ノーベル物理学賞受賞!真鍋さんが開拓した「気候モデル」は何がすごいのか?今こそ基本的な疑問に答えます
プリンストン大学上級研究員の真鍋淑郎博士が、クラウス・ハッセルマン博士、ジョルジョ・パリージ博士と共に、今年のノーベル物理学賞を受賞された。
筆者は真鍋さんと同じ研究分野の専門家としてメディアからコメントを求められ、真鍋さんの素晴らしい受賞を共にお祝いさせて頂く光栄に浴した(これやこれやこれなど)。
真鍋さんは物理法則に基づき地球の気候をコンピュータでシミュレーションする「気候モデル」の研究を開拓された。筆者はその気候モデルを一般の人にもわかりやすく説明するために、2008年に「地球温暖化の予測は『正しい』か?―不確かな未来に科学が挑む」(化学同人)を上梓した。出版直後にアメリカの真鍋さんにも同書をお送りしたが、とても喜んでくださったのを覚えている。
今回の真鍋さんの受賞で、解説委員、科学ジャーナリスト、気象キャスターなどの方々が真鍋さんの業績と「気候モデル」についてテレビでわかりやすく解説してくださっているのをいくつか拝見したが、気候モデルについては筆者なりにもっと説明したいことがあるとウズウズしたため、本稿でそれを試みたい。
特に、筆者も30年近く気候モデルに関わってくる間に、いくつかの疑問や誤解を繰り返し耳にした。それらにお答えする形で「気候モデルは何がすごいのか」をお伝えしよう。(より詳しく知りたい方は上述の拙著をご一読頂きたい)
天気予報も外れることがあるのに、100年後を計算して意味があるの?
手始めに基本中の基本から。この疑問は「気象」と「気候」の違いがわかれば解消するだろう。「気象」は日々のお天気であり、「気候」はその気象を長期間にわたって平均的に見たものである。
気象は日々不規則に変動し、ある程度より先は予測できないことが知られている(数学的な用語で「カオス」という)。しかし、気候はこれを平均的に見ているので、たとえば気温の長期的な平均をとれば日々の変動が打ち消しあって安定した値が得られる。(ただし、気候は平均値だけでなく、変動の大きさや特定事象の頻度など、変動の特徴も問題にする)
したがって、たとえば最近の30年平均の気温と100年後の30年平均の気温を比較したいといった問題は、日々の気象のカオスの影響をほとんど受けない。気候モデルで100年後を計算することにはもちろん意味があるのだ。
膨大な気象データをインプットして計算しているのでしょう?
これは、筆者が気候モデルの説明を一般の方にするようになって、よく耳にした質問だ。おそらく質問した人は、過去の気温や降水量などの膨大な気象観測データをコンピュータにインプットすると何やら計算して将来予測が出てくる、というイメージを持っているのだと思う。
これは誤解であり、気候モデルには過去や現在の観測データを一切与えなくてよい。それなのに、物理法則に基づいて計算すると、熱帯は暑くなり、極は寒くなり、偏西風が吹き、熱帯やモンスーンや温帯低気圧で雨が降り、砂漠には雨が降らないなど、現実的な気候が勝手に再現される。「現在の気候はこうなっていますよ」なんていう情報を一言も教えていないにもかかわらずである。これがすごいのだ!
コンピュータにインプットするデータはごくわずかで、地球の大きさ、回転、太陽からのエネルギー、海陸の分布、地形、植物や氷の分布、大気の成分といった、地球という惑星の基本的な特徴だけである(イメージ動画はこちら)。
その条件の下に、質量保存則、運動量保存則、エネルギー保存則、気体の状態方程式といった、基本的な物理法則を計算してやると、勝手に現実的な気候が現れる。なぜそんなことができるかというと、現実の地球の気候もそのような物理法則が働くことで今のような状態になっているからだ。
これは専門家にとっては当たり前すぎることなのだが、案外一般の方には伝わりにくいと筆者は思っている。これが伝わるか伝わらないかで、気候モデルのすごさや信頼性の伝わり方がまったく違うだろう。(ただし、計算結果と観測データを見比べながらモデルを改良したりするので、研究全体としてみれば観測データはもちろん重要である)
複雑な計算をいっぺんにやったら何が正しいかわからないのでは?
