【昭和100年】地元で待つ気持ちをよそに――、絶景と名湯を愉しむ余裕なく数時間で去った「昭和の歌姫」
その一本の道には人が鈴なりとなり、美空ひばりの到着をいまかいまかと待っていた。記念撮影をするために、写真館からカメラマンも呼ばれていた。村は大騒ぎだ。
そうして多くの人を待たせたものの、美空ひばりが到着したのは夜遅くになってから─ ─。
昭和三十二(一九五七)年、美空ひばりは長野県須坂市の須坂映劇で行われたステージ を終えて、母と弟と興行師らと一緒に、長野県信州高山温泉郷山田温泉「風景館」にやっ てきた。 用意された離れの特別室「飛葉里」に滞在したのはほんの数時間で、翌朝、早く発っていった。
美空ひばりは去り際、一人の女の子に手を差し出した。
この時の様子は、五〇年の時を経て、平成二十一(二〇〇九)年三月三日付の信濃毎日新聞に投稿された。
「旅館(風景館)の親せきということで、私の亡き母が招かれ、当時2歳6カ月だった私 の娘を連れて行きました。翌朝、ひばりさんが宿を去る時、娘に『お嬢ちゃん、握手』とすてきな笑顔で声を掛けてくださったとか。娘は 54 歳になりましたが、今でも語り草になっています」(牧映子・ 78 歳・須坂市)
山田温泉では、「『風景館』といえば、ひばりがやってきた」と、まるで昨日の出来事の ように語られている。美空ひばりの訪問は、いわば村のみんなの宝物だ。
渓谷に建つ「風景館」は、訪ねてきたお客が思 わずスケッチしたくなるほどの渓谷美が広がる。 「風景館」と宿名が付いたのもそうした理由から だ。 ただただ何もせずに、その渓谷だけを眺めてい たくなる。
特に渓流のそばにある露天風呂が秀逸だ。
仙人 の寝床と呼ばれる一枚の大きな岩から作られた 「仙人露天岩風呂」は、この世のものとは思えな い極楽の空間。渓谷の清らかな風が吹き渡り、 木々の緑しか目に入らず、木漏れ日のなかで緑の匂いを嗅ぎ、湯に浸かり続ければ、本当に仙人になってしまいそうだ。
美空ひばりは、この極楽を体験する余裕はあったのだろうか。
このつややかな湯に浸かる時間はあったのだろうか。
温泉や旅の魅力を伝えることを生業とする私には、美空ひばりが少し不憫に思えてならない。
いやむしろ、煩悩を満たしてしまうと、スターにはなりえないのだろうか─ ─。
※この記事は2024年6月5日発売された自著『宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人』から抜粋し転載しています。