「最後はキャッチャーで終わりたい」―根っからの捕手、狩野恵輔選手の引退
■最後はキャッチャーで終わりたい
「最後はキャッチャーで終わりたいんですよね」。昨年秋、狩野恵輔選手はそう口にした。
しかしまさか、こんなにすぐに“そのとき”がくるとは思わなかった。
根っからのキャッチャーだった。常に自分のことよりピッチャーに配慮し、気づけばピッチャーと話をしている。試合後の取材でも、まずピッチャーのことを語る。ほかの誰かが注意やアドバイスを受けているときも、その話に聞き耳を立て、自分の肥やしにする。
狩野恵輔という選手は、やはりキャッチャーなのだ。
■野村監督もキャッチャーとしての資質を認めていた
入団した当時のファームのバッテリーコーチだった吉田康夫氏(現在は群馬のスポーツ店で野球のアドバイザーとして勤務)は、そんな狩野選手の成長を見守ってきた。
「入ったばかりのころは、やんちゃ坊主でねぇ、ちょっととんがったところもあったんだよ。でもだんだんと、キャッチャーというのは人のために働いて評価されるポジションだと理解して、そういう振る舞いになっていったねぇ」と懐かしそうに語る。
「野村(克也)監督時代、キャンプの紅白戦のことだよ。ピッチャーが誰だったかは忘れたけど、カウント3-2から狩野はフォークを要求したんだ。結果、四球にはなったんだけど、野村監督は『3-2からフォークを投げさせるとは。キャッチャーとしての良さを感じる』って、資質を褒めてくれたことがあったよ」。
ブルペンで受けているときにフォークがいいと感じた狩野選手は、苦しくなったらフォークでいこうと決めていたそうだが、「若いときから自分の中で根拠を持っていたね」と振り返る。
「下柳(剛投手)が2軍にきたときも3-2からフォークで三振をとったことがあって、『アイツ、3-2からフォーク(のサインを)出しよったんですよ。たいしたもんや』って下柳も感心していたなぁ」。
■年上の投手にも物怖じしない
また、こんなこともあったという。「2009年だったかな。能見(篤史投手)と組んだ東京ドームでの巨人戦で、1点リードしていてピンチの場面で小笠原(道大選手)。フルカウントでイチかバチかで落とすところを、裏をかいてアウトコースまっすぐで見逃し三振!ふたりともガッツポーズして帰ってきた。あのときは『あぁ、こういうこともできるようになったのか』って嬉しかったよ」と目を細める。
最初のころは配球に困ったらベンチを見ることも多かったそうだが、「徐々に自分の色を出していったね。自分で考えて成長していった」といい、「リードにはいろいろあるけど、狩野は裏をかくこともできるし、ピッチャーに合わせてやることもできる。バリエーションが豊富なキャッチャーだね」。
誰よりもキャッチャーとしての狩野選手を買っていた。だから、入団当初から打撃を評価され幾度となく外野へのコンバートの話が出ても、吉田氏は頑として「狩野はキャッチャーとして見てやってほしい。本人もキャッチャーをやりたいんだから」と言い張ってきた。
星野仙一監督も「外野なんていつでもできる。狩野にはキャッチャーをやらせぃ!」と後押ししてくれていた。
「ピッチャーと話せるキャッチャーだよね。下柳や球児(藤川投手)ら年上にも、自分から『捕らせてください』って寄っていってたし、意見も言えていたからね。なかなかできないことだよ」と、キャッチャーとしてもっとも大切なものを備えていたと、吉田氏は評価する。
それだけに、故障に泣かされ続ける姿を見るのは吉田氏にとっても辛かった。「練習できないくらいヒジ、肩、腰…いろいろ悪かった。でも痛いというのを隠してね。オレにはコソッと『吉田さぁ〜ん。痛いんですぅ〜』って泣きごと言ってきたりしたんだけど、どうにもしてやれなくて、あれは辛かったね。可哀想やった」と沈痛な思いを明かした。
■師弟で語り合った夜
タイガースを退団してからも、吉田氏は狩野選手を気にかけている。気づけばテレビ画面の中でもつい、狩野選手の姿を追いかけている。
「守備から帰ってくる選手をベンチで出迎えるとき、一番先頭で出ていくでしょ。ベンチでは一番年上なのにね。あれはなかなかできるもんじゃない。普通、ベテランはベンチのうしろでデーンと座っている。それが狩野は『ナイスプレー!』って声出しながら出ていく。ああいうところを若手もファンも見てほしいね」。愛弟子のそんな姿が、師匠にとってはたまらなく愛おしいのだ。
「8月27日の東京ドームのあと、わざわざ群馬まで来てくれたんだよ、『引退します』って挨拶にね。一緒にメシ食って、いろいろ話したよ」。師弟で語り合った群馬の夜。吉田氏にとっても、淋しさの募る夜となった。
「引退セレモニーには行けないけど、花は贈るよ」。陰からそっと愛弟子の最後のマスク姿を見守り、心の中で労うつもりだ。
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