牛は良いけれど犬はダメ? 食べて良い肉とダメな肉の境界線は
「犬食文化」を通じて肉食の在り方を考える
昨年暮れ、インターネットテレビ『ABEMA』で放送されているニュースバラエティ『ABEMA Prime』にて、犬食の問題を通じて食文化について考える特集が組まれ、筆者も出演して議論を交わす機会があった(参照記事:ABEMA NEWS 12月7日)。
中国や韓国では古くから「犬食文化」の風習が残っており、ことあるごとに国内を二分する社会問題にもなっているが、そこを議論の出発点として肉食文化についての是非を考える有意義な特集であったかと思う。しかし当然のことながら番組内で結論は出なかった。言うまでもなく、文化や世代の違いによって価値観は様々だからだ。
私たち日本人が一般的に犬を食べることに嫌悪感を抱くのは、日本人にとって犬は「愛玩動物」であり、犬を食べる文化で生まれ育っていないからだ。しかし、番組に出演した韓国人の方は、祖父母の影響から犬は美味しいと思って食べるが、愛すべき対象である馬を食べることはあり得ないと語った。一方、私たち日本人の多くは馬を食べるが、馬主や騎手などで馬を食べる人はまずいない。
何を食べるのはOKで、何を食べるのがNGなのか。国や育った環境によって食べられるものと食べられないものはかくも変わる。動物愛護、文化保護、地球環境保全、宗教など、様々な観点や価値観が絡み合うことによって、複雑になっている食の問題を今一度整理して、冷静かつ健全な議論の出発点にしたい。
昆虫食から見える「視覚的嫌悪」の曖昧さ
2013年に『国連食糧農業機関(FAO)』が「今後、昆虫が食料・飼料になり得る」と公表してから、にわかに注目を集めている「昆虫食」。世界中で1900種以上の昆虫が食用として消費されており、家畜と比べて環境負荷が少ないことや生産性が高いこと、さらには栄養価も高いことが注目されている理由だ。
日本でも古くから「イナゴ」「ハチの子」を始めとする昆虫食を食べる文化は存在し、今も群馬や長野などでは郷土食として土産物などにもなっているが、現代の日本人の多くはその見た目などから「気持ち悪い」などと拒否感を覚え、食べることを躊躇するだろう。
しかし、私たちが好んで食べる海老や蟹などの甲殻類と昆虫の形状は著しく近く、同じ「節足動物」に属する仲間だ。海老を食べられる人が昆虫の見た目を理由に食べられないというのはおかしい。昆虫を食べないのは、視覚的な嫌悪感以外の理由が存在するということだ。
私たちは全てのものに対して「ファーストコンタクト」での刷り込みや、固定概念によって感情を支配されていることがほとんどだ。虫との初めての出会いは野山でいきなり遭遇したり、部屋の中への招かざる訪問者としてである。そしてその形状や動きに対して「気持ち悪い」と感じた体験が幼少期に刷り込まれる。
しかし、海老や蟹との初めての出会いはスーパーの鮮魚売場であったり、食卓やレストランの皿の上である。虫は最初から忌み嫌う異物として出会い、海老は美味しい食物として出会う。このファーストコンタクトの差異が視覚的嫌悪を上回るのだ。
肉食を避ける場合については視覚的嫌悪という側面はほぼ無く、健康上や環境上の理由を除けば心理的な嫌悪に依るところが大きい。「犬は愛すべき動物だから」「イルカは賢いから」「猿は人間に近いから」というような理由だ。
肉食から見える「宗教上の禁忌」や「心理的な嫌悪」の影響
肉食に対する禁忌を持つ宗教は少なくない。イスラム教やユダヤ教などでは、豚肉など特定の食肉の摂取を禁じたり、食べる場合にも厳格に決められたルールに則った処理が必須となる。また仏教やヒンドゥー教などの宗教では肉食そのものが原則として禁忌となっている。
日本でも仏教の影響により古くは平安時代より、鶏肉など一部の肉を除く肉食は禁忌とされており、逆に犬肉については江戸元禄時代の「生類憐みの令」が発令されるまでは鍋などで食べられていた。江戸時代以降、犬は食糧としてではなく愛玩動物として人間と生活するようになった。明治時代には政府の肉食奨励キャンペーンによって牛肉や豚肉の消費も進み、西洋料理も普及していった。
このように、宗教および文化的な背景による禁忌は、国や時代によって異なることが多い。これもまた「ファーストコンタクト」が影響している。現代の日本人にとって犬は初めて出会った時から愛玩動物であり、家族であった。愛すべき対象の動物を殺して食することによる心理的背徳感が生じるのは当然のことだろう。中国や韓国で今も犬食を好んでいるのは一部地域の人であったり、50代以上の年齢層の人たちで、若い世代は逆に嫌悪感を覚える人がほとんどだ。
韓国の「政治的背景」による犬食禁止の動き
韓国ではこれまで何度も犬食文化の是非が問題になった。古くは1981年にソウルが1988年のオリンピック開催地に決定した時。さらに2002年の日韓サッカーワールドカップ、2018年の平昌オリンピックと、海外から多くの人が韓国を訪れる国際的なイベントが開催されるたびに、犬料理店への規制強化が進められていった。
そして昨年再び問題化した背景には政治的な理由があった。当時の大統領であった文在寅氏は愛犬家としてのアピールを行い、首相らとの定例会合の中で、これまで食文化として根付いてきた『犬肉食』を禁じる法制定について「検討する時が来た」と発言した。このことで再び犬肉食の問題が取り上げられたが、任期切れのタイミングでの発言から、若い世代の支持を取り込もうという狙いがあったのではと言われている。
「アニマルウェルフェア」の観点から肉食を考える
