SNSがつないだ『芋たこなんきん』16年目の奇跡(後編)
NHK連続テレビ小説『芋たこなんきん』(2006年度下半期)が16年ぶりのBSプレミアムでの再放送を経て、10月15日には芋たこファンの有志(竹ノ下景子さん、塩原由香里さん、冨田愛さん)の企画による「芋たこなんきん感謝祭」も開催されるという異例の事態が起こった。
ここでは、後半の模様をレポートしたい。
――多くの芋たこファンの方が気になる要素の一つに、お料理もあります。脚本ではどのように描かれていたのですか。
長川「SNSでは撮影した映像の分量が足りなくて、無理やり料理コーナーを入れたんじゃないかみたいな声もありましたが、料理コーナーを入れたいというのは、最初から考えていたことなんです。『田辺聖子の味三昧』(講談社/1990年)という料理本があり、私はそれが発売されてすぐに買って繰り返し見ては、お好み焼きを作ったり、食材を見て普段の参考にしたりしていました。作り方や量も紹介し、土曜日のお楽しみになればという思いでした」
尾中「土井勝さんの奥さんで土井善晴さんのお母さんである料理研究家の土井信子さんは、大阪の戦前の豊かな家庭料理を御存知の方なので、脚本を作るにあたり、取材に行ったりいろいろお話を伺ったりしました。ただ、料理考証・料理指導としてクレジットされていますが、実はどちらかというと、料理の話よりも、田辺先生と同窓なので、『こんな女の子が近所にいた』とか、少女たちが友達の家に行って、縫い物をしたりしていたというような、当時の女学生の空気感、エッセンスのようなものを土井先生のお話からずいぶんいただいたんですね」
――健次郎さんが最初に倒れるところと、町子さんのお父さんの死とが同時に描かれ、二人の人生がピタリと重なる第24週目をクライマックスとすることは最初に考えたとお聞きしました。その後のラスト2週、第25~26週で闘病と別れをじっくり描いたのは、朝ドラでは非常に異色だと思います。
長川「24週の台本を書きながら、25~26週の中で、闘病と最終回で亡くなることは決めて、そこから余命告知のシーン前後をどんな風な構成にしようかと考えていたんですね。ここで不思議なことが起こったんです。ノートを広げて考え始めたその瞬間でした。夜7時頃に自宅の電話が鳴って、田辺先生の秘書の安宅(みどりさん)さんからで、『どうしても先生がこれだけはお伝えしたいことがあるというので、お電話しました』と言うんです。そこでお聞きしたのが、おっちゃんの余命と病名を告知されたときのお話でした。ちょうどその時間、その部分の構成を書こうとしているなんて、私以外誰一人知らないことでしたから、ビックリして。田辺先生から〈その日の出来事〉のお話を聞かせて頂いたんです。先生が医師の説明・告知を聞いてから廊下に出てきて、病室に向かうときの心情。廊下がすごく長かったということでした。その後、安宅さんにもう一度代わって、『一緒に歩き出したんですが、あんな寂しそうな先生のお顔を見たことがございませんでした』とおっしゃって。それがそのまま長い廊下を2人の女が歩いていくというト書きになりました。その後、健次郎さんの病室に戻って普段の明るさに無理矢理戻して『美女が2人揃ってまいりました』と町子がおどけて『どこにそんなんおるんや』と健次郎さんがツッコむというのも、田辺先生のエッセイに書かれているんですが、田辺先生とおっちゃんの間で交わされた実際のセリフなんです。だから、そのシーンは完全に田辺先生から助けていただいた、ドキュメンタリーじゃないですけれど、そのまんまをホンに落としたかたちです」
サプライズで、田辺聖子さんのご親族が登場!
