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今週末、どこ行く? はじめての「ひとり温泉」東京からふらっと――。”絶対”この宿≪素泊まり1万円強≫

山崎まゆみ観光ジャーナリスト/跡見学園女子大学兼任講師(観光温泉学)
2022年にオープンした「湯河原惣湯」の足湯(撮影・筆者)

湯河原温泉 ふらっと“プチ蒸発”するなら

平日の日中の東京駅ホーム。

行きかう人の喧噪。外国人観光客、日本人旅行者、出張中の人……。人と人とが渦を巻き、真っすぐに歩けない。あまりの人の多さに、ぽつねんとひとり、孤独感に苛まれる。人に酔い、人に負けるのだ。……周囲のざわざわした音がどんどん遠のいていく。

そんな時、ふと“プチ蒸発”したくなる。猛烈に襲ってくる欲求に応えようか。

目の前の各駅停車に乗ってしまえば目的地に着いてしまう。平日だから、きっと宿ならある。水曜は休みの宿が多いけど、今日ならきっと行ってからでもなんとかなる。

この時、私が思い浮かべたのは神奈川県湯河原温泉だ。

東京駅から特急「踊り子」で75分。東海道本線の各停で90分。東海道新幹線で熱海まで行き、東海道本線を1駅戻れば湯河原駅で、このルートならスムーズに乗り継いでだいたい40分。

首都圏から程近い温泉地はいくらでもあるが、私がひとり温泉に湯河原を選ぶ理由は「旅館が小ぶりで、人混みがない」「湯疲れしない」「緑に囲まれた公園で安らげる」「海の幸がおいしく、みかんも美味」など枚挙にいとまがない。

何よりとにかく静かで、湯河原は大人たちの憩いの場なのだ。

隈研吾さんが設計した湯河原駅は、箱根湯本駅や熱海駅前のような、東京駅にも似た雑踏とは無縁だ。平日なら、いても地元の人たちだけだ。

ひとり温泉は、静かなら静かなほどいい。 

有名温泉地によくある大型温泉ホテルが立ち並ぶ光景とは一線を画し、宿の規模は小さく、品のいい所が揃っている。だから温泉が好きな人が滞在したい旅先によく選ばれる。

小じんまりとした温泉街ながらも、神奈川県と静岡県の両方にまたがり、エリアは狭いが、100本もの源泉を保有する。

2000年代にスタートした温泉の源泉集中管理は、全国でも先駆けとなった取り組みで、「地下から温泉を引き上げ過ぎて、源泉が枯渇するのを防ぐ」という理念は今でいうSDGsに当たるし、当時の主流だった「源泉掛け流し主義」を思えば、先見の明があった。

湯河原の泉質は大きく分けて塩化物泉、単純温泉、硫酸塩泉の3種類。入り比べてみて欲しい。

湯河原温泉は首都圏の奥座敷として多くの人に贔屓にされてきた歴史もある。

万葉集にも出てくるし、中世の頃から湯治場として愛されていた。

江戸時代には既に湯河原温泉の名で親しまれ、河原から湧出する温泉に湯船を作り、「村湯」「惣湯」と呼び、共同湯として利用した。

明治時代には首都圏から近隣という地の利を活かし、宿が次々と建てられ、著名な政治家・軍人・文人墨客が頻繁に訪ねてくる。

かの2・26事件では東京以外で唯一の現場になるほど、歴史的エピソードには事欠かず、夏目漱石や芥川龍之介などの文人にも好まれた。奥湯河原には一世を風靡した名旅館「加満田」もあり、水上勉や小林秀雄が常連だった。

そんな湯河原で由緒ある万葉公園が2022年に「湯河原惣湯」としてリニューアルオープンした。 

森に包まれる万葉公園の入り口には珈琲とサンドイッチなど軽食が摂れる洒落たカフェができ、この棟には電源がある席も多数設置された。つまり仕事ができるのだ。

森の中も整備されて、所々にテラスが配置。ここに腰かけると、頭上の樹々からグリーンシャワーを浴びられる。あまりの心地よさに、靴と靴下を脱いで、素足で過ごした。そして持参した文庫を広げた。

私が湯河原で泊まるのは、江戸時代から続く創業300年、湯河原で最も老舗の「上野屋」か、随所に配慮が行き届く「おんやど恵」のどちらかだ。

「上野屋」はかの水戸黄門さまが立ち寄ったという逸話も残る。現在の宿は、大正から昭和初期に建てられており、木造の湯宿の建築美を体感できる。自家源泉を有し、ナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩泉 pH8.3と含石膏|弱食塩泉。

21時半までチェックインOK。素泊まりで1万円強のプランもある。

「おんやど恵」は長期にわたり高齢者や身体が不自由な方に向けた設備改修や接遇など、熱心に取り組んできた。長年「バリアフリーの宿」を掲げてきたこともあり、心遣いが細やかで何もかもが優しい雰囲気。気持ちが穏やかになる。

お湯は手の平で転がすと、とろとろ。躍るようにお湯が動く。

お湯そのものが生き生きしており、化粧水のような肌触り。仕上がりが卵肌になる。疲れない。

ひとり温泉で行きたくなる湯河原温泉だが、実際、Webなどでは「ひとり宿泊プラン」も掲出されている。また仕事を済ませて金曜の夜遅めに宿へ入り、夜食を摂って就寝。土曜、日曜と楽しんで、帰るという行程も増えているようだ。

東京駅で、ふと現実から離れたくなったら、湯河原へ行こう。

再び東京駅に戻ってくる時には、きっと雑踏に負けないようになっているはずだ。

ひとり温泉って、構えず楽しめる気軽さが、最大の魅力だから。

※この記事は2024年9月6日に発売された自著『ひとり温泉 おいしいごはん』(河出文庫)から抜粋し転載しています。

観光ジャーナリスト/跡見学園女子大学兼任講師(観光温泉学)

新潟県長岡市生まれ。世界33か国の温泉を訪ね、日本の温泉文化の魅力を国内外に伝えている。NHKラジオ深夜便(毎月第4水曜)に出演中。国や地方自治体の観光政策会議に多数参画。VISIT JAPAN大使(観光庁任命)としてインバウンドを推進。「高齢者や身体の不自由な人にこそ温泉」を提唱しバリアフリー温泉を積極的に取材・紹介。『行ってみようよ!親孝行温泉』(昭文社)『女将は見た 温泉旅館の表と裏』(文春文庫)『宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人』(潮出版社)温泉にまつわる「食」エッセイ『温泉ごはん 旅はおいしい!』の続刊『ひとり温泉 おいしいごはん』(河出文庫)が2024年9月に発売

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