オートバイのあれこれ『速く走ること以外は考えていない!?マッハⅢ』
全国1,000万人のバイク好きたちへ送るこのコーナー。
今日は『速く走ること以外は考えていない!?マッハⅢ』をテーマにお話ししようと思います。
70年代のZ1、80年代のGPz900R、そして、90年代のZZR1100…。
その歴史を振り返ると、カワサキは常に“最速”を標榜したオートバイ作りをしてきたことが分かります。
「バイクは速くてナンボや!」
こんな声が聞こえてきそうですね(笑)。
そんなカワサキ“最速”の系譜の最初のモデルといえるのが、『500SS マッハⅢ』でした。
現在でも、特に絶版バイクファンの間ではひじょうにファンの多いモデルですね。
1960年代以降、日本の二輪メーカーはシェア拡大を賭けて本格的な海外進出を企てます。
とくに、世界最大の二輪マーケットであるアメリカでの販売数促進を目標に、日本の各社はアメリカ人好みのオートバイを作り始めました。
マッハⅢは、その流れから生まれたうちの1つになります。
当時のアメリカでは直線加速を競うドラッグレースが盛んで、カワサキはそれをヒントに、マッハⅢをロケットのように加速するオートバイにすることを決意。
「マックス60ps」「トップスピード120mph(約200km/h)」「ゼロヨン加速12秒台」を目標に、2ストロークの3気筒エンジンを開発しました。
結果から言えば、エンジンパフォーマンスについてはこれらの目標を見事に達成。
マッハⅢはカワサキの狙いどおり、見事世界最速の座を手に入れたのです。
しかしながら、あまりにも直線での速さばかりを追い求めた結果、マッハⅢはアンバランスなオートバイとなってしまっていました。
フレーム(車体)は、そのエンジンパワーと200km/hに迫るハイスピードを支えられるだけのキャパシティが無く(=フレームの頑丈さがエンジン性能に追いついていない)、またドラム式のブレーキも、200km/hを受け止めるには明らかに力不足でした。
マッハⅢはデビュー時こそ賞賛されたものの、そのスピード一辺倒なキャラクターが災いし、発売して以降は多数のオーナーから「曲がらない」「止まらない」「まっすぐ走らない」と、ネガティブな評価を下されることが増えていきました。
挙げ句の果てには「ウィドウ・メーカー(未亡人製造機)」というあだ名まで付けられ、マッハⅢは品質を考えると失敗作だったといわざるを得ないでしょう。
とはいっても、アメリカはオートバイで直線をブッ飛ばす文化が根付いている国。
アメリカのバイクエンスージアストの中にはスピードジャンキーも多く、マッハⅢはそうした“頭のネジ”が外れている一部マニアから絶大な支持を集めました。
一つの商品としては決して良いモノではなかったものの、その極端なキャラクターが個性を際立たせ、最終的にマッハⅢはカワサキの成功作となったのでした。