入管法改正をめぐる政策形成について(1)
コロナ禍は全世界に大きな影響を与え、その傷跡は甚大なものがある。コロナ禍により、経済や人の動きは大幅に停滞・低下したのだ。
そのことは、2019年4月の入管法の改正により、減少・不足する労働力を補おうとした日本の目論見を大きく外させた。もちろん経済の停滞により、労働力需要の低下の起きた分野では大きな問題にはならなかったが、分野によっては、期待した外国人労働者が入国できず、大きな問題に直面してきている。またコロナ禍を通じて、これまで見えていなかった日本国内における外国人労働者の問題も顕在化あるいは起きてきているのである。
コロナ禍は、2022年6月現在、いまだ不透明感が完全に払しょくされたわけではないが、国際的にもまた日本国内においても、とるべき対応がある程度見えてきており、次のステージに入りつつある。このような状況を踏まえて、多くの国々は、外国人の受け入れに対してより積極的な方向に舵をとってきており、日本も、同様の方向に進みつつあります。
その意味からすると、日本でも、入管法改正による外国人労働者の本格的な流入(あるいはそれが起きないことも含めて)を始めるのではないかと予想されます。そのことを考えると、今こそ、日本における入管法や外国人(労働者)に関して、これまでどのようなことが行われ、あるいは起きてきたのかについてレビューし、今後に備えることが必要であろう。
本記事は、日本は、入管法の改正で、実質上外国人労働者の「移民」を受け入れるようになったが、その入管法がいかに成立したかのプロセスについて分析、論じるものである。またその分析および論議を通じて、そこに見えてくる日本における「移民」、特に外国人労働者に関する考え方およびその変遷、またそれを踏まえた上での日本における外国人労働者受け入れの制度的な枠組みの変更および今後の可能性(基本的には、2020年8月ぐらいまでの状況を基に論じている)について論じていくものである。3回に分けて、論じていく。
1.日本の移民政策および外国人労働者政策の変遷
日本語で「移民」は、「出ていく移民(emigration)」と「入ってくる移民(immigration)」の両方を意味する。そして、その両方は、国家という観点から見た場合に密接に関係性があると考えられる。
そこで、ここではまず、日本における「出ていく移民(emigration)」について簡単に触れておくことにする。
(1)日本における「出ていく移民(emigration)」
日本では、近代国家が成立し第二次世界大戦前では1920年代、戦後では1950年代に移民政策がとられた。国際移民を専門にする遠藤十亜希教授によれば、その前者の時期においては、未曽有の大衆運動などから生まれた政治的不安定状態があり、その「緊張を緩和する手段として移民を利用した」(注1)のであり、後者の時期においては、「戦前移民の帝国主義・植民地主義的イメージをいかに払拭するかが大きな課題」となり、戦後の国是である「平和主義・国際主義を希求する新しい日本は、移民政策もその国是に基づくもの」であり、「日本政府は戦後の国際社会に認めてもらうために、開発途上地域の近代化に協力したいという希望を強くもって」おり、「平和移民」であるとの趣旨(注2)で行われたという。
だがいずれの時期においても、移住政策で本来重要であるはずの個人や家族の利益や幸福が必ずしも考慮あるいは重視されてはいず、「国益」や国家が考える「社会的利益」が優先されていたということができる。
日本における「移民」の歴史を踏まえた上で、次に第二次世界大戦後から近年までの外国人労働者の受け入れ、別のいい方をすれば「入ってくる移民(immigration)」の受け入れとその政策について、みていこう。
(2)第二次世界大戦後の状況
第二次世界大戦後、西欧諸国は、経済復興のため、外国人労働者を多数受け入れてきた。これに対して、日本は、高度経済成長期においても、外国人労働者を積極的に受け入れるという政策選択を行うことはなかった。