ここで、前半の「語り」を務めた住田功一アナのメッセージに続き、もう一つ大きなサプライズが。田辺聖子さんの姪で、出版社勤務の田辺美奈さんが登場されたのだ。
――本放送から16年後、BSプレミアムの再放送で『芋たこなんきん』が大反響となったことをどう受け止めていますか。
田辺美奈さん(以下 田辺)「私は16年前、ちょうど子どもを産んだばかりの頃で、毎朝子どもを保育園に連れて行くのにいっぱいいっぱいで、朝ドラを観ていられなかったんです。それで、ようやく落ち着いて、今回の再放送でじっくり見せていただいて、脚本のすごく細やかなところと、今の時代を先取りしていたところ――例えばジェンダー問題だったり、妻と夫の関係だったりがすごく丁寧に書かれていることに驚き、新しいドラマだったんだなと言うことを再発見しました。皆さんがTwitterでいろいろと感想を書き込んでくださっているのも拝見しています。こんなに共感して下さる方がたくさんいるということを伯母も知っていたら、きっと喜んだだろうなと思います。私は出版社で編集者をやっているんですが、実は担当している嵐山光三郎さんもこの作品がすごく好きだそうで、電話をかけてくるたびに電話の向こうで主題歌を歌ってくれるんですよ(笑)」
尾中「つい先日、テレビ東京の女性プロデューサー・祖父江里奈さんから記事(「プロデューサーと脚本家が語る『芋たこなんきん』当時と今」「プロデューサーと脚本家が語る『芋たこなんきん』【キャスティング編】」「『芋たこなんきん』が描いた『笑い』『友情』『老い』」など)を読んだというご連絡をいただいたんです。今日のイベントの話をしたら、びっくりされていました。16年前の作品で、BSプレミアムの再放送で、こんなイベントを企画していただき、こんな大勢に集まっていただけるなんて、客観的に考えれば確かにすごいことだなと。ようやくドラマの供養ができたようなありがたい思いです」
長川「本当に驚きと共に感謝でいっぱいです。ありがとうございます。当時はSNSもほぼなかったので、ご覧になった皆さんの声が届かなかったところはありますが、逆になくて良かったなと思うんですよ。今回の再放送でこんなに盛り上がっていただけたことを思うと、もしSNSが当時あったら1時間、2時間それで時間が吸い上げられてしまいますし、嬉しいコメントばかりですから、たぶんちょっと天狗になっていたんじゃないかと思うと、なくて良かったなと(笑)」
犬の『角煮』や「忍法ご馳走さま!」の元ネタは尾中Pの実話
――お気に入りのエピソードを教えて下さい。
田辺「やっぱり会話がすごく面白い、ツチノコ回ですね(笑)。実際に伯母は小説を書くために兵庫県の千種町(現宍粟市)にツチノコ取材で行って、よくしていただいて、とても気に入っていて、亡くなるまでずっと現地に行き来していたんです。私自身も何度か遊びに行きましたが、本当にイノシシが美味しいんですよ(笑)」
尾中「再放送が始まるにあたって、國村さんと仕事途中の車の中であんな話が好きだったな、あれ面白かったねという話をいろいろしたんですよ。そんな中で、私が長川さんの大発明だと思うのが、由利子(土岐明里)がお母さんの味を再現しようとして失敗して、町子が必死に考えて、お母さんのぬか漬けのぬか床を思いつき、それを探し歩くという話。あれはちょっと感動しましたね」
長川「軽い話だなと思っていたけれども、ゲストとして天童よしみさんが来られた、ニセ町子が登場する『いつか光が…』の週。親子の情みたいなものを天童さんが本当にうまく演じて下さっていて。実は田辺先生の短編小説の中に偽物が現れるというエピソードがあって、そこから借りています。本物の町子とニセ町子それぞれが内心どう思ってらっしゃったかはわかんないですけど(笑)」
尾中「実は最初、天童さんは詐欺師の話は嫌だといって断られたんですよ。それで局の担当の方が一生懸命ご説明して、出ていただいたんですが、天童さんに引き受けていただけなかったら全然違う話に変えていたと思います(笑)。ちなみにニセ町子の『忍法ご馳走さま!』は、私がよくご飯を食べに行く店に、そういう不思議な女の人がいましてね。当時ラップトップ型のパソコンを意味もなくパチパチやっている男にくっついてくる女がいて、帰りしなにその女の人が言ったのが『忍法ご馳走さま!』でした(笑)。『長川さん、すごいの見つけた!』って話したんですよ(笑)」
長川「家を建てているところに遺跡が見つかった人のエピソードは、近鉄・梨田昌孝監督の実話(笑)。これはSNSで気づいて指摘されている方もいましたね」
