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日本のエネルギー政策の根っこの問題

江守正多東京大学 未来ビジョン研究センター 教授
(提供:イメージマート)

ロシアのウクライナ侵攻の影響で世界のエネルギー情勢は大混乱しており、日本でもエネルギー価格が高騰しています。各地の家庭や事業者から痛切な悲鳴が聞こえてくるようです。そんな中、日本の脱炭素化のための「GX実現に向けた基本方針」とGX推進法案が二月一〇日に閣議決定されました。内容で特に注目されているのは原発の最大限の活用です。(注:本稿は3月初旬初出の原稿の転載であるため、情報はその時点のものです。法律は5/12に成立しました。

一説には、このタイミングで「原発回帰」が打ち出されたのは、エネルギー安全保障の重要性が誰の目にも明らかに高まっていることに加えて、二〇二五年の参院選まで国政選挙がない「黄金の三年間」だからではないかということです。そうであるならば、我々は二〇二五年までこのことをしっかり記憶しておき、次の選挙での投票に反映させる必要があるでしょう。

今回は、この「基本方針」そのものについては最後に少し触れるに留め、その前に日本のエネルギー政策の「根っこ」にある問題を考えたいと思います。ちょうど、僕の研究グループのマヌエラ・ハルトヴィッヒさんを中心に日本のエネルギー政策への批判的検討をレビューした論文が一月に出版されたので、これに沿って見ていきます。

エネルギー政策基本法と「S+3E」

日本のエネルギー政策の基本原則は「S+3E」とよばれます。Safety(安全性)、Energy security(安定供給)、Economic efficiency(経済効率性)、Environment(環境適合)の頭文字をとったものです。Sは二〇一一年の福島第一原発事故を受けて付け加わったもので、それ以前は3Eでした。

3Eの言葉が登場したのは二〇一〇年の第三次エネルギー基本計画ですが、その基になっているのは二〇〇二年に制定されたエネルギー政策基本法です。ただし、基本法では第一に安定供給、第二に環境適合が謳われており、それらに十分配慮しつつ市場原理を活用するという優先順位になっています。これは当時、電力自由化の圧力に対して慎重姿勢をとっていた電力業界の立場を反映したものと推察できます。また、第一、第二の原則も、電源多様化と地球温暖化対策を旗印に原発を推進する当時の電力業界に都合のよいものといえます。

基本法が電力業界に十分に配慮したものであることは、その立案の中心に、東京電力の副社長から自民党の参議院議員に転じた加納時男氏がいたことから明らかです。ちなみに、僕が環境やエネルギーの問題に関心を持ったきっかけは、学生時代にテレビで加納氏と高木仁三郎氏の原発をめぐる討論を見たことでした。その後、僕は大学で加納氏の講義を受講する機会を得て、原発の見学にも連れて行って頂いたことがあります。

思い出話はさておき、我々のレビューによれば、S+3Eに込められた日本のエネルギー政策の基本原則は、一九七〇年代のオイルショック後に形成された価値観にまで遡ることができ、そこから根本的に変わっていません。

二〇一一年の福島第一原発事故は、これを根底から見直す機会になったはずですが、「Sを加える」という小手先の変更に終わりました。実際には、「安全性」はそれ以前のエネルギー基本計画でも繰り返し強調されていたので、この変更は本当に表面的なものに過ぎません。

エネルギー正義

では、日本のエネルギー政策に本質的に欠落しているものは何でしょうか。それを明らかにするため「エネルギー正義」(Energy justice)の概念を参照します。

日本では「正義」というと「正義か悪か」のような二項対立の意味にとられることが多いので注意が必要ですが、ここでの「正義」(justice)はそうではなく、「公正さ」の意味です。エネルギー正義は、環境正義、気候正義に連なる概念で、エネルギー問題に関するあらゆる不公正を問題にします。二〇一〇年代頃からエネルギー問題の学際的な研究で世界では盛んに議論されている概念ですが、日本での議論はまだ少ないようです。

エネルギー正義は、「分配的(distributional)正義」、「承認(recognition)の正義」、「手続き的(procedural)正義」の三つの柱で整理されることが多いです。それぞれについて、日本に当てはめて見ていきます。

分配的正義については、まず利益の分配や負担の分配が公正かどうかが問題になり、手ごろな価格でエネルギーにアクセスできない「エネルギー貧困」が注目されます。日本は他の先進国と比較してもエネルギー貧困は少ないですが、それでも近年は増加が指摘されています。特に昨今のエネルギー価格高騰がエネルギー貧困を増加させていることは間違いないでしょう。

また、再生可能エネルギー固定価格買取制度(FIT)の賦課金が国民負担としてよく問題になりますが、賦課金は電力使用量に対して低所得者から高所得者まで一律にかかるのに対して、自宅の屋根に太陽光パネルを設置して補助金やFITの恩恵を得るのは高所得者に偏るという逆進的な構造は分配の不公正といえます。次に述べる発電所等の立地の問題も、負担の分配やリスクの分配の不公正という側面を持ちます。