また、同大戦後のしばらくの間は、日本における「外国人問題」は戦前日本国籍があったが戦後日本国籍を喪失した、主に植民地領有から生じた韓国・朝鮮人および台湾出身者から構成される在日外国人に関するものであった(注3)。
日本は、占領下にあったが、昭和25年(1950年)に、出入国管理庁が、外務省の外局として設置された。さらに、昭和26年(1951年)には、「出入国管理令」(昭和26年政令第319号)が制定された。同政令は、出入国およびそれに関連する在留を管理する法制であるが、米国の移民法の影響を受けたものであった。
外国人は、日本に上陸しようとする場合、原則、入国審査官に上陸申請し、審査を受ける必要がある。そして、当該外国人は、同審査官により上陸条件が認定され上陸許可を受けた場合、在留資格および在留期間が決定される。
日本の入管法制における「在留資格は外国人が本邦で一定の活動を行って在留することができる法的地位とされている。」(注4) そして日本での就労は、在留資格毎にその内容を含めて定められている。
これらのことは、出入国管理令において定められており、その改正はこれまでに何度か行われてきているが、その枠組みは変更されてはいない。
その後、昭和27年(1952年)には、サンフランシスコ講和条約が発効したが、「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基づく外務省関係諸命令の措置に関する法律」(昭和27年法律第126号)によって、同出入国管理令が法律としての効力が付与されたのである。また同年8月には、「入管行政」は、外務省から法務省に移管された。これにより、同省の入管管理局が、外国人対策を出入国管理の観点から行うことになった。
(3)高度経済成長期における外国人労働者への対応の変化
その後、日本は、昭和29年(1954年)ごろから高度経済成長期に入る。それに伴い、産業界から、外国人労働者の受け入れを要望する声が上がるようになる。
これに対して政府は、昭和42年(1967年)の「第一次雇用対策基本計画」、昭和48年(1973年)の「第二次雇用対策基本計画」および昭和51年(1976年)「第三次雇用対策基本計画」においても、外国人労働者の受け入れは必要なしあるいは行わない旨の口頭了解が担当大臣(当時の労働大臣)からなされ、踏襲された。
しかしながらその一方で、戦後の経済協力の一環として、昭和40年(1965年)ごろから、「外国人労働者」を受け入れるチャネルがつくられたのである。それは、研修を名目としたものであった。当時は、出入国管理令には、研修に該当する在留資格はなかった。しかし、列記された以外の者で法務省令が定める特定の在留資格者としての入国で研修を必要とする者で、その対象業務には特段の制限もなく(注5)、その対象期間が6か月以上の者の場合は、法務省と労働省の協議により、6か月未満の者の場合は法務省単独で許可を判断できるという仕組みがつくられていた。
また日本の高度経済成長が進展する中、日本経営者団体連盟や日本商工会議所などは、昭和45年(1970年)ごろにまとめた要望のなかで、外国人労働者を技術見習いや研修生などとして受け入れる制度や組織の設置を行うべきであることを打ち出した。それらの流れの中、労働省(当時)は、「国際技能開発計画」を作成し、「労働外交」と称して東南アジア諸国からの技能研修生を多数かつ計画的に受け入れる立案を行った。
しかしながら、実際に技術研修生としての在留資格が設けられたのは、昭和56年(1981年)の出入国管理令改正まで待たなければならなかった(注6)。
また1981年には、上記の改正後に、日本は国連の「難民条約及び同議定書」に加入し、それに伴う法整備で、出入国管理令がさらに改正されて、「出入国管理及び難民認定法」となった。
他方、1970年代後半には、「インドシナ難民、東南アジアからの女性外国人労働者、中国帰国の二世・三世、欧米から商用目的で来日する外国人が増加した。」(注7) 特にアジア諸国からの外国人労働者が、昭和50年(1975年)から、主に観光客等に対して認められる短期在留資格等により日本に顕著に流入し、低賃金の単純労働に従事することになった。