今回、韓国で犬食禁止の論拠の一つに「残虐性」が挙げられている。近代化された食肉処理場がある一方で、撲殺する古くからの風習も残っているという指摘がある。家畜などの食肉処理においては「アニマルウェルフェア(動物福祉)」に配慮した取り組みが現代では不可欠となっている。
「アニマルウェルフェア」とは【感受性を持つ生き物としての家畜に心を寄り添わせ、誕生から死を迎えるまでの間、ストレスをできる限り少なく、行動要求が満たされた、健康的な生活ができる飼育方法をめざす畜産のあり方】のこと。日本では農林水産省が奨励をしているものの実効性には乏しい(参考資料:農林水産省ホームページ)。
動物福祉への取り組みは、日本を含むアジアよりもEUをはじめとする欧米諸国の方が遥かに進んでいる。2019年には「対EU輸出食肉の取扱要綱」が改正され、日本からEUへ牛や鶏などを輸出する場合は、飼育場や食肉処理場に対して一定の動物福祉要件をクリアすることが求められることとなった。飼育環境から食肉処理の方法、スタンニング(気絶処理)の方法など、動物の扱い方について事細かにルールが定められている。その一方で、国内出荷に対する食肉については一切の動物福祉要件は規定されていない。
「ケージフリー」に後れを取る日本
鶏肉や鶏卵を例に取れば、EUでは2012年よりケージを積み重ねて鶏を詰め込む「バタリーケージ」は禁止されており、改良型とされる「エンリッチドケージ」も禁止の方向が決まっており、全て平飼、放牧での飼育となる。
さらにドイツやデンマークなどでは、立体的な鶏舎内で鶏が自由に活動出来る「エイビアリー(鶏舎)方式」も進められているほか、アメリカでも2025年にはケージ飼育を禁止の方向で動いており、世界では「ケージフリー」による家禽飼育は当たり前になりつつある。
日本では養鶏場の約90%以上がケージによる飼育で、ケージフリーの動きは進んでいないのが現状だ。農林水産省はアニマルウェルフェアに対応した採卵鶏の使用管理指針を2021年3月までに4度見直しているが「バタリーケージを容認する」方針は変わらなかった。
しかしながら、一部養鶏場では平飼いによる飼育を行っており、民間では「ケージフリー宣言」をする企業も増えつつある。ケージ飼育による鶏卵や鶏肉に比べれば高価となるが、EUなどでは養鶏場に補助金を出すなどの支援がされており、日本も国としての対策が求められるところだ。
日本の捕鯨から浮かび上がる多様な問題点
今回の韓国における犬食文化と同様に、日本の鯨食文化に対する海外からの批判は大きい。日本は2019年に『国際捕鯨委員会(IWC)』から脱退し、1986年以来となる商業捕鯨を再開した。『グリーンピース』や『シー・シェパード』などの動物保護団体は日本の捕鯨再開への反対を表明している。
IWC加盟国は捕鯨を実質的に禁止することで合意しているが、日本は持続可能な方法で捕鯨は可能という立場を主張してきた。日本が捕鯨するのは主に「ミンククジラ」や「ニタリクジラ」だが、これらは『国際自然保護連合(IUCN)』による絶滅危惧種レッドリストには上がっていない。
日本やノルウェー、アイスランドなどの捕鯨国が捕鯨にこだわる理由は歴史的文化的側面が大きい。欧米もかつては鯨油確保の目的で捕鯨活動を行っていたが、石油などが安価に入手出来るようになった1950年代より捕鯨から撤退し、絶滅からの保護へと舵を切った。これにより、本来IWCが掲げていた「鯨資源の保護」と「捕鯨産業の発展」の両立という目的は形骸化した。
情報を知った上で大切に食べる意識
地域のみならず社会状況によっても変わる価値観と立場。文化の保護と資源の保全、さらに動物愛護。様々な価値観が交錯することで衝突が起こるのは、鯨だけではなく家畜でも同様だ。昨今では牛肉を食べることの是非が問われているが、「SDGs(持続可能な開発目標)の観点からすれば、牛肉を食べることは地球環境への負荷が著しく高いのだ。
牛のゲップに含まれるメタンガスが地球温暖化を加速させる要因の一つと指摘されているほか、牛たちの飼料となる穀物を育てる上で生じる森林伐採も問題視されている。家畜を飼育するための放牧地や飼料用作物の栽培などに使用されている農地は、地球の陸地の1/4を占めていると言われている。
その一方で、畜産はエコシステムの一環として機能している側面もある。農産物の栽培に向かない地域を牧草地にすることで土地を有効活用出来ているほか、食品残渣を家畜の餌にすることで資源を無駄なく循環させることも出来、農林水産省では「エコフィード」への取り組みを推奨している(参考資料:農林水産省ホームページ)。
目の前にある食べ物を大切に頂く意識を
これまで記してきたように、食肉問題については様々な価値観と立場、その時の社会情勢などが複雑に入り組んでいる。しかしながら、その肉が犬であろうと鯨であろうと家畜であろうと、生き物の命であることには変わりはない。そしてそれは魚であっても野菜や果物であっても同様だ。
他者の尊い命を頂いて自分の生きる糧とするのは、人間だけではなく地球上全ての生き物について同様だ。しかしながら動物は他者の命を決して無駄にはしない。『国際連合食糧農業機関(FAO)』の報告書によれば、世界では食料生産量の1/3に当たる約13億トンの食料が毎年廃棄されている(参考資料:農林水産省ホームページ)。
何を食べるのはOKで、何を食べるのがNGなのかは価値観や立場で変わる。しかし、どのようなものであっても必要なものだけを残さずに食べるという意識が大切なことに変わりはない。今、目の前にある食べ物が本当に必要なものなのかも考えた上で、無駄にせず大切に食べていきたい。
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