承認の正義については、地域コミュニティーや社会的弱者などの利益や価値が行政や企業により十分に承認されないことが問題になり、典型的には原発等の立地の問題があります。原発は当然ながら反対の起きにくい地域に立地選定されてきましたが、それは地方の過疎地などの、反対するための社会資源に乏しい人々の価値を無視する形で行われてきたといえます。

現在、北海道の二つの自治体で文献調査が行われている高レベル放射性廃棄物の最終処分地についても、気候訴訟が起きている火力発電所の新増設についても同様のことがいえるでしょう。また、近年の再生可能エネルギーについても、FITの買取価格が高かった時期に都市の事業者による地方でのメガソーラー等の乱開発を許してしまった制度設計は、承認の不公正という観点から問題視されます。

手続き的正義については、今述べた立地の問題も、地域住民などが意思決定の手続きに十分に参加できていないという意味で、当然含まれます。また国政レベルでは、形式的なパブリックコメントを受け付けるのみで、経済官庁がお膳立てした審議会と閣議決定に基づき、トップダウンでエネルギー政策の意思決定をしてきた仕組み全体が手続き的に不公正といえます。

この不公正な仕組みが一瞬崩れたのは、福島第一原発事故後の二〇一二年に、民主党政権下で行われた「エネルギー・環境の選択肢をめぐる国民的議論」であり、そこではパブリックコメントに加えて、各地での意見聴取会や、無作為抽出された市民の熟議による「討論型世論調査」が実施されました。しかし、民主党政権の中でもその結果はうまく活用できず、政権が自民党に戻ってからは当然そのような試みは消え、手続き的な不公正は続いています。

このように見ていくと、エネルギー正義の観点から指摘できる不公正のほとんどは、よく見知ったものです。そのことから、いかに日本においてエネルギーの不正義、不公正が常態化しており、いかに我々が不公正に慣れきってしまっているのかがわかります。

「GX基本方針」の不公正

最後に、エネルギー正義の観点から、今回の「GX基本方針」にみられる不公正をいくつか指摘してみたいと思います。

まず明らかなのは、手続き的な不公正です。今回も、形式的なパブリックコメントを経て、審議会の結論が閣議決定されました。また、各地の経済産業局でGX基本方針の「説明会・意見交換会」が開かれているものの、関東と中部の開催は特に周知期間が短く、逆に半数以上の会場では開催が閣議決定後であるため、市民の意見を反映させる姿勢は感じられません。

定員は各会場数十名、オンライン一〇〇~二〇〇名ですが、オンラインがあるならば、無登録での視聴やアーカイブ視聴も可能とすべきでしょう。ちなみに、経産省は多くの審議会の動画をアーカイブ視聴可能としており、僕はこれを高く評価しています。市民との意見交換会もぜひ同じようにして頂きたいです。

次に、GX基本方針と推進法案で導入が構想されている「成長志向型カーボンプライシング」に注目します。様々な工夫を取り入れて産業界が受け入れ可能な形で本格的なカーボンプライシングが設計されたことに僕は一定の評価をしますが、いかんせん導入時期が遅すぎます。炭素税に準じる賦課金が二〇二八年から、排出権の有償オークションが二〇三三年から導入ということでは、二〇五〇年に(世界が1・5度を目指すには本当はもっと早く)脱炭素を目指すというスピード感にまったく見合っていません。

導入時期の根拠は、国民負担が総額で増加しないように、再エネ賦課金や石油石炭税などが減少し始めるタイミングとのことで、これ自体は正当な配慮であるようにみえます。しかし、総額で考える必然性はあるでしょうか。分配の公平性の観点から見れば、本当に困るのは低所得者であり、高所得者は補助金等の恩恵を得やすいのですから、低所得者対策を組み合わせた上で、炭素賦課金と有償オークションの導入を早めることは十分に考えられると思います。

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日本のエネルギー政策は、石油ショック後の価値観を引きずり、電力業界に配慮して制定されたエネルギー政策基本法とS+3Eを、いつまで金科玉条のように有難がりつづけるつもりでしょうか。そこにエネルギー正義、ないしは公正さの原則を新たに導入することこそが、脱炭素化する世界の新しいパラダイムに見合った、エネルギー政策の真のグリーントランスフォーメーションではないでしょうか。

参照文献:Hartwig, M.G., S. Emori and S. Asayama. “Normalized injustices in the national energy discourse: A critical analysis of the energy policy framework in Japan through the three tenets of energy justice”, Energy Policy (2023).

(初出:岩波『世界』2023年4月号「気候再生のために」)

東京大学 未来ビジョン研究センター 教授

1970年神奈川県生まれ。1997年に東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程にて博士号(学術)を取得後、国立環境研究所に勤務。同研究所 気候変動リスク評価研究室長、地球システム領域 副領域長等を経て、2022年より現職。東京大学大学院 総合文化研究科で学生指導も行う。専門は気候科学。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)第5次および第6次評価報告書 主執筆者。著書に「異常気象と人類の選択」「地球温暖化の予測は『正しい』か?」、共著書に「地球温暖化はどれくらい『怖い』か?」、監修に「最近、地球が暑くてクマってます。」等。記事やコメントは個人の見解であり、所属組織を代表するものではありません。

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