若者への禁句「わからないなりにやってみて」 後知恵バイアスがクセになっている上司は要注意!
■「名刺交換の練習って必要ですか? 説明してください」
空気を読めない若者が増えている。そう聞いたことがある。
確かに新入社員研修をしていても、
「名刺交換の練習って、本当に必要ですか?」
と尋ねてくる新人がいる。
「そんなこと言わずにやろうよ」
「名刺交換ぐらいできないとダメだろ」
と同期の新人から言われても、
「講師に説明を求めてるだけじゃん。やらないとは言ってないだろ」
と、どこ吹く風だ。その場の空気を読まずに、
「コレはどうしてやるんですか? 説明してもらえませんか?」
と聞いてくるケースは、昔と比べてとても増えた。
そして、過去と決定的に違うのは「説明がないこと」への違和感を覚える若者がとても多い、ということだ。
私たちはついつい、
「説明してください」=「納得できない」
と解釈しがちだ。だから、「説明してください」と言われたら、そこから続く会話を次のようにイメージしてしまう。
「名刺交換の練習って、本当に必要ですか?」
「たしかにオンライン化が進んで名刺交換の機会は減ったけれど、ゼロになったわけじゃない。社会人として身につけておくべきマナーだから、研修を通じて身につけてほしい」
「うーん、そうでしょうか。デジタルの時代に紙の名刺を交換するだなんて、古すぎると思います」
「そうは言われても、日本の商習慣として根付いているんだよ」
「納得いかないです。私は名刺交換なんて、練習したくありません」
否定ありきで話され、収拾がつかなくなるのではないか。ややこしい新入社員が研修にきたものだと、捉える。
しかし、実際は違う。説明がないことが気持ち悪いだけなのだ。だから
「名刺交換の練習って、本当に必要ですか?」
「たしかにオンライン化が進んで名刺交換の機会は減ったけれど、ゼロになったわけじゃない。社会人として身につけておくべきマナーだから、研修を通じて身につけてほしい」
「わかりました」
と言って、たいていは従ってくれる。どんな風に反抗してくるのかと、身構えていた講師は、このような態度を見て拍子抜けをする。
■「言われない」とわからない若者たち
そもそも「空気を読む」とは、どういうことか?
その場のシチュエーションで自分がどのように振舞ったらいいのか、仮説を立て、その通りに実行することだ。
「名刺交換なんて不要だと思うけど、みんな納得してやってるみたいだし、なぜ必要なのかなんて聞かないほうがいいかな」
その場にいる人たちの態度や表情を洞察し、それを判断材料とし、察する。したがって、みんなが名刺交換の練習に違和感を覚えているというのなら、
「名刺交換の練習って、本当に必要ですか?」
と講師に説明を求めても、
「空気読めない」
とは、思われない。
「よくぞ言ってくれた」
と周りの受講生にも思われるだろう。
つまり空気が読めない人は、状況判断するための情報をみずから主体的にとりにいかないのだ。だから仮説を立てられない。
「説明してくれないと、わかりません」
「わからないから聴いただけです」
としょっちゅう口にする人は、察することが苦手だ。仮説を立てようとするクセがない。
■「わかりにくい」を排除した文化の功罪
それにしても、なぜこれほど説明を求めるのか?
どうして、まずは自分なりに考えて仮説を立てようとしないのか?
筆者は、「タイパ」の文化が強く関わっているのだと考えている。若者は、成長も「タイパ」。理解も「タイパ」という意識が強いのではないか。
現在は「わかりやすいこと」が求められる時代だ。
「こういう企業はブラックだ」
「こんな職場の心理的安全性は低い」
と、明け透けな言い方をする人が注目を浴び、影響力を持つ。ネットニュースでも、
「なぜパワハラ上司は有名大学卒が多いのか?」
という刺激的なタイトルのほうが読まれてしまう。それどころか、ニュースの中身を読まず、タイトルしか確認せずに「わかったふり」をする人も多い。そうすると、
「パワハラ上司はみんな有名大学卒」
といった勝手な先入観を持つ人が増えてしまう。
書籍や映画の要約サイトは、多くのアクセスを稼ぐ。登場人物の心情を言葉で吐露する映画やドラマ、小説も増えている。
情景描写だけで察することができる視聴者が減っているせいだ。「わかりにくい」映画やドラマがヒットしないせいで、説明過多の作品が多くなっている。
だから、若者は説明を求める。はやく理解したい、という強い要望があるからだ。
■「わからないなりにやってみて」は禁句
何事もはやく理解したい。理解も「タイパ」だと考える若者は、曖昧さを嫌う。だから上司が部下にこう言うのは、絶対にやめたほうがいい。
「わからないなりにやってみて」
「まずは、自分で考えて手を動かして」
仕事を依頼し、部下にわからないことを確認された際に、こんな風に返す上司がいる。
私たち昭和世代の人間に多いだろう。「ダメだし」文化に染まっているからだ。
私たちは、ふとした思いつきで仕事を依頼してしまいがちだ。なぜなら、私たちの若い頃も、上司からそのように仕事を振られてきたからだ。
「とりあえず、この分析をやっておいて」
「どんな教育が最近のトレンドか、調べておいて」
私はひねくれものだったので、
「この分析は何のためにやるのですか?」
とイチイチ目的を聞いたりした。だいたいが思いつきの仕事なので、実は上司もよくわかっていない。
「そんなこと聞かなくてもわかるだろ。グダグダ言わずにやれ」
と頭ごなしに叱られる。さらに、
「では、分析をするには、どんなデータを集めたらいいですか?」
と聞くと、
「自分なりに考えてやれよ。何でもかんでも上司から教えられないと、わからんのか?」
とまた叱られる。目的も教えてくれなければ、手段も教えてくれない。だから、勝手に考えて分析すると、
「誰がこんな分析をしろと言った? この場合は、こういうデータを集めてくるんだよ」
とまた叱られる。
部下に仕事をさせてダメだししたあとに、はじめて自分のアイデアを披露するのだ。そして、
「そもそも、何の目的で分析をするのか、わかってるのか?」
と、その仕事の目的をも披露する。これも、ダメだししたあとだ。
■「後知恵バイアス」がクセになっている上司の問題
「とりあえずやれ」
「まずは手を動かせ」
と言ってやらせてから、「後付け」で理屈を披露するのは、とても簡単だ。評論家の言説と同じで、客観的に見ると
「後からなら何とでも言える」
という風に思えてしまう。このように、すでに起こったことを、さも事前に予測できたはずだと思い込むことを「後知恵バイアス」と呼ぶ。
「そういうことやって、うまくいくと思ったの?」
「そんなことして、うまくいったヤツなんて見たことない」
と、上から目線で「ダメだし」をする。そして、
「わからないことがあったら何でも聞けって言っただろ?」
と付け加えてからアドバイスを始めるのだ。部下の立場からすると、当然
「最初から言ってくれよ」
と言いたくなる。
「後からなら、何とでも言えるじゃん」
と。
部下は、まず自分なりに考えて仮説を立てることが必要だ。すぐに答えを求めると、いつまで経っても考える力が身につかない。
いっぽう、上司は上司で、部下から求められたら明確に説明できるよう言語力を鍛えるべきだ。
「わからないなりにやってみて」
と逃げていては、部下から信頼されることはない。