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『エイリアン:ロムルス』が、若者版“エイリアンごっこ”になったわけ

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
エイリアン対若者、勝ち目ないよな普通。写真はロンドンでのプレミア上映(写真:REX/アフロ)

『エイリアン:ロムルス』は一言でいうと“若者版エイリアン”。若い俳優を使った名作のオマージュである。

1979年のオリジナルと、同じ舞台設定・時代背景を絵的に再現した点にはリスペクトが感じられる。タッチパッドではなくボタン式の操作パネルとか、無線ではなくケーブル式のリモコンとか、液晶ではないブラウン管の画面とか。45年前の未来観の様式美に囲まれ、第1作と似た映像、音響もいくつも出てくる。

お話の方も宇宙船に乗ってからは名作とそっくりで、オールドファンなら懐かしく思うだろう。

だが、名作の続編が、“若者で撮り直しただけ”というリスペクトの真逆が、すべてをぶち壊しにしている。

■青春・学園もののような幼きキャストたち

はっきり言って主役の「レイン」は「リプリー」である

シガーニー・ウィーバーに代わって演じているケイリー・スピーニーは童顔で10代かと思った。他の俳優陣も若くて美男美女で、まるで青春・学園ものテレビシリーズのキャストといってもおかしくない。

貨物船員のリプリーは肉体労働者らしく男勝りの部分があり、同僚たちも一癖も二癖もある連中だったが、「人生の行き場を失った」(オフィシャルサイトより)はずのレインとその仲間には苦労の影が見えない。過酷な労働はしわや傷を顔に刻み込むはずだが、それがない。

物語上は、レインは鉱山労働者のはずなのだが、「搾取」による絶望が外見や性格に出ていない。どうやって生きれば、あんな屈託がない、素直な性格の良い子ができるのか。

美男美女たち。左からアーチー・ルノー、主演のケイリー・スピーニー、スパイク・ファーン
美男美女たち。左からアーチー・ルノー、主演のケイリー・スピーニー、スパイク・ファーン写真:REX/アフロ

さっき、主演女優を「10代」と言ってしまったが(実際は26歳)、それは役作りの問題でもある。

逆境でのリアクションやセリフからは、親の脛をかじってテレビゲームばっかりやってきた子たちに見える。彼女も仲間もみんな肉体的にも精神的にも「幼い」。その分、意識高い系で、繊細で、友情を大切にする良い子たちであるのだが。

興味深いのは、女性が女らしく、男性が男らしく振る舞っていること。主演は女性だがフェミニズム的な強い女としては描かれてはいない

大人の女リプリーのオマージュがこんな幼い子だったら、シガーニー・ウィーバー怒りますよ。

■子供のお話だから子供騙しでもOK

人物設定が幼いと物語は幼稚になる

若者たちはあまり考えないで行動する。勢いとか、その場の雰囲気とかで動く。頭脳よりも感情の方を大切にする。無謀であり無計画である。プライドは高いが打たれ弱い。仕方がない。それが若者、正確に言えば「苦労していない若者」ということなのだから。

でも、これを見ている大人はどうなるのか? 金を払っているのは我われの方である。

死亡フラグが立ちまくっている所へわざわざ行って、やってはいけないことをやってしまう。殺人事件のあった湖畔の別荘に泊まりに行ってはいけない。放棄されたワケあり宇宙ステーションに盗みに入ってはいけない。

もちろん、絶望した若者であれば構わないのだ。

そこへ行かないと生きていけない事情があれば。だが、絶望が少しも描かれていないので、ただの無軌道で知恵が足りない行動に見えてしまう。

これ、13日の金曜日シリーズの若者たちならそれでいいのである。あれはわざと間抜けな若者を出して、その虐殺を楽しむものだから。

しかし、これは仮にもエイリアンシリーズで、しかも名作である第1作のオマージュらしく作ってあるんだよ。

そう言えば、「音を立てたら、即死」なのに電話(?)に出てしまうシーンがあった。まるで自分史上最悪の『クワイエット・プレイス』ではないか。最悪映画って似てしまうのね。

■『スクリーム』『ファイナル…』の客層狙い?

マーケティング的にも失敗だと思う。

オマージュでコアなファンを、若返りで若者層を狙った両取りは、どっちつかずになっただけ。

第1作を見ているコアなエイリアンファン――もう年輩の人も多いだろう――にとっては、今回の若者版は劣化版でしかない。

客層的には『スクリーム』とか『ファイナル・デスティネーション』とか『ラストサマー』とかのファンと重なっているが、20代の若者たちはそもそもエイリアンシリーズに魅かれる理由がない。みんなでワイワイ楽しく過ごそうと思えば、前述のような安定シリーズ作があるのだから。

若者グループは人種的に多様で、最近の政治的な正しさのルールは守られている。そこだけは現代向けにアップデートされている。だが、もっと他に気を遣うところがあったはずだ。

エイリアンは“エイリアンごっこ”になった。

子供のお話だと思えば子供騙しも正当化される。お話のご都合主義も若い奴のやることだと思えば大目に見てもいい。

だが、あのラストのメッセージは何なのか。

前作『プロメテウス』と『エイリアン:コヴェナント』で、神とは、キリスト教とは、AIとは、と深淵に問うた答えが、あれ?

思いっ切り広げた世界観を畳めておらず、主人公の女の子(あえてそう呼ばせてもらう)の単なる成長物語になっている。シリーズ的にも単なるこぼれ話だ。

幼い子たちを出しておけば、そりゃ成長物語としては成立しますよ。

でもね、強い女が生まれた45年後に、あれ……。

リプリーが泣きますよ。

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※オフィシャルサイトはここ

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

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