尾中「私たち自身が元ネタのエピソードも結構入っているんですよね。徳永家の子どもたちが隠していた子犬の角煮の話、あれはうちの兄貴が友達5、6人と京都御所に遊びに行ったとき、ちょうどその人数分の子犬が捨てられていて、1人1匹ずつ抱えて帰ってきて、それぞれの家で怒られたり、飼ってもらったりしたという実話が元ネタです」
長川「角煮という名前を考えたのも尾中さん。あり得ない、バカバカしい名前がいいなということで、たいした意味はなく茶色い犬だから『角煮』でしたね(笑)。それと、ひよこが可哀想だから、あったかくしてあげようと包帯で巻いたのは國村さんでしたよね?」
尾中「そうそう。それから、文学少年の野村寛司くんのモデルは、開高健さんです。あの時代にあんな感じの文学少年がいただろうということで、田辺さんと同じく大阪エリアの方で年齢も近い開高さんが文学少女だった田辺先生とすれ違っていても、不思議じゃないなと。ベトナム戦争の報道カメラマンとして後に再会することまで考えて登場させました」
続編を書くとしたら書いてみたいもの
――そうしたネタのストックはどのようにしていたのですか。
尾中「半年間もありますし、プロットが複数ありますから、メインはもちろん熟考しますが、サブプロットは長川さんと二人でお互いのポケットの中を探りながらネタ出ししていくかたちでした。二人でしょっちゅうしゃべって、しゃべって、『あ、そういえば』と思いつくものを盛り込むかたちですね。長川さんが書いてくるものをもとに、二稿、三稿、四稿と書き直したり付け加えたりしていって、不要になったものをシュレッダーにかけるじゃないですか。シュレッダーが働き過ぎで熱を持って動かなくなっちゃって、その間に手で破るので、腱鞘炎になりました。朝ドラを書いていらっしゃる方はみんなそんなんじゃないかと思いますが」
――長川さんは脚本がすごく早いと尾中さんはおっしゃっていましたね。
尾中「すごく早いんですよ。締め切りを絶対に守るので、すごく優秀です」
長川「脚本のせいで現場が遅れないということは、そこでもう1回練られるわけです。結果、さらに作品がブラッシュアップできるということは、脚本家としても作品全体としても得なんです」
――数々の著作物をエッセンスにしてオリジナルで作られたそうですが、具体的にセリフやエピソードを著作物からピックアップして盛り込む手法ではないのですか。
尾中「そうですね。いろいろな小説、エッセイを何度も読んで、1回自分の体を通してから出てくるものじゃないと、セリフやエピソードだけ浮いてしまうんですよ」
長川「2年ぐらいの間、24時間田辺聖子ワールド漬けでした。ご飯を食べるとき以外はずっと資料に向き合い、お風呂に入っている間もエッセイがボロボロになるまで読んで、脚本を書いて、直して、ノートに書いたヒントみたいなものを使うこともありました」
――以前、最終回を書き終えた長川さんが「あと半年ぐらい書けそうです」とおっしゃったと尾中さんから伺いました。続編を書くとしたら、書いてみたいものは何ですか。
長川「子供時代のたくさんのエピソードはもっと書きたかったんですが、もし今書くとしたら、触れずにいられないのは、やっぱり阪神淡路大震災のことですね。ちょうど物語としては第24~26週と重なる時代なので、触れずに飛ばしたんです。もう書けませんけどね…(笑)。海外の戦争のことも、田辺先生は心を痛めたり、誰よりも早く糾弾したり、していたんですね。『知識がなくなると、愛がなくなる』という言葉も、エッセイで書かれていたことで。震災をどうとらえていたかを描くと、また違うものが見えてくると思います」
たっぷり2時間トークが展開された『芋たこなんきん感謝祭』は、主催者・竹ノ下景子さんの締めの挨拶「ほな、また!」(最終週のサブタイトル)で終了。
なんと翌日には「芋たこなんきん感謝祭」がSNSでトレンド入りを果たすという事態が起こっていた。
さらに、感謝祭に関するツイートに、「中の人」の1人、回想編で花岡写真館の写真技師・浦田役を演じた、にわつとむさんが「いいね」をつけてくれていた。
実は回想編出演者たちは今でも非常に仲が良く、「芋たこ会」のグループLINEでつながっており、一連の芋たこ関連記事もにわさんがLINEを通じてグループ内でシェアして読んでくれていたのだという。
16年の時を経てSNSからファン発信のイベントが企画され、その一方で出演者たちは今も交流を続けている。再放送は終了したが、『芋たこなんきん』は今も終わっていなかった。
いつの日かNHK総合の再放送で、あるいはDVDで、もう一度会える日を心待ちにしながら、芋たこ記事をいったん締めておきたい。
ほな、また!
