感染症対策といえども医師は休めない? 医療現場の状況
17日、厚生労働省が「新型コロナウイルス感染症についての相談・受診の目安」を取りまとめました。
まず冒頭に、「相談・受診の前に心がけていただきたいこと」として、
「発熱等の風邪症状が見られるときは、学校や会社を休む」
という点が挙げられています。
そもそもこの注意点は、新興感染症が流行している時に限らず、常日頃から意識されるべきものではあります。
毎年インフルエンザは流行しますし、風邪で体調を崩す人もたくさんいます。
薬で症状を抑えて無理に出勤し、周囲の人に感染させてしまう、といったことは、これまで普通にあったわけです。
「休めないあなたへ」というキャッチコピーが風邪薬のCMで使われるほどに仕事を「休めない」私たちは、これを機に安全な仕組みづくりを考える必要があると感じます。
さて、こうした「休めない」事情は医師も同じです。
和歌山県で医師が新型コロナウイルス感染症に罹患したことが報じられました。
症状がある中、解熱剤を服用しながら勤務を続けていたとされています。
人員不足など厳しい状況で戦っている医師たちにとって、多くの患者さんを抱える中、あっさり休むのは容易ではありません。
またそもそも医師の場合、仮に労働力が十分であっても休みづらい事情があります。
主治医制という仕組みがあるためです。
主治医制という「安心感」
施設によってシステムは異なるので一概には言えませんが、多くの病院では、患者さんそれぞれに対して担当する医師が決まっています。
これを「主治医」と呼び、担当の患者さんに異変があった時は常に主治医が対応します。
夜中でも休日でも、担当の患者さんが急変した時は、主治医は自宅であろうと外出先であろうと電話を受けたら急いで駆けつける、というのが一般的です。
夜中や休日は当直医が病院にいるのですが、やはり習慣的に「患者さんの病状をよく分かっている主治医」が対応します。
(※繰り返しますが施設によっては例外もあります)
実際、患者さんやそのご家族にとっては、特に病状が良くない時に信頼する主治医が不在だと不安になるものです。
病状が安定しない時や急変して命が危うい時に主治医が休んでいたら、
「こんな大変な時に主治医は何をやっているんだ?」
と不信に思うかもしれません。
そして医療現場には時に、どれだけベストを尽くしても救えない患者さんがいます。
しかし、主治医が不在だったらどうでしょう。
「主治医が対応していたら、もっと良い結果だったかもしれないのに」
と、ご家族は主治医に怒りの感情を抱いてしまうかもしれません。
医師の立場としても、患者さんから不信感を持たれたくない、期待を裏切りたくない、という思いがあります。
ですから、患者さんを担当する以上、できる限り休みたくないと考えるものです。
本来望ましい仕組みとは
しかし、本来患者さんにとって望ましいのは、「いつも同じ医師が対応してくれること」ではなく、「医師が一人欠けても医療の質が変わらないこと」であるはずです。
主治医も人間ですから、病気で倒れることもあれば、家族の不幸でやむなく不在になることもあります。
対応する医師が変われば医療の質が変わる、というのは、安全管理上は望ましくありません。
チームとしていつも同じパフォーマンスが提供できるような仕組みこそ、安全と言えます。
そして実際、医療現場ではこれが実現できる状況にあります。
医療はサイエンスですから、「科学的根拠に基づいて考えた時、何が最も適切か」は、そもそも属人的でありません。
医師個人の主観や経験に基づく方針より、「客観的にその正しさが検証されたエビデンス」こそが拠り所となるべきだからです。
こうした取り組みは、EBM(Evidence-based medicine:根拠に基づく医療)と呼ばれ、医療現場では近年強く意識されています。
具体的には、数々の信頼性の高い論文を参照して「診療ガイドライン」を構築するなど、医療の質の均てん化が図られています。
むろん、人間の体はそう単純ではありませんから、そうした画一的な方針に頼ることが常に正しいわけではなく、ケースバイケースでの対応が必要です。
また、現場経験の豊富な年長者のキラリと光る閃きや洞察が、治療方針に大きな転機を生むこともあります。
こうした事象を軽視してはならないのも事実です。
しかし原則としては、医療におけるこうした「科学的な考え方」を患者さんにご理解いただく必要がある、と考えています。
そして「仕事が属人的でない方がむしろ、より安心して医療を受けていただける」という点を、ぜひお伝えしたいと思います。
なお、病院によっては、そもそも労働力が絶対的に足りず分業そのものが成り立たないところもあります(たとえば一つの科に一人しか医師がいなければ、必然的に全ての患者さんの主治医はその医師ですから、チームも何もありません)。
そうした現場では、当然ながらここに書いた考え方が当てはまらないことは申し添えておきます。