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元ユベントスの北朝鮮代表ハン・グァンソン単独インタビューの舞台裏…1人の取材記者がラオスで見た笑顔

金明昱スポーツライター
W杯アジア最終予選進出を決めた北朝鮮代表(すべて筆者撮影)

 日本から直行便のないラオスまでわざわざ行くべきか――。W杯アジア2次予選を戦う朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)代表は、6日のシリア戦と11日のミャンマー戦をホームの平壌ではなく、中立地のラオスで開催することが決まり、この取材に行くべきか迷っていた。結論から言えば、答えは「行って良かった」になる。

過去の成功体験からラオス入りを決意

 そもそも、今回の試合が平壌での開催であれば間違いなく入国はできなかったわけで、ラオスに入りさえすれば北朝鮮の選手にも柔軟な取材ができると思い、意を決した。

 一方で、ラオスに入る前は不安もあった。というのも3月の日本戦では北朝鮮のシン・ヨンナム監督の会見内容は聞けても、選手たちはミックスゾーンで日本のメディアに対しては立ち止まらず、一言も話さなかったからだ。代表チームのスタッフに少しの顔見知りがいるとはいえ、選手たちは日本から来た筆者を快く迎えてくれるのだろうかと心配はしていた。

 ただ、過去にも似たような状況下で取材を敢行したことがある。2017年に「2019アジアカップ最終予選」の北朝鮮対マレーシアの試合が中立地のタイで行われ、現地に向かった。当時、北朝鮮代表の指揮官だったヨルン・アンデルセン監督への直撃インタビューが実現し、選手たちとも現地で話すことができた。この成功体験が、今回のラオス行きの決め手となった。

【参照】:日本初独占インタビュー!北朝鮮代表監督のヨルン・アンデルセンが語った平壌での指導と生活

快く受け入れてくれた代表チーム

 シリア戦とミャンマー戦については、中立地のためメディア対応をするのかという問題もあったが、アジアサッカー連盟(AFC)とラオスサッカー協会の担当者にメールでやり取りした結果、取材を受け付けてくれることになった。

 無事に取材申請を済まし、パスも発行されたことも確認。成田から韓国・仁川経由でラオスの首都、ヴィエンチャンへ向かった。それにしても乗り換え含めて片道15時間。ラオスからタイは近いのだが、直行便がないためその倍は時間と費用もかさむが、それでも「行って良かったと感じた」のは、イメージしていた通り、北朝鮮代表チームが快く筆者を受け入れてくれたことだった。

 チームが投宿するホテルで、朝鮮民主主義人民共和国サッカー協会の副会長と会った。「日本から来た在日同胞のサッカー記者」と伝えると笑顔で迎え入れてくれ、ここまでわざわざ一人で来たのかなど色々と聞かれた。

シリア戦の前日練習。レギュレーション通りに15分の公開だった
シリア戦の前日練習。レギュレーション通りに15分の公開だった

 とはいえ、これは普通ではあり得ないことだ。まずは代表チームに接触する前に日本にいる間に北朝鮮サッカー関係者から的確なアドバイスをもらっていたことは大きい。あとはこれまでの取材の実績、足で稼いだ労力、そして北朝鮮代表に対する報道姿勢と熱量をチームにも示し、信頼を得る必要がある。

シリア戦の取材記者が筆者1人という驚き

 今回の試合については、ラオスサッカー協会が責任を持って取材対応をするということなので、現地メディアも多少は来ていると思った。しかしふたを開けてみると、予定していたシリア戦前の5日の会見は、記者が筆者1人ということで中止。

 そんな状況下でよく取材の許可を出してくれたと思ったものだが、ラオスサッカー協会の担当者もまさかメディアがわざわざ来るとは思っていなかったのかもしれない。夜の公式練習は15分のみ公開され、そこは代表戦における普段のレギュレーション通りだった。

 試合会場となったニュー・ラオス・ナショナルスタジアム(ラオス新国立競技場)は、ヴィエンチャン市内から車で40分の距離。競技場全体の造りは珍しいものだったが、そこまで新しくない。ピッチのコンディションもいい状態とは言えなかった。

 試合当日、スタジアムに向かうと入口で取材パスの提示を求められ、周辺は現地警察が厳重な警備にあたっていた。一般客へのチケット販売はなく、無観客試合。ただ、両チームの関係者や現地在住の北朝鮮応援団が大きな国旗を振って、声を出しながら応援していた姿が目立っていた。

 メディアも取材記者は筆者1人で、シリアスタッフが試合映像を撮っているのは確認できたが、現地のテレビの中継もなく、それこそ現地にいる数少ない人にしかリアルな結果が分からない状態になっていた。監督と選手の怒号が大きく響くほど、緊迫した試合だった。