これは、気候モデルが大気・海洋の運動から、雲から雨から、CO2の効果から、植物の効果から、なんでも取り込んで複雑な計算をしていることに対して、特に他分野の専門家などから受ける、しばしば批判的なニュアンスの質問だ。もっとシンプルな計算で本質をつかまないと間違えるんじゃないですか、ということだろう。
この質問を発する人は、きっと真鍋さんと話が合うに違いない。真鍋さんが実践してきたことは、まさに、シンプルな計算で本質をつかみながら、徐々にモデルを複雑にしていったことだからだ。
たとえば、「大気中に0.04%しかないCO2が増えることで本当に気温が上がるんですか?」と疑問を持つ人がよくいる。では、これを科学的に調べるにはどうしたらよいか考えてみてほしい。
まずはCO2が赤外線を吸収・放出する効果を計算せねばなるまい。しかも赤外線は高さ方向に伝搬するので高さ方向の計算が必要だ。CO2だけでなく水蒸気やオゾンの効果も計算する必要がある。気温の高さ方向の分布を現実的に計算するには、対流が空気を混ぜる効果も考慮に入れねばなるまい。この最低限の計算を行ったものが、真鍋さんの1967年の論文だといえる。(ただし、真鍋さんは最初からCO2の増加の効果を調べようとしたのではなかったが。また、当時のCO2濃度は0.04%ではなく0.03%ほどだったが!)
しかし、この結果に疑問を持つ人はこう言うかもしれない。「大気が3次元に動く効果を入れたら、地面の水分や雪の変化を考慮したら、海の変化を考慮したら、結果が変わるかもしれないじゃないか!」確かにそうなので、一つ一つ考慮していくと、モデルは複雑になっていく。真鍋さんはその都度、モデルの振舞いを深く理解しながら進んでいった。
しかし、真鍋さんは、ご自身のモデルをある程度以上は複雑にしようとしなかった。雲の効果や植物の効果などは、ご自身が初期に考案されたシンプルな方程式を使い続けた。比較的シンプルなモデルで面白い実験をして気候の理解を楽しむのが真鍋流だ。現在の気候モデルはさらに複雑化したが、後進の我々にも真鍋さんの蓄積されてきた気候システムの理解と真鍋さんのスピリットが受け継がれている。気候モデルは闇雲に複雑な計算をしているわけではないのである。
100年後にならないと検証できない予測は科学とはいえないのでは?
これは確かに重要な疑問である。結果の検証が毎日できる気象予測と違って、気候モデルの検証は難しい。現在の気候や過去の変動をよく再現するモデルが、将来も正しく予測するとは必ずしもいえない(気候科学者は、現在の気候の再現性と将来の予測の信頼性を結び付ける研究を進展させているが、ここでは置いておく)。
しかし、真鍋さんが1989年に3次元の大気海洋結合気候モデルで最初に本格的な地球温暖化の予測計算を発表してから、既に30年が経つ。この30年間に実際に起きた気候変動の進展を、当時の予測結果と比較することは、気候モデルの重要な検証になるだろう。
筆者は4年前に真鍋さんからメールを頂き、そこに添付されていた論文には、まさにその答えが書いてあった。30年前の予測は、その後に実際に起きた気温上昇の地理分布の特徴(北半球の陸上、特に高緯度で大きく、南極の周りと北大西洋北部で小さい)をよく表現していた。これもすごいことだ!
論文は若干の茶目っ気を込めて、こんなふうに締めくくられている。「気候モデルは現実の気候に合うようにチューニングされているという批判があるが、我々は将来の気候が合うようにモデルをチューニングすることはできなかった。なぜなら将来の気候をまだ知らなかったからである」
答えを知らないものを予測して、答え合わせをしてみたらだいたい合っていたということであるから、当時の気候モデルが気候の本質的なプロセスをある程度現実的に表現できていたことについて、自信が深まる結果といえるだろう。
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気候モデルはもちろん完全ではない。現時点の我々の気候プロセスの理解と、コンピュータの計算能力の範囲内で、現実の地球の気候を近似したものに過ぎない。しかし、世界中の研究グループが気候モデルの検証と改良を続けているし、不確かさのある予測を社会の意思決定にどのように使うべきかといった議論も続いている。
気候モデルは、現在人類が直面する気候変動という大問題に取り組むうえで、欠くことのできないツールになった。そしてその源流には真鍋さんがいる。
本稿を、「気候変動問題にもっと注目を」とか「好奇心に基づく研究にもっと予算を」みたいな「政治的な」主張につなげて締めくくることもできるが、今回はやめておこう。
真鍋さんが開拓された気候モデル研究のすごさと、それが「物理学」とよぶにふさわしい科学的営為であることが読者に少しでも伝われば、本稿の役割はそれで十分である。