そして、1985年プラザ合意後、円高の進行や日本企業の海外進出などによって、日本国内の「産業の空洞化」が叫ばれるようになった。この1980年代後半後からは、これまで出稼ぎ先・地域であった中近東産油国が経済不況に陥り、急激な円高から短期に高収入が得られることなどの理由から、別の出稼ぎ先として、日本が選択され、アジア諸国からの労働者や南米の日系人などが外国人労働者として増加したのである(注8)。
このような現状を受けて、1988年の「第六次雇用対策基本計画」においては、外国人労働者を「専門的・技術的労働者」および「単純労働者」の2つに分類し、前者は可能な限り受け入れる一方で、いわゆる単純労働者については慎重に対応するという方針が示されたのである。
この方針に沿う形で、1989年には「出入国管理及び難民認定法」が改正され、翌年には施行された。そして1990年には、「研修」の在留資格制度が認められ、第三次臨時行政改革推進審議会(鈴木永二・元日経連会長)の第二次答申を受けて、「外国人技能実習制度」が1993年には設けられ、同じ頃にさまざまな外国人向けの在留資格制度等(注9)が整備されることになった。
他方において、1990年代以降、欧米諸国では、高度技能を有する外国人の積極的な受け入れが活発化し、特に情報化社会時代となり、IT技術者などの獲得の激しい競争が起きたのである。
(4)社会の変化により、日本の外国人労働者への対応の変化
日本は、1990年代に入ると、バブル経済が崩壊した。それを受けて、日本企業は、安価な労働力を求めて、国内の生産拠点を海外に移転する動きが続き、ビジネスにおける国際競争が激しくなった。
それを受けて、日本では、外国人労働者に関する議論は一時的に収まった。しかし、研修・技能実習制度の整備や在留資格「定住者」の創設などは行われたために、相変わらず単純労働者は受け入れない政策をとり続けていたが、外国人労働者の数は実は増え続けたのである。
また日本は、1970年代の半ば頃から、合計特殊出生率は人口置換水準を下回るようになった。さらに、1990年には合計特殊出生率の水準は、人口が増加も減少もしない均衡した状態になる1.57となり、「1.57ショック」が国内に広がり、それを契機に、出生率低下および人口減への社会的な関心と危機意識が急速に高まった。その結果、少子化に基づく労働力人口の減少問題に対処する必要が政策的に重要になったのである。
1997年には、厚生省が、日本の将来推計により、2007年頃から日本の人口が減少し、その後急速に減少し、2020年代には働き手2.2人に対して老人1名、2050年には働き手1.7人で老人1名を扶養することになるであろうことを公表し、日本社会に大きな反響と衝撃を生んだ(注10)。
その後立て続けに、次のような外国人労働者に関わる方向性等が政府の諸活動などで打ち出されることになる。
・小渕恵三内閣の経済戦略会議は、1999年の答申「日本経済再生への戦略」で、日本の少子化対策として、次の2点を指摘した。
*外国人労働者の受け入れを拡充するために、技能実習制度の在留期間の延長等、必要な法制度を見直すこと。
*少子化に対応する諸外国の取り組みを勘案し、外国人移民の受け入れ拡充と国籍法のあり方について検討すること。
・小渕総理の私的諮問機関「21世紀日本の構想」懇談会が、2000年に、報告書「日本のフロンティアは日本の中にある―自立と協治で築く新世紀―」を公表し、次のことが指摘された。
*日本では、総合的な外国人政策が未発達であること。
*グローバル化対応と日本の活力維持のために、一気に開放ではないが、外国人が住み、働き、日本社会に貢献できる移民政策の必要性。
・森喜朗内閣の「IT基本戦略」(2000年公表)でも、次の点が明記された。
*「2005年までに3万人程度の優秀な外国人人材を受け入れ、米国水準を上回る高度なIT技術者・研究者を確保する」。