(田幸和歌子)
【好きなエピソード】
1 『子離れ、親離れ』 97票
2 『出会い』 90票
3 『すれちがい』 80票
4 『お母ちゃん』 79票
5 『奄美想いて…』 78票
6 『カーテンコール』『春のあらし』 70票
7 『思いやる心』 33票
8 『おおきに』『町子戦中編』 28票
9 『ほな、また!』『ここに花咲く』19票
10 『禁じられても…』 12票
【好きなシーン】
1 「チーーーーッ」 61票
2 組体操 48票
3 「矢木沢純子と出会う」加筆 35票
4 町子が健次郎をぶっとばす(思いやる心) 31票
5 ♪こんにちは赤ちゃん♪ 28票
6 待合室で通夜 ♪19の春♪
町子と健次郎の晩酌シーン全て 27票
7 芋たこ飯のシーン全て 21票
8 「僕はあんたの味方やで」 18票
9 ヌイ宅訪問 11票
10 町子が健次郎の遺影に語りかけ指切り
カンジ「知識がなくなると愛がなくなる」 9票
長川「(奄美想いて…、カーテンコールなど、「老い」や人生・仕事のしまい方のエピソードの人気が高いことについて)――田辺先生の作品に老いを魅力的に描いているものが多いからということがあると思います。ただ、今になって観ると、16年前、40代の自分が考えたことだなと思うところもあります。具体的にどれとは言えないですが、今だったらこんな考え方をしないなと。その半面、10代の恋愛シーンがすごく少ないです(笑)」
(集計/竹ノ下景子さん、塩原由香里さん)
【芋たこファンにオススメの田辺聖子さん作品】
尾中「映像化したいのは『乃里子三部作』。今の方が読んでも非常に新鮮に思えると思います」
田辺「伯父が亡くなる前後のことが書かれている『残花亭日暦』。それから、『姥うかれ』『姥ざかり』『姥ときめき』『姥勝手』などの“姥シリーズ”。当時はまだ元気な高齢者というイメージがなかったんですが、主人公の歌子というおばあさんは、非常に元気で痛快で、 自分の人生をちゃんと生きることに力を注いでいて魅力的です。実際に伯母の母というか、私の祖母は非常に元気な人で、とても長生きしたんですけれども、80過ぎてお医者さんの許可が必要になるくらいのときでも、ハワイにも行きましたね。お肉も食べて、元気で、書道をやったり、張り絵をやったり、戦時中のしんどかった生活を取り戻そうと思うところもあってか、若々しくて。たぶん歌子さんのモデルになっていると思います」
長川「町子のお母さんの和代さん(香川京子さん)が、1人暮らししたいとか、ハワイに行くとか、お母ちゃんにも未来があるという自由なお母さんになったのは、姥シリーズの歌子さんの年のとり方が素敵だなと思ったからというところもあるんですよ」