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ウルトラの父が出迎え…3.11で全壊・再建の市役所には、障害者と働く食堂がある【#あれから私は

なかのかおりジャーナリスト(福祉・医療・労働)、早稲田大研究所招聘研究員
全壊し再建した須賀川市役所。ウルトラの父が出迎える 2018年、なかのかおり撮影

 円谷監督の出身地、福島県須賀川市は「Ⅿ78星雲光の国」と姉妹都市だ。東日本大震災で市役所は全壊し、2017年に生まれ変わった。市役所内にできたレストラン・売店の「こむぎ」で、障害のある人が働いている。筆者は2018年、こむぎを訪ね、働く当事者とサポートスタッフに出会った。

〇震度6強で全壊、2017年に再建

 市役所につくと、円谷監督が地元出身ということでウルトラマンの大きな像に迎えられた。庁舎が新しく、デザインが美しい。食堂と売店の「こむぎ」は、庁舎の端にあって日当たりがよかった。昼時のお客さんが引いた午後2時過ぎ、食堂でスタッフが掃除やゴミまとめに体を動かしていた。

 市社会福祉課の島田聖さんに、震災後の様子を聞いた。庁舎のある地域は震度6強と揺れが強く、全壊した。「市民の皆さんを避難させて、重要な書類もそのままで逃げました。4階建ての庁舎は傾いてボロボロでした」

 市の人口は昨年で約7万6千人。県外に避難した人も多く、約400人は戻っていない。震災後6年間、市役所は市内の体育館や仮設のプレハブなど6か所に分かれていた。新庁舎の建設費は約93億円で、設計に1年半。さらに2年半の工事を経て2017年、やっと完成した。

 これまで庁舎の食堂は業者に運営を委託していた。ところが今回は、震災後の混乱で一社も申し出がなかったという。何をするにも費用は割り増し、資金が出せない。島田さんは「新庁舎の食堂を運営する業者がいないとの情報を聞き、障害者の施設長や支援者から『業者が見つからないなら、福祉法人が運営できるのでは』と意見が寄せられました。私たちもこの数年、他県で庁舎に障害者と働く店を入れる事例は把握していました」と説明する。

震災後の須賀川市役所(提供)
震災後の須賀川市役所(提供)

〇「働く姿を見て」親たちの悲願

 そこで推薦されたのは、地元の社会福祉法人「福音会ワークセンター麦」。新庁舎で「就労継続支援B型事業」として94平方メートルの食堂と売店を運営することに。

 ワークセンターの伊東久美子さんは「市内に住む障害者の親御さんから『市役所のような公共の場で、働く姿を見てもらうのが夢だったんです』と言われました」と明かす。全壊した市役所の再建という予想外の出来事が、親や支援者の願いをかなえるきっかけになった。

 ワークセンターは市役所の近くで障害者が働くうどん店(現在は閉店)を運営していて経験はあった。伊東さんは「十分な営業ができるかわからず不安はありました。売店の仕入れやご飯もののメニューをどうするか、数年かけて準備しました。働きたいスタッフにはうどん店でお弁当作りを経験してもらいました」と話す。

 市から無償で場所を借り、光熱費も市が負担する形になった。さらに今年度と新年度は約240万円の予算が付き、サポートスタッフの人件費に充てられる。

 こむぎでは精神・知的障害のある8人が働き、サポートのスタッフは4人。週5日で、時間はそれぞれの状況に合わせて決める。仕事は掃除、券売機案内、調理、片づけ、洗い物、 接客など。売店ではレジ打ちはしないが銀行の入金や両替、陳列といったできる仕事をやる。障害あるスタッフの中に調理師免許を持つ人もいる。

丁寧に作業するⅯさん 2018年、なかのかおり撮影
丁寧に作業するⅯさん 2018年、なかのかおり撮影

〇会社の人間関係ストレスで…

 私がこむぎを訪ねた時、Мさん(30代、女性)がコーヒーの回数券をはさみで切っていた。こうした細かい作業も好きだそうだ。

 Мさんに話を聞くと、縫製会社で10年ほど働いた経験がある。洋服の仕上げやアイロンかけ、装飾品やラベルを付ける仕事をしていた。上司との関係がストレスになり、統合失調症と診断された。幻覚や幻聴が激しくて、食べられなくなった。