また同時期に、国連経済社会局人口部が、どの国も、人口置換水準を切った合計特殊出生率の回復がないなら、その代わりに「補充移民」がない限り、現在の人口および生産年齢人口を維持できないと指摘する報告書を、2000年に発表し、日本国内外での外国人人材の受け入れや活用の必要性が高まったのである。
このような状況を受けて、日本国内では、政策的に外国人受け入れについての流れは、ゆっくりではあるが、次のようにさらに高まっていくのであった。
・総合規制改革会議の「規制改革の推進に関する第3次答申」(2003年)
*経済のグローバル化と人材獲得競争の中、日本経済の競争力維持のために、少なくとも高度人材に対して、国境を超えて門戸を幅広く開放すべきであると指摘。
・第3次出入国管理基本計画(2005年)
*日本は、「専門的、技術的分野の外国人労働者の積極的受け入れ」との方針の指摘。
*「現在では専門的、技術的分野に該当するとは評価されていない分野における外国人労働者の受入れについて着実に検討していく」との見解の表明。
・規制改革・民間開放推進会議「規制改革・民間開放の推進に関する第3次答申」(2006年)
*「いかにすれば国内で付加価値を生み、我が国の経済規模を維持・拡大させられるのかという問題に、外国人労働者の受入れの面からも本格的な対処を検討する必要がある」と指摘。
・自由民主党外国人材交流推進議員連盟の中間とりまとめ「人材開国!日本型移民政策の提言 世界の若者が移住したいとあこがれる国の構築にむけて」(2008年公表)で次の点を提言。
*日本の生きる道として、移民を受け入れ、日本の活性化を図るために、「移民立国」への転換の必要性。
*新しい国づくりのために、適正な移民受け入れのための「移民政策」の必要性。
*「日本型移民政策」の提唱。
(5)外国人人材受け入れに向けての法整備の進行
このような国内の動きと並行する形で、外国人人材受け入れに向けての政策・対策や法整備がさまざまな形で進行してくる。
まず、雇用対策法が、2007年に改正され、同法第4条第10号には、高度の専門的な知識又は技術を有する外国人の就業の促進および合法的に就業する外国人の適切な雇用の確保のために雇用管理の改善の促進及び離職時の再就職の促進のための施策の充実を図る外国人の雇用政策が明記された。
同法が改正されたことで、雇用政策基本方針(平成20[2008]年厚生労働省告示第40号)が、「雇用対策基本計画」に代わって策定された。同方針では、国際競争力強化を図るとの視点から、専門的・技術的分野における外国人の就業の積極的推進、質の高い留学生の確保や就職支援の推進そして外国人労働者の就業環境の改善を掲げている。ただし、その前提として、「労働市場の二重構造化が強まるおそれがあることに加え、労働条件等の改善や、それを通じたマッチングの促進・人材確保を阻害しないためにも、安易に外国人労働者の受け入れ範囲を拡大して対応するのではなく、まずは国内の若者、女性、高齢者、障害者等の労働市場への参加を実現していくことが重要」としている。
同雇用政策基本方針は、2014年に改正され、高度外国人の受け入れ及び定着の支援が重要であるとすると共に、日系人等の定住者や日本人の配偶者等の活動制限のない外国人の就業を促進する施策を挙げると共に、外国人労働者の受け入れ範囲の拡大については、社会・制度・治安など国民生活の様々な面での影響を考慮した国民的議論が必要であることを指摘した。
このようにして外国高度人材の受け入れに向けた、動きや法整備等が、さらに進められていくことになる。
2008年6月27日に閣議決定された、政府の経済財政に関する基本方針の通称であるいわゆる「骨太の方針」である「経済財政改革の基本方針2008」は、「『迎え入れる国際化』によるメリット」を享受することの必要性を主張し、高度人材の受け入れ拡大やそのこととも連携して留学生受け入れを拡大させる方針を示した。
そして同年、高度人材受入推進会議が、内閣官房長官の主宰の下に開催され、2009年には、報告書「外国高度人材受入政策の本格的展開を」をまとめ、外国高度人材受け入れ政策を国家戦略として位置付けた。
