能因法師や西行法師が愛した歌枕の海岸の駅 三陸鉄道リアス線 野田玉川駅(岩手県九戸郡野田村)
和歌においては名所旧跡を歌の中に読みこむ「歌枕」というものがある。その中で有名なのが「六玉川(むたまがわ)」で、「野田の玉川」「野路の玉川」「調布(たつくり)の玉川」「井手の玉川」「三島の玉川」「高野の玉川」の六つの玉川のことである。このうち「野田の玉川」に由来する駅名を持つのが三陸鉄道リアス線の野田玉川駅だ。
「野田の玉川」は平安中期の歌人・能因法師の歌で知られており、その歌に詠まれた場所と伝わる場所は東北に二つある。その一つが、野田玉川駅のある岩手県九戸郡野田村、もう一つが宮城県多賀城市だ。このうち野田村の野田玉川には西行が訪れたという伝説も残っている。野田村は明治22(1889)年の町村制施行までは野田村と玉川村という二つの村に分かれていた。
そんな歌枕の地にある野田玉川駅は昭和50(1975)年7月20日に久慈と普代を結ぶ久慈線の駅として開業した。昭和59(1984)年4月1日に三陸鉄道北リアス線の駅として再出発するが、その際に海側の2番線(宮古方面行き)が新設されて行き違いできるようになった。造られた年代の違いゆえにホームや待合室の造りはそれぞれ異なっている。
ホームからも松林越しに海が見えるが、景色を堪能したいなら海側の道を駅前から南へ歩いてみるのがおススメだ。玉川海岸はリアス式海岸に特有の海岸まで切り立った崖が迫る地形で、その風景は美しく荒々しい。野田村と隣接する久慈市の海岸は琥珀の産地としても知られている。
駅から南へ歩き、玉川漁港の傍から坂道を上ったところにあるのが西行屋敷跡だ。『山家集』で名高い平安末期の歌人・西行法師は文治2(1186)年に当地を訪れた。西行はこの地の風光の美しさに魅せられて草庵を結び、しばらく暮らしたとの伝説が残されている。
西行の庵があったとされる場所には石碑が立ち、眼下には玉川漁港とその向こうに広がる太平洋を望むことができる。西行の時代から837年、幾度もこの地を襲った地震と津波により地形や景色も変わっていることだろうが、西行も愛した海の美しさだけは変わらない。
西行屋敷跡に隣接して玉川神社の赤い鳥居が立っている。御祭神は天照大御神と月夜見命。創建年代は不明で西行屋敷跡と比べると情報も少ないが、海を見下ろす高台の古い神社には風情が感じられる。
西行屋敷跡と玉川神社へは野田玉川駅から徒歩5分。三陸鉄道リアス線を旅する際は野田玉川駅で途中下車して平安の歌人が愛した海岸を訪ねてみるのもいいだろう。