Yahoo!ニュース

木村拓哉『Believe』と長谷川博己『アンチヒーロー』の決定的な差 キムタクはアンチに負けたのか

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:2018 TIFF/アフロ)

ヒューマンドラマ『Believe―君にかける橋―』

木村拓哉のドラマ『Believe―君にかける橋―』は、脱獄劇かとおもっていたら、最後はヒューマンドラマになっていた。

「橋」の物語だったのだ。

何かと何かを繋げる、というのがテーマのようであった。

最終話前で主人公は捕まり、最終話で裁判になる。

法廷で「コトの真相」が明らかにされる。

キムタクの『Believe』はそういうドラマだったのだが、ただそれはハセヒロ(長谷川博己)の『アンチヒーロー』も同じだった。

この二作の最終話は、ずいぶんとその構造が似通っていた。

でもトーンはまったく違う。

見終わったあとの印象もずいぶん違う。

なかなか興味深いところだった。

「やっていない罪を認めてしまった男の物語」

『Believe』は橋を架ける男の話であった。

『アンチヒーロー』はグレーな弁護士の話である。

設定が違う。

ただ、「やっていない罪を認めてしまった男の物語」という部分が同じだった。

『Believe』の主人公は、自分のミスではないのに、巨大な橋の崩落事故の責任を取って、刑務所に入る。彼には本当は罪はない。ただ、社長に「社員八千人を救ってください!」と懇願されて服役する。

しかし、崩落は事故ではなく仕組まれたことだったと知り、告発のために脱獄する。

そういうドラマである。

本人が説得されての服役なので冤罪とは少し違うが、でも、無実なのに刑務所に入れられている男の話であるのは間違いない。

最終話での法廷で真相が明らかに

『アンチヒーロー』は、死刑囚の冤罪を晴らそうとする弁護士のお話だった。

主人公がかつて検事だった時代、無実の男(緒形直人)を追い込み、嘘の自白をさせて死刑判決に追い込んでいる。でも冤罪だと気がつき、弁護士になり、あらゆる手を使って、再審に持ち込もうとする。

ヤメ検弁護士が、検察庁の悪と対決する物語である。

そしてどちらのドラマも、最終話の法廷で真相が明らかになる。

法廷ドラマかどうか

『アンチヒーロー』は主人公弁護士と仲間が正義、対する悪は、検察であった。

最終対決の法廷でのやりとりが見せ場となる。

法廷シーンがぴりっとして、見ているほうも緊張した。見事な法廷ドラマであった。

いっぽう『Believe』は、「巨大な橋を崩落させた陰謀」を暴く物語なので、法廷ドラマではない。

正義は主人公、悪は、崩落させた会社の幹部たち。

法廷で事実が明らかにされるが、弁護士と検事の対決が見ものにはなっていない。

決定的な新証拠の存在

すでに決定している罪をひっくり返すには「決定的な新証拠の存在」が必須である。

『アンチヒーロー』でも『Believe』でもそれは同じだ。

そして、それが出てきた。

法廷ドラマ『アンチヒーロー』では、「不在証明となる映像データ」が存在することを突き止める。

しかしそのデータは敵の検事の手に落ち、まるまる消し去られる。(検事正が足で物理的に踏み潰していた)

これにて万事休す、最後の手がかりがなくなった。

『アンチヒーロー』での打開のしかた

そこで主人公チームは、さらに別の手を講じる。

敵ボスを罠にかけ、ボスはそれにうまく引っ掛かった。

『アンチヒーロー』では「決定的証拠が失われたが、あきらめず、さらに先の証拠をひねりだす」というところが、見せどころだったことになる。

やや強引な展開であったが、まさに手に汗握る逆転劇である。

TBS日曜劇場の基本精神は、やはり「逆転」にある。

『Believe』は幸運によって切り拓く

『Believe』でも決定的証拠が敵に奪われる。

橋の崩落事故のデータを、主人公は信頼できる部下に託していた。

でもそのデータは部下の手を離れ、敵(社長とその腹心)の手に落ちる。

社長たちはそのデータを廃棄する(こちらはコーヒーに水没させていた)。

決定的証拠がなくなり、主人公たちは万事休す。

でもこちらでも逆転が起こる。

それは、データを託されていた部下(一ノ瀬颯)の彼女(山本舞香)が、あまりに彼がデータを大切に扱うので、ひょっとしたら浮気の証拠が入っているのではないかと疑って、そのデータそのものをコピーしていたのだ。彼氏にも秘密で。

