P・P・アーノルド/ロンドン・ソウルのファースト・レディが歩んできた魂の旅路【前編】
(PHOTO CREDIT: P.P. Arnold All Rights Reserved/Produced under license by B Music Entertainment LLC)
“ロンドンズ・ファースト・レディ・オブ・ソウル”。P・P・アーノルドを人はこう呼ぶ。
アイク&ティナ・ターナー・レヴューのバック・シンガー&ダンサー、アイケッツの一員としてデビューした彼女。1966年、ザ・ローリング・ストーンズとの英国ツアーの後に活動拠点をロンドンに移し、アンドリュー・オールダムが設立した“イミディエイト・レコーズ”の看板ディーヴァ(歌姫)として「ファースト・カット・イズ・ザ・ディーペスト」「朝の天使 」、スモール・フェイセズとの「ティン・ソルジャー」などをヒットさせた。
1990年代のブリットポップ・ムーヴメントで再評価され、オーシャン・カラー・シーンやプライマル・スクリームとの共演も実現した彼女だが現在、3度目の絶頂期を迎えようとしている。2022年には自伝『Soul Survivor: The Autobiography』が刊行され、2024年10月にライヴ・アルバム『Live In Liverpool』(2019年10月18日、リヴァプール・グランド・セントラル・ホール公演を収録)をリリース、そしてイギリスを縦断するツアーも行われる。
78歳を迎えて、年齢を感じさせないハリの歌声で魅せる彼女が取材に応じてくれたが、なんと1時間40分におよぶロング・インタビューとなった。その模様を全2回の記事で公開する。彼女との対話を可能な限り忠実に再現するべく、時系列順に編集などしていないが、彼女のトークの熱気をそのまま感じていただきたい。まずは前編をお届けしよう。
<60年間戦ってきた。まだ戦いは終わらない>
●今はどこにお住まいですか?
イギリスよ。スペインに23年住んできたけど、ブレグジット(イギリスのEU離脱)のせいでロンドンに戻ってきた。国外に住み続けるとイギリス国籍を失うって言われてね。でもスペインでも活動は続けていて、12月にはレオンで開催される“パープル・ウィークエンド・フェスティバル”に出演するわ。
●現在では長期のツアーを行うよりも、数回ショーをやったら家で休んで、また数回やるというパターンでしょうか?
最近で本格的なツアーに出たのは2019年ね。アルバム『The New Adventures Of...』を出したときで、スティーヴ・クラドックが一緒だった。とても良いツアーだったし、『Live In Liverpool』として記録出来て本当に良かったわ。その後のコロナ禍で、せっかくアルバムを出した勢いがストップしてしまって、ずっと家に閉じこもることになった。それからライヴ活動を再開したけど、まだ音楽産業は完全には立ち直っていないみたいね。他のアーティストもチケットの売れ行きが良くなくて、プロモーターも及び腰になっている。私の場合、前売りチケットがかなり落ち込んでいるけど、当日券でリカバリーしている感じね。
●『Live In Liverpool』は2019年のライヴを収めたアルバムで、1960年代と遜色のないハリのある熱唱を聴くことが出来ますが、2024年の今、声のコンディションは如何ですか?
さらに磨きがかかっているわ!少なくとも劣化はしていない。私は年寄りかも知れないけど、年寄りみたいな声はしていないわ。近所のスタジオでヴォイス・エクササイズを怠っていないし、10月から始まるイギリス・ツアーに向けて仕上げているのよ。自伝についてトークをしたり、キーボードをバックにいろんな曲を歌う。1960年代から『The New Adventures Of...』や『The Turning Tide』からの曲、トラディショナルなゴスペルも歌う予定よ。ステージ上のスクリーンに映像を映し出したりするわ。こういうショーをやるのは始めてだし、大きなチャレンジね。
●どんなゴスペルを歌うのですか?
