紀元前3000年前からの課題を解決!?ピアス革命を起こした女性起業家から学ぶ発想術
前回に引き続き、女性研究者が集まるランチ会『Women’s Luncheon』でのお話をお届けします。
>> 前回記事「サービスの転換期が分かる「Webサイエンス」が盛り上がる理由」
第2回目の今回は、ピアスキャッチの製造・販売を行うChrysmela(クリスメラ)の代表取締役を務める菊永英里さんのトークから、常識にとらわれない生き方をご紹介します。
5000年も前からあるのに今まだ86%もの人が悩むことを解決
菊永さんは24歳の時、当時の彼氏からもらったピアスをなくして大ゲンカ。
「私が悪いんじゃなくて、金具が悪いんだと思うんだよね~」
と言ったところ、余計怒られてしまい、菊永さんは「私のせいではないということを証明しなくてはいけなくなって」図面を書き始めたと言います。
調べてみると、ピアスは紀元前3000年から歴史があるということが分かったそうです。ところが2012年に1000人の女性にアンケートをしたところ、「86%の女性がなくしたことがある」との結果が!
その上、「ピアス なくした」、「ピアス おとした」、「ピアス 紛失」などのキーワードでTwitterで検索すると、1日30件以上、年間にすると1万回以上つぶやいている現状。「皆さん、何か落とさないための対策をしていますか?」という問いに対して一番多い回答は、「定期的に耳を触る」、2番目は「特に対策していない」、3番目は「安いものしか買いません」……と、特に対策をしていない現状から、ロック式のピアスキャッチの開発をすることにしたそうだです。
メーカーによってピアスのピンの太さは違うため、菊永さんの開発したピアスキャッチは4.8mm 四方の金具を使って差し込むだけで、太さの違うものに対応してロックをするという機構になっています。
「一組持てば、お手持ちのピアスどれにでも対応しますよ。外したい時は、後ろのレバーを引っ張ればロックが解除されるので、すーっと外れます」
2008年に発売開始して以来、47都道府県で800店以上の店舗で販売されているそうで、現在までに累計20万ペアの販売。日本だけでなく、海外への輸出もしているとのこと。
また、楽天市場では、1年間でジュエリーの中で一番金具が売れるという謎の状態が数年続いています。
16歳で「社長になろう!」と決めた
そんな菊永さんが「社長になろう」と決めたのは、なんと16歳の時。そのきっかけは何だったのでしょうか?
「16歳の時に初めて1人で電車に乗らなくてはいけない状況になったんですね。でも、電車に乗れなくて。何本待っても乗れなくて。そして泣いて帰ったという経験があります」
電車に乗れない自分に直面した時に、「普通の人が普通にできることを、私はできないんだ」ということを知ったと言います。しかし、菊永さんの普通ではないところは、この後の思考でした。
「私はその時、『電車に乗れるようにならなくちゃいけない』とは思いませんでした。電車に乗れないなら、運転手を雇えばいいんじゃない?と思ったんです。そして、運転主を雇える人って誰だろう? そうだ、社長さんだ。じゃあ、自分は社長になろう!と」
こうして、16歳で社長になることを決意したそうです。
事業計画書は千三つ作った
「社長になることは決まったけれど、事業プランがありませんでした。何をやるか全く決まっていなかったんです。でも、ないものは作ればいいので、事業計画書を作り、父に提出しました。結果はコテンパンでした」と語る菊永さん。
以後9年間、自分の父親に事業計画書を出し続けることになったそうです。その中で学んだこととして、以下の3つを挙げてくださいました。
【1】時間を売るな
【2】アイデアは千三つ
【3】戦う土俵が大事
当時は高校生だったので、つい「時間」、「時給」で考えてしまったプランが多かったそうですが、「時給ではなく、事業として大きいものを立てなさい」とお父さまにアドバイスされたそう。
また、「アイデアというのは1000個あっても3つくらいしか使えるものはないのだから、とにかく数を出せ」と言われたそうです。
「千三つだ、と言われ、勝手に約分して300個くらい出そう、と思ったんですけど」と笑う菊永さんでしたが、「数を出さずに1つ目のアイデアで素晴らしものができると思うな。そこまで君は優秀じゃない」というお父さまのアドバイスで、とにかくたくさんの事業計画を考えたと言います。
そして、たくさんのアイデアを出している中で、
「ITや人材サービスなどのように、大手がお金も人間もたくさん投入して頑張っているところで勝負してもなかなか勝ち目がない。戦う土俵がとても大事だ」
……と考えていた矢先、ピアスをなくして怒られるといった事件が起きます。この時に、「5000年も誰もいなかった土俵だから、これは私のものだ!」と思い、起業する決意をしたそうです。
人生の計画を立てる
そんな菊永さんは、人生設計を完璧に立てていらっしゃったのが印象的でした。
「ご自分の年齢を頭に思い浮かべてください。そして、そこに5を足してください。それは5年後のあなたの年齢です。これは当たり前だけれど、案外無視しているんですよね。来年、絶対に1歳、年を取っている。だから私は表を作ったんです。自分の年齢と、(まだ配偶者はいなかったので)父と母の年齢を入れて。例えば、22歳の時には大学卒業しているだろう、と」