それが主人公サイドに渡される。

タナボタで決定的証拠を手に入れて、逆転である。

努力で道を拓くか幸運でつき進むか

盛り返しかたが違っている。

『アンチヒーロー』は努力して道を拓く。

『Believe』は偶然、運良く、道が拓けていった。

どちらもありだろう。

必死に努力して逆転するか、運良くさらっと逆転するか、人生ではどちらも起こる。

ぞくりとする裏切りシーン

『アンチヒーロー』で印象的だった逆転は、もう1つ、敵の検事サイドからの寝返りである。

敵ボスに忠実に仕えているとおもわれた緑川検事(木村佳乃)が、ぎりぎり最後になって主人公サイドに寝返った。

決定的な新証拠は、彼女の協力で作り出された。

彼女は味方なのかもという暗示はあったが、きちんと示されたのは、最終話も47分まで進んだドラマ最終盤であった。

追い詰められた敵ボスが振り返ると、従順な部下だったはずの彼女が不気味に微笑む。

裏切ったのはわたしです……、それを告白する笑顔であった。

ぞくりとするシーンだ。

敵だとおもっていた人物がじつは味方だった、というのは『Believe』にもあるのだが、ポイントは見せ方だ。

最後の法廷で正体がわかる、という演出は、「ぎりぎりでの逆転」を強く印象づける。

最後に味方だったとわかる人

いっぽうの『Believe』で最終話で「敵ではなく味方であった」とわかった人物は、まず弁護士の秋澤(斎藤工)である。

もう一人が部下の南雲(一ノ瀬颯)の彼女の本宮(山本舞香/彼女は主人公の直接の部下でもあった)だった。

ただ、彼らは裏切っていたわけではない。

行動が謎に包まれていただけなのだ。

つながっていないと人はわからない

『Believe』では変心、転身、裏切りをメインであつかっていない。

彼ら彼女らは、自分のルールで生きていただけで、べつだん敵ではなかった。

変心も転身もしていない。

変わったのは主人公サイドの見方である。

つながっていないと、人のことを間違ってとらえてしまう。

これがこのドラマのテーマのひとつだったのだろう。

テレビ朝日が作るのは逆転ドラマではない

つながっていれば相手は見える。

人と人はつながっていることが大事だ、というのがポイントだったようだ。

それが『Believe―君にかける橋―』で言おうとしていたことではないか。

テレビ朝日木曜ドラマは逆転には興味がないようだ。

人は変わらない、というヒューマンドラマであった。

法廷エンタメとしては圧倒的に『アンチヒーロー』

法廷劇としてみれば、『Believe』より『アンチヒーロー』のほうが圧倒的に迫力があった。

そう作られていたからしかたない。

エンタメとしては、はらはらドキドキさせられたぶん、『アンチヒーロー』がすごくいいとおもった。

『アンチヒーロー』と『Believe』どちらがドラマとして上か

ただドラマとしてどちらが良いドラマだったか、となると、むずかしい。

人によって評価が違うだろう。

『アンチヒーロー』は我慢して、追い詰められ、それでも大逆転するドラマ。エンタメとしておもしろい。

『Believe―君にかける橋ー』は人を信じようとするドラマ。逃走劇からの真実を暴く姿はわかりやすかったが、ドラマの狙いはさらにその先にあったとおもう。

ざっくりした私の感想は、急いで見るなら『アンチヒーロー』、じっくり見られるのなら『Believe』、というところだ。連ドラをじっくり見られる人がどれぐらいいるだろうかというのも気になるところだ。

『Believe―君にかける橋ー』は最後の碓氷峠のシーンがもの哀しく、こころに残った。

碓氷峠に行ったらやっぱり峠の釜めしを食って元気になるしかないな、と余計なことをおもいつつ見終わった。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

堀井憲一郎の最近の記事