オープニングでまず4歳の頃から家族と教会で歌ってきたようなゴスペルを歌って、私の原点を知ってもらう。アフリカにルーツのある、コール&レスポンスのあるゴスペルよ。(歌い出す)
●...ハッ。すみません。聴き惚れていて、インタビューがストップしていました。...近年、さまざまな映画で1960年代の女性ポップ・ヴォーカルが大きくフィーチュアされることが多く、『ラスト・ナイト・イン・ソーホー』でシラ・ブラックやダスティ・スプリングフィールド、サンディ・ショーが使われたり、『デッドプール』シリーズでは「朝の天使 」のメリリー・ラッシュとジュース・ニュートンが歌うヴァージョンを聴くことが出来ます。あなたにも新たな注目が集まる気運が高まりつつあるのではないでしょうか?
そうだと良いわね(笑)。それらの映画は見ていないけど、私の曲をどんどん使って、多くの人の心に残って欲しい。最近、時間の感覚を失いつつあるのよ。自伝は1980年代初めまでのことしか書いていないけど、それ以前の曲を歌ってトークするツアーを2024年に行うんだからね。今、自分が生きているのは西暦何年だっけ?...と首を傾げるときもある。どんな時代であっても、自分の歌をハートで共有してくれる人がいる限り、私は歌い続けるわ。私は60年間戦ってきたし、まだ戦いは終わらない。弁護士やエージェントに守られていて、前に進んでいくことが出来るわ。私は“ソウル・サヴァイヴァー”なのよ。
<常に新鮮な可能性にオープンでありたい>
●1990年代のブリットポップ・ブームではオーシャン・カラー・シーンやプライマル・スクリーム、そしてポール・ウェラーなどがあなたへのリスペクトを表してきましたが、どのように感じましたか?
最高の気分だった!彼らが私のことを表舞台に引っ張り出してくれたおかげで、新しい世代の音楽ファンと繋がることが出来た。“グラストンベリー・フェスティバル”でも大勢のファンが声援を送ってくれたわ。そんな反応は自分の音楽の鮮度を保つために大事なのよ。1990年代もそうだったし、2024年になっても若いノーザン・ソウルのファンが『ファースト・レディ・オブ・イメディエイト』(1967)『カフンタ』(1968)を聴いて、ライヴ会場に来てくれる。こないだキャット・スティーヴンズとジョイント・ライヴをやったのよ。彼のプロデューサーだったマイク・ハーストがパーキンソン病を患っていて、治療費を募るためのチャリティ・ショーだった。彼が書いた「ザ・ファースト・カット・イズ・ザ・ディーペスト」をデュエットしたけど、私があの曲を歌ったとき(1967年)、会場にいる若者たちより若かったと思うと不思議な気分になったわ。
●ポール・ウェラーとの作業はどんなものでしたか?
ポールは私に敬意を持ってくれて、私にとっても尊敬出来る友人となった。『The New Adventures Of...』に2曲を提供してくれたり、ステージでも共演したわ。彼とは私の次のアルバムでもデュエットをすることが決まっているのよ。でもそれ以上に、彼は寛大な人間であり、友達ね。
●新しいスタジオ・アルバムの予定があるのですね!