試合会場となったニュー・ラオス・ナショナルスタジアム
試合会場となったニュー・ラオス・ナショナルスタジアム

ハン・グァンソンとの会話で伝わった欧州での充実度

 北朝鮮は負ければW杯アジア2次予選敗退が決まる6日のシリア戦で、後半アディショナルタイムにFWチョン・イルグァンが決勝弾を決めて1-0で薄氷の勝利。11日のミャンマー戦も4-1で勝利し、4大会ぶりの最終予選進出を決めた。同組2位だったシリアが日本に0-5で敗れ、勝ち点7。一方、ミャンマーに勝利した北朝鮮が勝ち点9となり、逆転での最終予選進出だった。

 特に北朝鮮に敗れた直後のシリアの選手たちは、よっぽど悔しかったのだろう、ペットボトルを地面に投げつけ、ベンチ脇のクーラーバッグを蹴るなどたまったフラストレーションを爆発させていた。ただ、実力による敗北からか、主審に詰め寄ったり、騒動が起こることはなかった。

 貴重な中立地での試合をこの目で見ることができたのもそうだが、今回、もっとも大きな収穫は、シリア戦後の翌日の7日に北朝鮮代表のエースFWハン・グァンソンの単独インタビューに成功したことだった。シリア戦に勝利した翌日で、チームのみんなも上機嫌だったこと、はるばる日本から来てくれたということで、多少は気を使ってくれていたのはよく分かった。

 事前に現地にいる北朝鮮代表スタッフと取材の交渉し、なるべく話が聞けるように動いてくれると話してくれた。

 そして約束の当日。ホテルで待っていると、ロビーでチーム最年長のFWチョン・イルグァンとばったり出会った。シリア戦後の会見場にも現れて、話を聞くことができたが、顔を覚えてくれていてそこでも会話を交わすこともできた。

インタビュー時間は15分の勝負

 ハン・グァンソンのインタビュー記事はすでに掲載した通りだが、一番印象的だったのは、彼がイタリア・セリエAで長らくプレーしたこともあってか、サッカーに対する思考がとても柔軟だったことだ。

【参照】:【日本初】独占インタビュー 元ユベントスの北朝鮮代表FWハン・グァンソンが語る日本戦「夢はW杯出場」

「取材時間を30分ほどいただけると…」とチーム帯同の通訳に伝えると、「それは長いですね(笑)」と笑顔で断られた。勝負は15分。かなり短い取材時間だったが、ハン・グァンソンはイタリアでのプレー時代を懐かしみ、笑顔を見せながら会話は進んだ。欧州とアジアの違いについて聞いたときはとても饒舌。世界のレベルに追いつきたい気持ちと充実した生活を送っていたのがよく分かった。

 現在は国内クラブの「4・25体育団」でプレーを続けるが、チャンスがあればもう一度、欧州のクラブでプレーしたい思いはあるはずだ。

 カリアリ、ペルージャ、ユベントスでプレーし、海外でプレーした最後のチームはカタールのアル・ドゥハイル。2020年9月以降は国連の「対北朝鮮制裁決議」で、チーム登録から抹消され、どこにも所属できなくなった。イタリア滞在期間には多数のチームからオファーがあったとも聞いている。彼はコロナ禍が明けた約3年後にようやく帰国した。

突然のアポイントにもかかわらずインタビューに応じてくれたハン・グァンソン
突然のアポイントにもかかわらずインタビューに応じてくれたハン・グァンソン

「今国で自分のプレーする姿を見せたい」

 また欧州でプレーしたいかと聞くと、少し考えていたが、「今は祖国で自分のプレーする姿を見せたい」と真っすぐな目で語っていた。もっと多くの北朝鮮選手が海外クラブに所属し、力をつければそれが代表の強化につながることくらい、ハン・グァンソンも知っているだろう。それが世界のサッカーの常識でもあるからだ。

 それでも今は置かれた状況を自分なりに消化して、サッカーを続けているようにも見えた。それにしても北朝鮮のように国内クラブでプレーする選手だけで構成された代表チームも珍しい。逆に言えば、国内リーグの選手たちだけでも、最終予選進出を果たせるポテンシャルの高さを褒めるべきではないだろうか。そう思うと国内リーグをじっくり取材してみたくなった。

最終予選で北朝鮮は日本とまた同組になる可能性も

 最終予選の組み合わせは今月27日の抽選会で決まる。W杯出場は8.5枠。北朝鮮はポット6で、再び日本と同じ組み合わせになることもあるが、そうなればハン・グァンソンは3月に0-1で敗れたリベンジに燃えるだろう。

 そしてもう一つのコリア、韓国と同組になる可能性もあり、サッカーとは違う場所でのせめぎ合いが出てくるかもしれない。いずれにしても北朝鮮にとって、W杯出場は簡単な道のりではないが、2010年南アフリカ大会以来、16年ぶり3度目の出場を狙っている。ハン・グァンソンは「夢はW杯出場。憧れのピッチに立ちたい」と目を輝かせていた。

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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