい冗談群がとても気に入っていた。(たとえば、ネットショッピングのオニゾンの配達が鬼早いとか、黄泉醜女は自分で角を取りはずせるが酒呑童子は無理そうだとか、驚くと揃って「シェー」をやるとか、まあいろいろそういうもの)

「無条件で受け入れてくれる」世界の心地よさ

何話かは繰り返し見返していた(とくに好きなのは、ヤマンバの第6話)。

何故だかよくわからない。

すごくおもしろいから見返していたわけではない。

少なくとも、どうなるのかどきどきハラハラするようなおもしろさはなく、そういうのは半沢直樹さんの活躍を見ればいいわけで(それはそれで見てるんだけど)、穏やかな世界にふれたくて、見返していたのだとおもう。

これはこれで、得がたい作品だとおもう。

主人公(小芝風花演じる目黒澪)の人生は、なかなかおもうようにはいかず、かなり参ってるときに妖怪ハウスと出会い、四妖怪は彼女を無条件に受け入れてくれる(最初は人間なんか入れるとまずいとは言っていたのだが、すぐに馴染む)。

たまたま家の近くで倒れ込んでいたという縁で一緒に暮らし始めた。

そして、いつも彼女の味方になり、助けてくれる。

つまり、何の留保もなく彼女を受け入れてくれた。

たぶん、この「無条件で受け入れてくれた」という部分が、気持ちよかったのだとおもう。

友人のようであり、家族のようであり、言うなれば、双方のいい部分だけを選んで受け持っていてくれているような存在である。

しかも、それが妖怪、というのがよかった。

荒唐無稽な存在で、だからこそその奇妙なあたたかみにリアリティがあったのだ。そこが魅力的な部分だったとおもう。

妖怪たちを巻き込んでいく女優・小芝風花の魔法の力

そしてそれを成り立たせていたのは、妖怪に守られる役を小芝風花が演じていたからだろう。

彼女の明るさとやさしさが、ドラマを方向づけていた。

ドラマは彼女の成長物語にもなっていた。

成長というより、弱かった自分の心を解放するという物語である。

それはそれで元気の出るポイントだが、でも芯の部分はそこではなかったとおもう。

鬼だって幽霊だって精霊だって妖怪だって、困ってると無条件で助けてくれる、というそのやさしい心根が、いっとう大事なところだったとおもう。

そしてそれは、小芝風花が演じたことによって、圧倒的な説得力を持った。

小芝風花が困ってると妖怪でさえ助けようと動く。小芝風花が動き出すと妖怪も引っ張られていく。

そうおもわせる小芝風花の力が、このドラマを強く魅力的にしていた。

どうやら、小芝風花が画面を引っ張っていく力は尋常ではないようだ。

まるで魔法をかけるかのように、魔術的な表情でまわりのものを巻き込んでいく。

表情の魔力だ。

それは強いとき、戦っているときの小芝風花の姿にはあらわれていない。

戦ってる小芝風花は、どちらかというと、かわいい。

小芝風花が力を発揮するのは、悩んでいたり、困っていたり、驚いてる瞬間である。

そういうときに彼女の風貌は強い力を発揮する。

中心の渦となって、周りを強く引き込んでいく。

つまり、困ってる姿で、世界を牽引するのだ。

そういう強さを持った女優である。

あらためて、小芝風花のこれからの可能性を強く感じさせるドラマだったとおもう。

毎夏、この続編が作られないかとちょっと期待してしまう。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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