この冬、どこ行く? 「ひとり温泉」だから”ふらっ”と新幹線に乗車――。≪美食と名湯を大満喫≫
ラムを「じゅうじゅう」焼いて、秘伝のタレで「ぱくっ」
文字通り、雲ひとつない、抜けるほどの青空だった。
蔵王温泉街からロープウエイに乗り、地蔵山頂駅へ到着。
降りると、目の前に繰り広げられる樹氷のスペクタルに息を呑む。
山の斜面に無数の樹氷が覆う光景を「スノーモンスター」と表現することが多いようだ。確かにいびつではあり、怪獣にも見える。
ただ私はいささか異なる姿を連想した。
少し背中を丸めて、前かがみに、まあるい頭をもたげる像は、巨大なムーミンに思えた。青空の下で、ムーミン一家が戯れているようだ。
モンスターだろうが、ムーミンだろうが、その光景はフォトジェニックには違いなく、夢中でシャッターを切る。
特殊な気象条件でできた樹氷群は、毎年2月頃が最も見ごたえがあると言われ、12月下旬から2月下旬までライトアップされる。
今しか見られない、ムーミン一家の団らんをいつまでも眺めていたかったが、この日は想定以上の強風で、強く冷たい風は顔や手に強烈な痛みを与えた。
とてもじゃないが、山頂に長居できない。晴天だったからと油断して、薄着で来てしまったことを猛列に悔いた。
山頂にいたのはわずか数分だったが、身体が冷え切ってしまった。ひとり旅では「寒い、寒い」と騒ぐ相手がおらず、じっとひとりで耐える。蔵王はジンギスカンが名物だから、下山したらジンギスカンで身体を温めよう。
地元の人気店「ろばた」に入る。
ジンギスカン定食を頼むと、肉厚の生のラム肉と野菜、小鉢にご飯とみそ汁が出た。
ドーム型の鉄板の上にラードをのせる。鉄板が熱くなりラードがとけてきたらラム肉を焼き始める。肉からは脂がしたたり落ちる。肉の周りにキャベツ、ピーマン、玉ねぎ、カボチャを置いておくと肉の脂と焼けた野菜の甘い香りがして、旺盛な食欲に火が付く。
秘伝のたれにつけてアツアツでいただくと、肉の臭みが全くない。新鮮なラムは肉厚でもどんどんいける。秘伝のたれは店によって違うらしく、「ろばた」ではにんにくと生姜をすりおろし、胡麻も入って、隠し味でこだわるのはリンゴ。ほんのりと甘みのある「ろばた」のたれは脂がのっているラム肉と最高のマッチング。ラム肉は低コレストロールで、鉄分やビタミンBが豊富なヘルシー食だから、もりもり食べた。
そもそもこの蔵王で、なぜジンギスカンが名物となったのか。
「ろばた」のご主人に尋ねると、「ジンギスカンのルーツは諸説ありますが、蔵王のジンギスカンのスタイルが生まれたのは、山形の鋳物文化と昭和初期の綿羊協会(この時期、羊毛生産のために多くの羊が飼育されていた)のおかげでしょうね」とおっしゃった。
地元の産業がもたらした名物であった。
身体が温まり、お腹が満たされて、ようやく山頂で撮った写真を見返すと、青空も手伝って、いい写真が撮れているではないか。
こういう時、旅の友がいれば見せあいながら話をするのだろうが、ひとり旅の話し相手はもっぱらSNSだ。
SNSに写真をあげて、コメントがつけばそれに返す。短いコメントは、その場で会話をしているかのようなキャッチボールとなる。
「ろばた」を後にし、共同浴場「川原の湯」へ向かう。ジンギスカンの香しい匂いを漂わせている自覚はある。
ログハウス風の建物に入ると、3畳ほどの簡素な脱衣所があり、その先には日本の共同浴場の典型ともいえる湯小屋に湯船があった。木でできている湯船をよく見ると底にはすのこが敷かれている。
湯船の底から湯が湧き出ているため、新鮮な湯に浸かれるようにと、底がすのこになっているのだ。
蔵王温泉は酸性の硫黄泉。
やや青みがかった白い湯が湯船になみなみと。
入浴した瞬間は「ぴりっ」と肌に刺激を感じる。
外気温が低く手や足のつま先が冷えているから温度差でぴりっとするのかと思いきや、実はこれは酸性の湯特有の肌触りである。入浴後は不思議な清涼感に包まれるのがこの湯の特徴であり、最大の魅力。
共同浴場は上湯と下湯がある。こうした伝統的な共同浴場を巡る楽しみも、東北の温泉ならではの旅情である。
湯上がりには、もう山頂の凍える寒さは忘れていた。そしてジンギスカンの香しさも抜けていた。
※この記事は2024年9月6日に発売された自著『ひとり温泉 おいしいごはん』(河出文庫)から抜粋し転載しています。