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「結婚とは愛か?お金か?」年収別にみる夫婦の意識の違い/既婚男女の結婚とお金

荒川和久独身研究家/コラムニスト/マーケティングディレクター
(写真:アフロ)

「愛か、お金か」既婚男女意識

前回の記事では、未婚男女の「結婚は愛か、金か」の意識の違いを書いたが、今回は既婚男女篇である。

参照→「愛はお金では買えない」が「愛を語るにもお金が必要」未婚男女の結婚とお金

20-50代の既婚男女に対して、「結婚生活で重要なのは、愛か、金か」の回答結果は以下となった。比較のために括弧内に未婚の数字を入れている。

既婚男性
「結婚生活は愛だ」25%(28%) 「結婚生活は金だ」24%(25%)
既婚女性
「結婚生活は愛だ」31%(21%) 「結婚生活は金だ」27%(45%)

男性は未既婚でそれぞれの数字に大差はないが、女性は未婚に比べて既婚の方が「愛」が多い。というより、「金」が随分と少なくなるのが特徴だ。

前回同様、こちらも年収別の割合を比較してみよう。ちなみに、こちらの年収は個人年収ではなく世帯年収である。

(C)ソロ経済・文化研究所 荒川和久
(C)ソロ経済・文化研究所 荒川和久

非常に特徴的なのが、世帯年収が1500万円以上の場合、既婚女性の「愛」が47%を超え、既婚男性の「金」もまた40%と最大値をマークし、男女で真逆であることである。

年収別意識の男女差

「結婚生活は愛である」と答えた方で見ていくと、既婚男性は、世帯年収が高くなればなるほど「愛」意識がきれいに低下している。一方、既婚女性は600-800万円で一旦多少「愛」が高まり、男性同様世帯年収の伸びとともに「愛」が減るかと思いきや、1500万円以上で突出して「愛」が高くなっている。

「結婚生活は金である」方で見ると、既婚女性は世帯年収の多寡に関係なく一定で推移しているのに対し、既婚男性は600-800万円で一旦「金」派が増え、また下がるが、1500万円以上で「金」が最大値にあがっている。

細かなジグザクを平均化してざっくり言うと、世帯年収が高まれば高まるほど既婚女性は愛が深まり、既婚男性は愛が冷めるという見え方にもなる。

前回の未婚男女が、結婚に対して「愛を求める男と金を求める女」の構図となったのと異なり、「高年収で愛ある妻と高年収で金と割り切る夫」という構図となり、なかなかに興味深い。

金あればこその愛

少なくとも未婚女性と比べれば、既婚女性の方が「結婚は愛」派が多いようにも見える。1500万円以上高収入世帯で既婚女性の「愛が最大化」しているのも、「お金のことに執着するような女性より、愛で結婚した女性の方が結果的に高年収を得られているのだ」と無理やり解釈することもできるが、違う見方もできる。

高い世帯年収という安定した状態にあるからこそ心にも余裕ができ、心の余裕が夫や家族に対する思いやりとして表出している、と。

つまり、「衣食足りて礼節を知る」と同じで、「経済環境が充足しているからこそ愛という心の余裕が生まれる」のではないかとも思うわけである。

実際、世帯年収600万未満の場合、既婚女性の「愛」という割合は男性より低い。まさに「貧すれば愛も鈍する」のだ。

「お金がなくても愛があればなんとかなるよね」を信じたいのは未婚も既婚も男性の勝手な思い込みであって、「愛は金の土台があってこそだ」というのが女性の本音なのだろう。

それは決して非難されるべきことでなく、至極当然である。

結婚を夫婦の共同経営体と考えるならば、売上と利益が確保されなければ従業員の給料だって払えないわけで、それを「給料払えないけど楽しいからいいでしょ?」なんて経営者がいたら、経営者失格である。

手段の目的化

そして、既婚男性が、世帯年収が増えれば増えるほど「愛」の割合が低くなり、1500万円以上で「金」の割合が最大値になるのも、以下の解釈が可能だ。

当初、稼ぎが少なくても、家族のために小遣いが少なくても、いろいろ節約してでも頑張ることもできたが、その後お金を稼ぐようになったとしても住居費のことや子どもの教育費など必要なコストはあがるばかりという現実に直面することになる。「今ある資金でどうするか」ということよりも、「必要なコストはこれくらいだからそのためにはこれくらい稼がないといけない」という意識に変わってしまう。以前より稼いでいても、必要な額に達しない場合、そこに「欠乏の心理」が生まれてしまうのだ。

そうすると、本来「稼ぐ」ことは「家族のために」という目的だったものが、いつのまにか「金のために稼ぐ」という手段の目的化が起きてしまう。やがて、「結局結婚とは金なのだな」と達観するようになり、それが1500万以上の世帯年収の既婚男性がもっとも「金」割合が高くなっていることの表れなのかもしれない。

とはいえ、世帯年収1500万円以上というのは少数である。少子化対策という観点からいえば、ボリュームゾーンである世帯年収中間層400-600万円あたりの世帯が増えていかなければ、いくら高所得層夫婦が多産しても出生数は減るばかりである。

そして、今の日本の問題は、中間層が結婚も出産もできなくなっていることに尽きる。

愛を邪魔するものとは?

何度も言うが、減っている夫婦の年収帯はかつての中間層だけなのである。20年前や30年前なら当たり前のように結婚・出産ができていた中間層だけが、今やできなくなっているということなのだ。

その元を辿れば、これから結婚していこうとする若者の額面の所得があがっていないことも勿論あるのだが、ただでさえ増えていないのに、税金や社会保険料などの国民負担率だけが増えていて、可処分所得はむしろ減っている問題でもある。ボーナスから社会保険料が引かれなかった頃の若者(今の高齢者)とは明らかに境遇が違う。

「愛があればなんとかなる」なんてのは幻想である。愛という花は、雨や肥沃な土壌がなければ咲かない。

写真:イメージマート

勘違いしないでほしいのは、政府が独身や若い夫婦に金をバラまくべきということを申し上げているのではない。むしろ、選挙対策や政局のためのバラマキこそ害悪である。

所詮、バラマキしてもその分丸ごと後で徴収するのだろう。雨を降らせるとともに、同時に有害物質もまき散らしているようなものだ。せめて何が有害物質であるかを正確に理解し、それを止めてくれればいい。

有害物質とは国民負担である。

過度な国民負担は、多くの国民を「楽しく生きるために働く」から「納税するためだけに働く」に変えてしまう。

少子化のワニの口、中間層の若者から愛を諦めさせるワニの口を閉じる方向に行ってもらいたいものである。

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独身研究家/コラムニスト/マーケティングディレクター

広告会社において、数多くの企業のマーケティング戦略立案やクリエイティブ実務を担当した後、「ソロ経済・文化研究所」を立ち上げ独立。ソロ社会論および非婚化する独身生活者研究の第一人者としてメディアに多数出演。著書に『「居場所がない」人たち』『知らないとヤバい ソロ社会マーケティングの本質』『結婚滅亡』『ソロエコノミーの襲来』『超ソロ社会』『結婚しない男たち』『「一人で生きる」が当たり前になる社会』などがある。

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