福田康夫総理は、2008年1月18日に行った施政方針演説において、「留学生30万人計画」策定を表明した。それを受けて、関連省庁である文部科学省、外務省、法務省、厚生労働者、経済産業省、国土交通省が連名で、「『留学生30万人計画』骨子」を作成した。
それは、留学生は、当時12万人程度であったが、2020年までに30万人にするというものであったが、これにより、留学生は増加し続け、2017年末には、留学生数が30万人を超え、数値上はその目標は達成された。
さらに、入管法が、2009年に改正され、次のような新たなる在留管理制度が導入された。
・外国人登録制度を廃止し、在留カード導入。
・在留資格「技能実習」の創設などの研修・技能実習制度の見直しに係る措置。
・在留資格「留学」「就学」一本化。
また2012年には、「高度人材ポイント制」は、ポイント制を活用し外国高度人材に対して出入国管理において優遇措置を講ずる制度であるが、5月7日に外国高度人材の受け入れ促進を図るために導入された。そして、7月9日には入国管理局から発行される在留カードによる新しい在留管理制度を開始した。
2014年6月24日には、「日本再興戦略改訂2014―未来への挑戦―」が閣議決定された。同戦略においては、「中長期的な外国人材の受入れの在り方に関しては、移民政策と誤解されないように配慮し、かつ国民的なコンセンサスを形成しつつ、総合的な検討を進めていく」(注11)としながらも、「外国人材の活用」という項目が明確に立てられ、「①高度外国人人材受入環境の整備」「②外国人技能実習制度の抜本的な見直し」「③製造業における海外子会社等従業員の国内受入れ」「④女性の活躍推進、家事支援ニーズへの対応のための外国人家事支援人材の活用」「⑤介護分野の国家資格を取得した外国人留学生の活躍支援等」(注12)の指針が明示されたのである。
2014年の入管法の改正は、このような方針を受けて、高度人材ポイント制に関する在留資格である「高度専門職」(注13)が創設されたのである。
また、次のように分野別でも様々な形で、外国人人材の受け入れができるような対応が取られたのである。
・2014年、建設・造船分野における技能実習修了者を、国土交通省告示により、緊急かつ時限的措置的に即戦力と受け入れる措置を行った(注14)。
・2015年には、国家戦略特別区域法改正に基づき、国家戦略特区において、家事支援外国人受入事業が認められるようになった。
・2016年、入管法改正によって、留学生で介護福祉士資格取得した者に対して、在留資格「介護」が創設された。また「外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律」が制定される。さらに製造業において海外子会社等の従業員を国内拠点に受入れる制度が開始された。
・2016年5月、自由民主党政務調査会の「労働力確保に関する特命委員会」が、「『共生の時代』に向けて外国人労働者受け入れの基本的考え方」公表。そこにおいては、移民政策と誤解されないように配慮しながら、外国人受け入れに関して、雇用労働者として適正な管理を行う新たなる仕組みを前提にして、必要分野では個別的に精査の上に就労目的の在留資格を付与して受入れることを進めるべきであるという考えが提示され、外国人労働者数を現在の倍増ししても対応できる制度を構築すべきとした。
・2017年、「働き方改革実現会議」において、3月28日に、「外国人材の受入れ」を項目に立てた「働き方改革実行計画」を決定した。
・2017年には、4月26日の「永住許可に関するガイドライン」改正で、ポイント制を見直して「日本版高度外国人グリーンカード」(注15)が導入され、国家戦略特別区域法改正法が成立、国家戦略特区における農業分野の外国人就労解禁等となった。
・2017年、6月9日に閣議決定された「未来投資戦略2017―Society 5.0に向けた改革―」は、外国人材受入れ拡大の前向きなメッセージの積極発信と高度外国人材の生活環境、賃金・雇用人事体系、入国・在留管理制度などを魅力的にするための改善をすべきことを指摘した。また、上記の「日本版高度外国人グリーンカード」の創設、外国人の生活や就労の環境の改善、留学生の就職支援、海外子会社等従業員の国内受け入れの拡大などの方針を示した。
