【コラム】軍備費倍増は護憲派のせいなのか?―ウクライナ危機以降の平和主義のあり方とは
今年一年での個人的に印象に残ったことを言えば、「平和を求める人々」にも様々な主張があるということだ。ロシアのウクライナ侵攻は、それを炙り出したとも言える。つい先日も、メディアや政治家に一定の影響力を持つ人物が「日本で、事もあろうに護憲派が、ロシアは絶対悪だって盛り上がってしまったら、アメリカの言いなりに防衛費が増大するのは、当然でしょうが」などとツイッターに投稿。この投稿自体は暴論以外何ものでもないのであるが、これを機に、ウクライナ侵攻をめぐる論議や、護憲派の課題と可能性、国連憲章や国際人道法と9条の関係などについて、筆者としての考えをまとめてみた。
〇ロシアを批難することが軍事費倍増につながる?
件のツイートの主は、伊勢崎賢治氏。当時、国連の暫定統治にあった東ティモールで、国連PKO暫定行政府の県知事を務め、シエラレオネやアフガニスタンで、武装解除を行うなどの活躍で知られ、現在は東京外国語大学教授(紛争予防・平和構築学)として教鞭を取っている。筆者も伊勢崎氏とは面識があり、過去に取材でお世話になったこともあるので、伊勢崎氏の独特の表現の癖については知ってはいるのの、今回の同氏のツイッターでの投稿は、ウクライナ現地を取材した者としても、護憲派を自認する者としても、やはり容認し難い。また、伊勢崎氏はメディアや政界にも一定の影響力があり、特に後者に関しては一部の野党の対ロシア・ウクライナ政策にも影響を及ぼしている傾向がある。ただ、伊勢崎氏は、ウクライナの政治・社会についての専門家でもなく、自身で明らかにしているようにウクライナに行ったこともない。伊勢崎氏のウクライナに関する発言の数々については、事実と異なるのではないかと思われるものが、少なくないのだ。
今回のツイートにも現れているように、伊勢崎氏は、ロシアやプーチン大統領を絶対悪とするな、悪魔化するなというような主張を繰り返している。つまり、ロシアやプーチン大統領の主張にも耳を傾けろということである。双方の言い分を聞けという主張は一見、もっともらしいが、ただ、プーチン大統領らロシア政府側の主張には明らかなデマ(ロシア軍は民間人を虐殺していない等)がある上、戦争の口実についても、ロシア政府側は、通常戦力に加え、人々を混乱させる情報戦を仕掛けるハイブリッド戦争を重視している。ロシア政府側の主張には、そうした意図があることにも注意が必要だ。
〇真の中立とは何か
伊勢崎氏も講演等で取り上げている、ロシアがウクライナに侵攻した口実として「NATOの東方拡大」と「ウクライナ東部の内戦」がある(関連情報)。欧米諸国などによる軍事同盟NATO(北大西洋条約機構)が冷戦崩壊後、東方、つまりロシアの側に拡大を続けたことが、ロシアを刺激し、ウクライナ侵攻へ踏み切ったというものだ。ただし、ウクライナ自体はNATOに加盟していないし、2008年にウクライナの加盟が論議された際も、フランスとドイツが「ロシアを刺激する」として反対している。また、それまで中立的な立場を保っていたスウェーデンとフィンランドが、ウクライナ侵攻後にNATO加盟へと大きく舵を切った際も、プーチン大統領は「気にしない」と発言している。
ウクライナ侵攻の原因はNATOなのか、筆者も現地でウクライナの人々に聞いたが「何を馬鹿なことを」と一笑に伏された。プーチンはウクライナをロシアの属国だと見なしており、2014年に親ロ派のヤヌコヴィッチ政権が民衆デモにより倒されて以来、自由と民主主義、そして経済発展を求め、欧州と関係を強化しようとするウクライナが気に食わないのだろう、というのが現地での支配的な意見なのだ。
また、伊勢崎氏は講演で「ウクライナは2014年から8年間ずっと内戦状態であり、その延長として今の戦争がある。侵略は許されないことだが、そこには理由がある」と述べているが、2014年以降のウクライナ東部での紛争、いわゆる「ドンバス戦争」について、これを「内戦」と見なすのは、極めてロシア寄りな主張であることも指摘しておくべきだろう。2014年2月に、上述のヤヌコヴィッチ政権が倒れた後、ウクライナ東部のドネツク州では、親ロシア派武装勢力が自治体の行政府などを次々に占拠した。これを排除しようとしたウクライナ軍と、武装勢力側の戦闘が行われ、ウクライナ侵攻直近の時点で、双方の戦闘員や市民を含め1万4000人以上が犠牲となったとされる。この発端となった、武装勢力による自治行政府の占拠を指揮したのは、ロシアの軍人であるイーゴリ・ギルキン容疑者(「イゴール・ガーキン」とも呼ばれる)だ。しかも、武装勢力側は、ロシアから戦車や大砲を含む軍事支援を受け、さらにはロシア軍自体も越境し、ウクライナ軍と交戦している。よって、ドンバス戦争について、ウクライナは「ロシアによる侵略」と見なし、欧米諸国も「内戦」とは見なしていない。海外主要メディアでの報道においても、それは同様だ。
一般論として、戦争している国々に対し、中立的な国或いは国連その他の仲介者が、双方の言い分を聞きながら、仲裁し停戦交渉へと導くべきという主張は、筆者も理解できる。ただし、今回のロシアによるウクライナ侵攻に関して、「交渉すべきだ」と主張する人物あるいは勢力が、侵略者側の主張に染まっていた場合、侵略を受けた側は、その人物或るいは勢力を、「仲介者」とは見なさないだろう。これは、伊勢崎氏だけではなく、日本で即時停戦を呼びかけている知識人や平和活動家に、少なからずある問題だ。仲介者となりたいのならば、真に「中立」であることと、批難されている側の主張を無条件に受け入れることは、全く異なるものだと理解すべきだろう。
〇危機を直視し、冷静に見極めよう
「平和を求める」とする人々の中に、なぜ、ロシア側の情報戦による主張を安易に受け入れてしまう人が少なからずいるのか。こうした矛盾に満ちた不条理に、筆者には既視感がある。筆者は脱原発派であるが、脱原発派の一部が主張してきた温暖化懐疑論については批判してきた。つまり、政府や電力会社が「温暖化防止のために原発が必要だ」という主張をしているのに対し、一部の脱原発派は、そうした主張の欺瞞を論理的に批判するのではなく、「温暖化は原発推進派による陰謀」だとの温暖化懐疑論に傾倒していったのである。名指しは避けるが、某政党の支持層には、かつて温暖化懐疑論に傾倒し、今回もロシア側の主張に染まる人々がいる。
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