 入院して一度は職場に復帰し、また入院。会社を辞めた。それからワークセンターで就職を目指して2年、トレーニングしたが休みがちで就職はできなかった。その後に数年、ボールペンの組み立てや袋たたみなどの内職をした。

〇「またX JAPANのコンサートに」

 市役所に食堂ができるというのでМさん自ら希望した。今は平日の朝8時半から夕方4時半の勤務。自分で運転して駐車場に止め、そこから歩いてくる。売店の仕事がメインで、高齢者にコーヒーマシンの使い方を教えたり、商品を袋に入れたりする。

 Mさんはこむぎに来て一度、体調が悪く5日ぐらい休んだ。「休みます」と自分で電話して、復帰するときは緊張したが温かく迎えられた。1か月の工賃は2万8千円で、企業に勤めていたMさんにとっては少ないと感じるそうだ。

「でもやりがいがあって、自分のペースでできるので楽しい職場です。気分の波があってつらいときもあるけど、前よりはよくなった。しばらく働いて自信がついたら、また一般雇用で働きたい」。X JAPANが大好きで遠方のコンサートに行っていたMさん。また行けたらいいなという夢がある。休日は、母の買い物に付き合って重い袋を持つという。

〇一番人気のキーマカレーを担当

 Hさん(20代、男性)は知的障害がある。ワークセンターのうどん店で働いており、飲食店には慣れていた。次の仕事も内職ではなくこむぎを選んだ。電車と徒歩で9時に出勤すると、厨房に入って準備する。

 一番人気のキーマカレーを担当する日も。「ひき肉を炒めて、切った玉ねぎを別に炒めてから混ぜる。スタッフがカレー粉や調味料を入れ、味を見てもらって大丈夫なら、容器に移します」。お昼の忙しい時間帯は、ホールに出る。お客さんを案内したり、水グラスの補充をしたり。「いつごろいっぱい来るか、今はある程度の流れがわかってきました」

 仕事には大変さと楽しさがあると話すHさん。「大変だけど、休まずに来ています。人に接するのは嫌いではないです。じっとしている作業は眠くなるので、体を動かしたほうがいい。案内も好きで、売店の手伝いもします」

 将来のことも考えている。「一般の会社やお店に勤めたいです。今は親と一緒ですが、ゆくゆくは親もいなくなる。実家を引き継ぐか、離れて暮らすか。自分で生活するにも、いまの給料だと生活が厳しいので」としっかり話していた。

メニューにも工夫が 2018年、なかのかおり撮影
メニューにも工夫が 2018年、なかのかおり撮影

〇人が集まる場所だからこそ働きたい

 このように働く人たちの話を聞いて、自分の力を生かせる場は必要だと思った。だが接客や調理の仕事はやりがいがある反面、難しくないのだろうか。「接客は不慣れで、調理場も初めての人が多いですが、障害があるから困ったということはありません。考えたメニューが売れなかったというのはありますが」と伊東さん。

 仕事の流れは決まっている。メニューは日替わりのほかキーマカレー、うどん、そばが基本で、前日に野菜を切ったりお米を測ったり下準備。朝は調理やお弁当を作る仕事を。込み合うお昼時は、配膳して出す。お客さんが引くと片付け。最初はスプーンがきれいに洗えていなかったが、スタッフも「水にひたしておくといい」と覚えた。休憩は交代で45分ずつ。350円のまかないか、持参のお弁当を食べる。

 1日に50人~60人のお客さんが来る。「働く姿をうちの子に見せられてよかった」「触れ合う機会になった」と応援の声が寄せられる。市役所には、夜9時までオープンのスペースもあり、勉強しにくる学生も多く市民が集う。そんなコミュニティの中心にある店なら、働く障害者が市民と交流できるし、おいしいと言ってもらえる。「認められたい」という親や支援者の願いは形になっているようだ。

