ウッドショックの価格は安すぎる!木材価格を決めるのは何か
ウッドショックが続いている。外材に引きずられて国産材価格も高騰し、住宅建設の工期にも影響が出始めて、みんな困っているそうだ。
先に、ウッドショックがなぜ起きたのか、なぜ国産材は増産しないのか……といったことを記した。
ところが各一般メディアでもニュースとして取り上げられると、こんな業界関係者の発言が紹介されるようになった。
「今の木材価格は異常だ」
「こんなに木材が高くなったことは、かつてない」
たしかに、ここ数か月で国産材も2倍近くになったケースもある。
しかし、たかだか2倍である。アメリカでは5倍まで急騰しているのだ。それに「かつてない」どころか、まだまだかつての価格には届いていないというべきではないか。
40年前の木材価格は10倍以上?
そもそもウッドショック前の製材用スギ丸太価格は、だいたい1万3000円(立米単価)前後だった。ヒノキの場合でも2万円そこそこ。
しかし、1980年のスギ丸太価格は3万9600円だった。ヒノキにいたっては7万6400円である(森林林業白書より)。物価上昇分も含めて考えれば、40年前は今の10倍以上の感覚ではないか。
つまり、(ウッドショック前の)木材価格が安すぎたのである。その安い価格で慣れていたから、今の高騰に工務店などが悲鳴を上げている……というのが本当のところだろう。
ここで戦後日本の国産材価格の推移を追ってみる。すると、日本人にとっての木材とは何かが浮かび上がってくる。そして今後の方向性が見えてくるように感じる。
まず終戦からしばらくは、戦災復興で木材需要が爆発的に増えたが、肝心の木が日本の山には残っていなかった。軍需物資として乱伐したツケが回ったのだ。おかげで木材価格は高騰した。
1950年代になって、外材輸入が全面的に解禁された。木材不足がひどくなったうえに外貨準備高が増えたので輸入が可能になったからである。そして高度経済成長期を迎えると、木材需要はさらに膨れ上がり外材に依存していく。またドルショック後、為替が円高に進み、どんどん外材は安くなった。おかけで日本の木材消費は外材中心に動くようになった。結果的に木材自給率は下がり続け、一時期は2割を切る有様だった。
外材に席巻されても困らなかった
では、日本の林業界は困ったのか。実は、そうとも言い切れない。なぜなら、ここで「役物」「銘木」という概念が広がったからだ。簡単に言えば、木肌の色合いや木目、ときには瘤などの形状などを愛でる高級材である。
とくに日本の住宅で使われる木材は、どんどん外材に置き換わっていく中、和室だけはこだわりがあった。当時の住宅の床の間をしつらえた和室は、一戸建てを欲する庶民の憧れだったのだ。そして和室には、外材ではなく国産材の役物、とくにヒノキ材が求められた。磨き丸太とかヒノキ柱など見せる部分に使う木材は、国産の「役物」と呼ばれる高級材を使うのがステータスとなったのである。
だから当時は、床の間用磨き丸太1本で100万円を超すことも珍しくなかった。
一般材は「安くなった外材」にシェアを取られる中、少量でも、高く売れるのだから我が世の春を謳歌した林業家も少なくない。それに利益が出るから、山にも投資をして森づくりに励む人も増えた。
それが凋落し始めるのは、やはり90年代のバブル崩壊からだろう。単に不景気になっただけでなく、住宅に和室が求められなくなる。
洋室になると、畳も床の間もなく、壁もクロスを貼るから木の部分は見えなくなる。見えないのに高い役物を使う必要はない。そもそも役物の木目などはデザイン的にも好まれなくなった。時代とともに流行は移り変わる。
役物人気の終焉が価格下落を招く
かくして国産材の価格は下落の一途をたどり、今や外材の方が高くなってしまった。それでも外材需要は底堅く、多くの木造住宅は外材を主要木材として建てられる。
そこにウッドショックのような外材価格の高騰が押し寄せたのである。
さて、こうした流れを見ると、木材の需要とは何かと考えさせられる。
単に建築物の構造材だと考えると、外材でもよい。いや鉄骨や鉄筋コンクリートでもいいわけだ。逆に言えば、人の目に映る木材には少々の高値でも使いたいと感じる建主はいたのだろう。
もちろん、今再び、かつての和室を復権させるのは無理だ。しかし、洋室であっても木を見せる使い方を考えるべきではないか。
残念ながら日本は、貧しくなった。高度経済成長の時代のような大盤振る舞いは難しいかもしれない。しかし、住宅はやはり一生の買い物であり、木の家は今も人気が高い。木の魅力を十分に引き出す使い方を見つけ、現代的な「役物」を探すべきだろう。
ウッドショックへといった目先の対応ではなく、日本林業の復活には「高くても買いたくなる木材」を生み出すことから考えるべきだ。