以上のことからも、日本政府は、基本的に移民政策は否定してきており、外国人受け入れには非常に慎重な姿勢をとってきたことがわかる。
他方で、国内における社会的や経済的かつ構造的な変化などにより、経済界などからの要望等が高まり、少しずつではあるが、外国人人材を受け入れる方向に進んできたのである。
しかしながら、その進展は、上述されていたように、技能実習生などの抜け道というか、別のチャネルで対応しながらも、少なくとも全体としてあるいは政府方針としては特に単純労働者に対しては非常に慎重である一方で、高度な技能を有する外国人に対しては積極的に受け入れるようになってきたということができるのである。そのことをまとめたのが、次の下表である。
(注1) 遠藤(2008)p243 さらに遠藤[2016]参照
(注2) 遠藤(2008)p252 さらに遠藤[2016]参照
(注3) これらの人々およびその子孫については、次のようになっている。「制度の変遷を経て、平成3(1991)年4月『日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に管理に関する特例法』(平成3年法律第71号)が制定され、これらの人々とその子孫は、同法施行の際に在留していることを要件として『特別永住者』として在留資格が付与されることになった」(岡本 p32)
(注4)岡村 p32
(注5)看護婦等も研修生として入国できたのである。
(注6)なお、昭和44年(1969年)に国会提出された「出入国管理法案」(第61回国会閣法第90条)においては、審議未了になったが、当時の技術技能習得者の増加に基づき、技術研修生としての在留資格の新設が試みられた。なお、1981年の同法改正により、「本邦の講師の機関により受け入れられた産業上の技術又は技能を習得しようとする者」という在留資格が新設された。
(注7) 渡辺 p8
(注8)これらの外国人労働者は、売春などの違法行為をしたり、暴力団やブローカーなどによる組織的収入源や無報酬労働となるなど多くの問題・課題の温床となると共に、主に土木建設や町工場など単純労働に従事したが、農業などの第一次産業や店員・販売などの第三次産業に従事するものもいたが、彼らのほとんどは低賃金就労であった。
(注9) 岡村 p37-38
(注10) 厚生省人口問題研究所 p2-6
(注11)「日本再興戦略改訂2014―未来への挑戦―」p50
(注12)同上p48-50
(注13)同資格の場合、高度人材ポイント制において、学歴、職歴、年齢、研究実績、年収、資格、特別加算等の項目からなるポイント表で高いポイントが必要とされる「高度人材」に認定される必要があるが、複数のビザにまたがる活動を同時に行うことができたり、在留期間が長期であることや永住許可要件が緩和されていたりするなどのメリットがある。
(注14)この措置は、当初2020年までの時限措置とされたものであるが、2017年の改正で、2022年末まで一部就労可能とするなどの見直しがされた。
(注15)「高度な専門知識や経営手腕、高い技術を持つ外国人の労働者(=高度外国人材)に対して交付される日本の永住権のこと。2016年6月、政府は閣議決定した成長戦略として『日本版高度外国人材グリーンカードの創設』を打ち出していたが、17年11月19日、政府はこのような高度外国人材に対し、永住権申請に必要な滞在期間を最短で1年に短縮する方針を固めたことがわかった。これにより出入国管理を所管する法務省が具体的な制度設計を急いでおり、早ければ17年より実施される。外国人の永住権申請には従来は最短でも5年の滞在期間が必要であった。内閣官房によると高度外国人材の永住権申請に必要な滞在期間は韓国と並ぶ『世界最速級』となるという。」(出典:2016-11-22朝日新聞出版/知恵蔵mini)
なお、本記事の参考文献は、記事「入管法改正をめぐる政策形成について(3)」の最後にまとめて掲載する。
…次号に続く…