このように表を作ってみたら、「自分が30歳の時、父が定年していることが分かった」と言います。分かっただけでなく、「定年して暇している父に会社を任せて、私はこのタイミングで出産しようと思った。そこで出産の年齢が決まったんですね」と衝撃発言。
「で、そうすると、『1年前くらいには誰かと結婚しておきたいな』と、ここで結婚時期も決まって。その時期に父に会社を任せるためには、ある程度会社を安定させなくてはいけないから、その5年前くらいには起業しよう、と」
こんなビックリプランを立てた菊永さんは、実際には26歳で起業して、30歳で結婚、31歳と33歳でお子さんを産むという、ほぼプラン通りの人生を歩むことになるのです。
計画通りにすべて物事が進んでいるように見えますが、ご本人いわく、「そんなにまじめな計画的なタイプでもない。翌年結婚が計画に組み込まれているからと、突然出会った人にプロポーズしたりする人生なので(笑)。でも、人生計画を立てていなかったら、今どうしてたかな?と。たぶん、結婚もしていなかったと思います。仕事が忙しいので、結婚も子どももまだと思っていたかもしれません。計画を立ててない人生がダメとは思いませんが、計画を立ててなかったら、少なくとも私は子どもを産んでなかったかもなーと思っています」
最初、あまりにこの計画、いや“予言”がうまくいったため、今後の計画をまた立てなくてはいけないと思っていたという菊永さん。しかし、こうしなければならないと思いすぎて、それに突き進んでしまうあまり、他のものがあまり見えていなかった点もあるなと思い、これから10年はあまり決めないというのを試そうと思っているそうです。
フットワークの軽さ
「1人目の子どもの待機児童問題、つまり保育園に入れない状態が決まった時に考えたのは、『別に東京に住まなくてもよくない?』ということ。いつも私はこういうことを突然言い出すんです(笑)。日本地図を机に広げて、日本でどこに住もう?というのを家族でやりました。当社は卸売業なので、北海道や四国などは送料とか日数の関係もあって移住がなかなか難しい。それで消去法で『本州の中で引越ししよう』となりました」
何だかんだで選んでいったら京都と倉敷が残り、良い物件が倉敷にあったということで、昨年8月に家族と会社を全部岡山県の倉敷市に移転。倉敷で暮らし始めたそうです。
実は事業を考えていた時、「場所も時間も制約を受けないものがいいな」と思ったため卸売業に落ち着いたそうで、卸売業でも海外にも輸出できる商品がいいとピアスキャッチにたどり着いたと菊永さんは言います。
菊永さん自身、10年弱もの間海外で育ち、高校受験で日本に帰ってきた経験があるそうで、「どこに住んでもいい」という範囲が比較的広い様子です。
「仕事は自宅兼事務所でやっています。キッチンがあって、PCがあって、居間があって。煮炊きものしながら後ろで子どもが遊んでいて、仕事している、という感じ。月の4分の3くらいはそういう働き方をしていて、残りの4分の1くらいは下の子を連れて東京に出張して、子どもを抱えながら仕事をしています」
先日、女性社長を300人集めた『J300』というアワードで受賞した時にも、ベビーシッターを手配できずに子どもを背負って行ったら登壇することになったそう。その様子は、女性社長.netに写真が掲載されています。
「子どもを生んだ後、仕事はどうやってやっていくのかな?と自分の中でも不安でしたが、今は『何とでもなるな』と思ってやっています」
問題が起きた時こそチャンス!
「何か問題が起きた時の乗り越え方はいろいろありますけど、全部チャンスだったなと思います。ピアスを落としたのもチャンスでした。そして問題の越え方は人の数だけ答えがあります。別に電車に乗れないからって、電車乗れるようにならなくてはいけないわけではない。ピアスをなくさないように注意する以外に、ピアスキャッチを作っちゃう、みたいな答えもある。
結局、自分なりの答えを探していけたらいいのかなと思います。私はまだ常識にとらわれているタイプなので、『こうあらねば』というのをもっと越えていけたらいいと思っています」
と締めくくってくださいました。
このようなイベントをやってきて思うことは、女性の生き方・キャリア形成について直に聞くことのできる機会というのは、非常に貴重であり、勉強になるということ。
キャリア形成やライフイベント(結婚・出産・育児・介護など)と仕事との両立などについて悩む人は、男性に比べるとはるかに女性の方が多いのではないでしょうか。
100人女性がいれば100通りの解決方法、乗り越え方があるため、女性が社会進出できる世の中を作っていくためにも、たくさんの事例をインプットできるこういったイベントが各地、また、さまざまな業種で増えていくことを願っています。
本イベントが毎年開催できているのは、趣旨に賛同してくださりスポンサーになってくださったマイクロソフト社のおかげですので深く感謝いたします。
(この記事はエンジニアtype 『五十嵐悠紀のほのぼの研究生活』からの転載です。)