クリスマス・シングル「It Won't Be Christmas Without You」(2022)をプロデュースしてくれた“メトロフォニック・プロダクションズ”との作業は実りの多いものだった。だから次のアルバムを作ることを考えたとき、彼らと一緒にやるのがベストな選択だと確信したのよ。まだレコーディングのスケジュールは確定していないし、レコード会社も決まっていないけど、2025年にはぜひ作りたいと考えている。スティーヴ・クラドックも曲を書いてくれる筈よ。昔からスタジオでいろんなスタッフやミュージシャンと作業するのが大好きで、毎日だって籠もっていられるぐらいだわ。自伝のオーディオ・ブックの朗読をやったのも新しい経験だった。
もっとやってみたいけど、それには第2弾を書かないとね(笑)。私は常に新鮮な可能性にオープンでありたいのよ。
●あなたのキャリアを網羅するボックス・セットも出るそうで、そちらについても教えて下さい。
“ディーモン・レコーズ”が企画していて、『The Life In Song』というタイトルになるわ。1990年代にチャズ・ジャンケルと作った未発表アルバムから5曲をピックアップするし、ブロウ・モンキーズのドクター・ロバートと作った『Five In The Afternoon』(2007)からの曲も収録する。彼もスペインに住んでいるから、こっちで一緒にレコーディングしたのよ。インディ・レーベルから出たけどすぐに廃盤になってしまったからマスターを取り戻して、何曲かをボックスに収録している。それからプレッシャー・ポイントとコラボレートした『This Is London』(1989)の曲、映画に提供した曲もあるし、未発表のデモ・トラックも入れるわ。もう作業は終わっていて、来年(2025年)2月にリリースする予定よ。
●『Live In Liverpool』も出るし、とてもエキサイティングな時期ですね。
私はインディペンデントなアーティストだし、1960年代のアンドリュー・オールダムのように情熱に溢れた、ヴィジョンを持った有能なプロデューサーもいない。だから常に動き続ける必要があるのよ。ただ歌うだけではなく、マネージメントやゲスト・ミュージシャンのブッキングもしている。もちろん信頼出来る友人の力を借りながらね。“ソウル・サヴァイヴァー”ツアーの構成もいろんな人に相談しながら、自分で考えているのよ。スティーヴ・クラドックは私のブラザーで頼りにしているけど、オーシャン・カラー・シーンやポール・ウェラーのバンドで忙しくて、スケジュールを押さえるのがひと苦労なのよ。私の息子のコジョ(Kojo)もミュージカル・ディレクターとして活躍しているし、いつか一緒にやりたいわね。彼はストームジーやジェス・グリンを手がけて。“ユーロヴィジョン・コンテスト”のディレクションでBAFTAアワードを受賞したところよ。あまりに売れっ子で、自分の息子を雇うことが出来ないのよ(苦笑)!もちろん頼めばやってくれるだろうけど、仕事なんだからちゃんとギャラを出したいしね。
<スティーヴ・クラドックの才能とエネルギーにはスティーヴ・マリオットと共通するものがある>
●『Live In Liverpool』での“相棒”といえるギタリスト、スティーヴ・クラドックとはどのようにして知り合ったのですか?将来的に自伝第2弾で1980年代以降のことを書くことになると思いますが、その予告編として教えて下さい。
1994年、私はミュージカル『アイランド Once On This Island』に出演していた。そのバーミンガム公演の楽屋を若いモッズ達が訪れたのよ。それがオーシャン・カラー・シーンだった。彼らは大きな花束を持ってきて、ぜひ共演したいと言ってきた。実は当日の終演後にスタジオに入って欲しいと言われたんだけど、その日のうちにバーミンガムからロンドンに移動しなければならなかったんで無理だったのよ。でも彼らは『マーチング・オールレディ』(1997)のときにまた声をかけてくれて、「イッツ・ア・ビューティフル・シング」をレコーディングした。それ以来ずっと友人で、特にスティーヴとは一緒に仕事もしてきた。彼の才能とエネルギーは、スティーヴ・マリオットと共通するものがあるわ。こないだスモール・フェイセズの「アイム・オンリー・ドリーミング」のアコースティック・ヴァージョンを彼とレコーディングしたばかりよ。それもボックス・セットに収録されるわ。彼のことは大好きだし、もっと一緒にやりたいけど、いつもポール・ウェラーに先を越されて攫われてしまうのよ(笑)。
後編記事では1960年代を振り返り、ミック・ジャガーやジミ・ヘンドリックス、ティナ・ターナー、ピンク・フロイドらとの知られざる交流について訊いてみたい。
【最新アルバム】
P.P. Arnold
『Live In Liverpool』
earMUSIC / 2024年10月18日発売(海外)