熊本地震、「がんばるばい」
どしゃぶりの雨の中、強い余震がつづく被災地、熊本を歩く。14日夜の「前震」からちょうど1週間たった21日。被害が甚大だった熊本県益城(ましき)町の壊滅した家屋の惨状に呆然と立ち尽くしていると、案内してくれた熊本県ラグビー協会書記長の野口光太郎さんが重いため息をつき、こう漏らした。
「こわいですよね。一夜にして、こうなってしまうんですから。我々、人間のチカラなんて無力に等しいですね」
野口さんは20数年、母校の九州学院高校のラグビー部の監督をやっていた。くしくも年齢も現役時代のポジション(プロップ)も筆者と同じだった。遠目には精かんそうにみえるが、近くで見ると日焼けした顔にも深い疲労がにじんでいる。
野口さんは16日未明の「本震」の際、暗闇の中でろっ骨を3本、折っていた。でも、痛みをおして、雨に濡れながら、益城町にある妻の実家の周りを一緒に歩いてくれた。
あちらこちらの壊れた家屋の前にはA4版の赤い紙がガムテープで貼ってあった。大きな黒字で「危険」と書かれている。小さい文字で「倒壊しています」や「崩壊の危険あり」などの文字も。命が助かった住民たちは近くの避難所に移っている。雨のせいもあるだろう、町には人気がなく、異様な静けさがひろがっていた。
築年数が浅かった二階建ての実家の骨組みは無事だった。ただ室内は家具などが散乱し、足の踏み場もない混乱状態となっている。断水で電気も通っていない。片付けの手伝いにきた野口さんが言葉を足す。「また(地震が)くるんじゃないかなという不安がある。昨日の夜もだいぶ、揺れましたから」と。
じつは野口さんは地震が起きたあと、フェイスブックに熊本県ラグビー協会書記長として、被災状況と「SOS」を記していた。なぜ、書いたのか、と聞けば、野口さんは「正直な気持ちを書いておけば、みんな分かってくれるんじゃないかと思ったんです」と言った。
「ラグビー協会のためでなく、“熊本のため、支援してください”って。いま、困っているのは、われわれラグビー関係者だけでなく、熊本や大分に住んでいるみんななのです。僕はこれまで、自分なりに人のため、あれこれやってきましたけれど、こんかいは、いろんな方に助けてもらおうと思ったのです」
ラグビー仲間はありがたい。かつてのラグビー部の教え子やラグビー関係者から、心配する連絡が次々と入り、支援物資なども届いているそうだ。
やはり、困っているときはお互いさまである。こういう時こそ、人と人の絆、人の思いやりがものをいう。ラグビー界やスポーツ界に限らず、被災地への支援の輪は確実に大きくひろがっている。
もちろん、熊本には、国や全国各地から支援物資が続々、届けられている。水、食品、毛布、衣類…。自衛隊や他県の警察、機動隊なども災害支援のために熊本入りしている。野口さんは、災害支援のトラックの中に「東日本大震災のお返し 石巻市」「支援物資 南相馬」といった文字を見たとき、つい涙がでてきたそうだ。
「ずっと孤立していましたから、これだけの人が熊本に入っていると、僕としては、うれしいし、ありがたいし、元気を出さないといけないと思います」
熊本は、2019年のラグビーワールドカップ(W杯)の開催地である。試合会場となる『うまかな・よかなスタジアム』(熊本県総合運動公園陸上競技場)は目下、救援物資の集荷拠点となっている。野口さんと一緒に見に行けば、スタンドの通路のところに各地からの支援物資が山のように積まれ、自衛隊員やボランティアが忙しく仕分け作業にあたっていた。スタジアムの建物はこれから詳しく調査されていくことになるが、目立った亀裂や損傷は見当たらなかった。
熊本は観光客や交流人口の増加を図る上で、ラグビーW杯を飛躍のチャンスと位置付けている。野口さんは「このチャンスを地震でつぶされたらたまらん。がんばるばい」と言葉に力を込めた。
熊本県ラグビー協会理事長の永野昭敏さんも「負けんばいっ」と言った。
「この地震で、ひとつ大きいものを新たに背負った感じです。(W杯のとき)県外や世界からきた方々に、元気になった熊本をみてもらいたい」
まだまだ余震や避難生活、苦境がつづきそうだ。こういう時こそ、ラグビーの底力、スポーツの底力を発揮するときである。義援金や支援物資、励ましのコトバ…。なんでもいい。まずは自分にできることをやる。
がんばるばい。みんなでスクラムをくみましょう。