 こむぎでは障害ある人と働くために、心配りも見られた。障害によって体調に波があり、休むと気まずくなって仕事が続かない原因になる。「休むのが悪いことではありません」と伊東さんが言うように、理解がある職場だ。

〇少しずつできることが増える

 具体的なサポートも工夫するという。スタッフの住吉和子さんは「うどん店で働いていてサポート経験はありました。その人に合わせて、わかるように説明するのを心がけます。刃物は危ないので、どんなことができるか確認して、できることを続けてもらう。自信を持てたらステップアップします」と話す。

 次第に、ピーラーを使って大根をむき、フードプロセッサーでおろしにして、水分を絞っておくということができるように。最初は玉ねぎの皮をはがすだけだったのが、ジャガイモの皮をむくようになる。だしやネギと豆腐を入れてみそ汁が作れるようになった人も。

 お客さんを案内する仕事の場合、住吉さんは「話しかけられたら、いらっしゃいませと言う」「わからなかったら何となく答えるのでなく、聞きに来てね」と声をかける。やりたい人からやりたいことを取り上げず、口頭だけの指示で伝わらない時はやって見せる。

〇信頼し合える仲間がいる

 態勢には課題もある。こむぎは福祉事業所として給付金があり、経費や光熱費が免除で何とか運営できている。障害者の年金が別途もらえるとはいっても、こむぎでの「工賃」を時給にすると200円台。利益は障害あるスタッフに還元しているが、このぐらいになってしまう。

 住吉さんは「こうしたお店を続けるには、十分な支援者がいないと難しい」と言う。「私たちは障害のあるスタッフと、仲間としてやってきました。麺類のおつゆに使う煮干しを手に、ワタを取りながらおしゃべりするのが大事なコミュニケーションの時間です」とのことで、信頼し合える仲間がいるかどうかは大きい。

 震災後、ワークセンターは1週間、休みになった。伊東さんは「ガソリンがなくて送迎ができず、自力で来る人も余震や原発の影響で危ない。判断のつかない出来事の連続に、仲間がばらばらになってしまうと思いました。非常時に対応できる地域力をつけなければ」と話していた。

 こむぎは震災をきっかけに、親たちの願いを受けて行政と支援者が力を出し合って生まれた場所。継続には大変さもあるが、まだ復興の途中にある7年目の福島で、希望の象徴になっているだろう。

(2018年3月8日、講談社現代ビジネスに掲載)

〇コロナ禍も開店、弁当・惣菜は好調

 コロナ禍のいま、食堂は開けているのだろうか。働く人たちは、どうしているだろう…。久しぶりにサポートスタッフに連絡したところ、「元気に働いている」とメッセージをいただいた。

 コロナ以前は、右肩上がりで売り上げも伸びていた。コロナの影響が出て、ここ1年は前年比85%ほどになった。「市役所内という環境のおかげで、単独の店舗に比べると、良いほうかもしれません。毎週火曜日は特別メニュー日で、季節感やイベントメニューなどを作り、好評です」

 店内には、ビニールカーテンや仕切りを付けた。売店はパスポート需要が少なくなり、印紙等の販売が激減したものの、自家製弁当・惣菜の販売が順調だという。キッチンカーでの移動販売は、イベントの中止もあってできていないそうだが、添えられていたかわいらしいキッチンカーの写真に、新たな希望を感じた。

ジャーナリスト(福祉・医療・労働)、早稲田大研究所招聘研究員

早大参加のデザイン研究所招聘研究員/新聞社に20年余り勤め、主に生活・医療・労働の取材を担当/ノンフィクション「ダンスだいすき!から生まれた奇跡 アンナ先生とラブジャンクスの挑戦」ラグーナ出版/新刊「ルポ 子どもの居場所と学びの変化『コロナ休校ショック2020』で見えた私たちに必要なこと」/報告書「3.11から10年の福島に学ぶレジリエンス」「社会貢献活動における新しいメディアの役割」/家庭訪問子育て支援・ホームスタートの10年『いっしょにいるよ』/論文「障害者の持続可能な就労に関する研究 ドイツ・日本の現場から」早大社会科学研究科/講談社現代ビジネス・ハフポスト等寄稿

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