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生物学的に見た介護の“効用”

田中淳夫森林ジャーナリスト
(ペイレスイメージズ/アフロ)

書店に足を運ぶと、「介護」の棚があった。介護のノウハウ本だけでなく、自らの体験本も少なくない。

雑誌でも、肉親の介護に関する記事か増えているように思う。ネットには、介護体験記がこれでもか、というほどアップされている。介護・看護の体験実例は、もはや一大分野なのだろう。

私も他人事ではなく、読んでしまう。我が家も抱えているからだ。

もっとも壮絶な介護体験と比べると、「ああ、うちはまだ軽症だ」「ずっと楽してるなあ」「でも、そのうち悪化するのだろうか……」と、安心と不安の間に落ち込む。

介護の拡大が社会問題になって久しい。今や介護離職が家計を破壊し、福祉予算が底を尽き行政サービスの破綻も語られる。ただ社会問題だけでなく、家庭内の感情問題としても重大だ。肉体的な介護労力の厳しさとは別に、絆を破壊しかねない点も多くあるからだ。なぜなら介護を必要とする高齢者は、単に肉体的な衰えだけでなく、認知症でなくても感情失禁(いわゆるキレる)を起こすことが多く、暴言を吐いたり意味不明の行動などによって、怒りと混乱・苛立ち……に包まれるのである。

老親が残された子や孫の生活を混乱させ、社会を破壊しかねない介護問題は、なぜ存在するのか。。。

そんな時にお会いした女性の言葉が目からウロコだった。

彼女は60代後半で、母親の介護を抱えている。お互い、その苦労を語り合ったのだが「でも、介護にもいいところがあるのよ」と言う。

「突然死なれたら悲しみが強くて後を引くでしょう。でも、介護を経て亡くなると、悲しみより解放感が強くて、次の人生がすっきり歩めるの」

ハッとした。たしかに親や配偶者、子供や恋人など親しい人が突然なくなると、心身に異常をきたすことはよく指摘される。鬱、不眠、虚脱、情緒不安定……などのロス感情にさいなむという。最近ではペットを失うことによるペットロス症候群まで指摘されるように、死別によって残されたものがショックを受けて日常生活に支障をきたすことはあるだろう。

だが、一定期間の介護の苦労で、そうした感情が抑えられるとしたら……。介護は親が子に残す最後の置き土産かもしれない。

これで思い出したのが鎌状赤血球症だ。これは赤血球の形が鎌の形にへしゃげている遺伝病だが、酸素運搬能力が低いために貧血になりやすい。時に亡くなるほど重篤なケースもあるが、日常生活は送れても運動能力などで劣るのは否めない。中近東やインド北部の民族にもいるが、とくにアフリカにはかなりの罹患者が存在する。

生存に不利な遺伝病だったら、進化論の自然淘汰説からすれば、消えていくはずだ。それなのになぜ今も一定数存在するのか。

実はマラリアの分布と重なるのだそうだ。マラリアは蚊が媒介する原虫感染症で、赤血球を破壊して重篤な症状を発症させて死亡率も高い。しかし、鎌状赤血球には罹患しにくい。貧血に陥らせて生存に不利に働くと見られる遺伝子も、マラリアに対抗するには有利……だからマラリア激甚地帯のアフリカなどで鎌状赤血球症は消えないのだ。それを知って、自然界には意味のないことはないと感じたのだった。

ほかにも犯罪性向の強い、いわゆるサイコパスが常に人口の一定割合存在することも、彼らが人類の進化と生存に果たす役割を指摘されている。

そうか、老親介護にも残された人々へのショックアブソーバー的役割があったのか……そう考えると、何か少し心が落ち着く気がする。

もちろん、それで家族の苦労が解決するわけではないけれど。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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