犬肉を食べることは残酷なことなのか?
韓国だけではない「犬食文化」
韓国で犬肉を食べることの是非が社会問題になっている。文在寅大統領が9月27日の金富謙首相らとの定例会合の中で、これまで食文化として根付いてきた『犬肉食』を禁じる法制定について「検討する時が来た」と発言したのがきっかけだ。
これまで犬肉食に対して反対をして来た動物愛護団体や愛犬家たちからは歓迎の声が上がる一方で、伝統的な食文化に対する冒涜であると批判する人たちも少なくなく、海外も巻き込んで議論が交わされている。
韓国では古くから犬肉を食べる文化がある。「補身湯(ボシンタン)」というスープ料理には欠かせない滋養食で、夏になると暑気払いとして食べる習慣もあるが、1988年のソウルオリンピックや2002年の日韓サッカーワールドカップなど、国際的なイベントを契機に海外にも韓国の犬食文化が知られるようになり、国内外から批判が集まるようになっていった。
犬食イコール韓国というイメージが強いが、中国やベトナムなどでも犬食文化はあり、中でも中国は世界一の犬肉食大国である。現在、世界で食用に殺される犬は年間2000万~3000万頭とされているが、そのうち1000万頭は中国で処理されている(参考記事:ニューズウィーク 2018年7月6日)。そして、中国でも犬食文化に関しては意見が分かれている。
日本ではイルカ食に対する批判も
日本では鯨肉を食べる文化が古くからあるが、外国からの批判に晒されることが少なくない。静岡や和歌山、沖縄などでは今でもイルカ肉を食する文化があり、動物愛護団体や社会活動団体からの批判や妨害も日常的に行われている。
イルカ食は日本だけではなく、デンマーク領フェロー諸島も有名だ。9月12日には史上最大規模とされるイルカ漁で1400頭以上が殺され、批判の声が上がっている(参考記事:BBC NEWS 2021年9月15日)。また、2009年に公開された映画『ザ・コーヴ(The Cove)』でイルカの追い込み漁が批判的に取り上げられたことも、世界的なイルカ漁批判に繋がっている背景がある。
いずれも、知的レベルが高いイルカを食するのは野蛮であるという批判や、追い込み漁の手法も残酷であるという批判が中心となるが、イルカは水族館などで愛されている存在であることや、1964年から放送され世界的にもヒットしたテレビドラマ『Flipper(わんぱくフリッパー)』でイルカが知的で可愛らしい描き方をされたことも大きいだろう。
異なる文化に対する拒否反応
韓国や中国で犬を食べることへの批判は、「犬を食べるのは可哀想」という論拠に依るところが大きい。古くから愛玩動物としても私たちの生活に密接な関係にあった犬を食べるとは何事か、ということだ。現在、韓国では空前のペットブームになっていることも批判が高まる理由の一つだろう。
しかし、その一方で古くから犬食を文化習慣として来た人たちもいれば、犬食料理を出す飲食店や、食用犬を飼育販売している生産者もいる。韓国の犬肉農家からすれば、犬は愛玩動物ではなくて牛や豚と同じ家畜であり、犬肉の消費の冷え込みによって生活が苦しくなっている農家も少なくない。
犬食に反対する韓国の人たちへのインタビューなどを見ると「犬は可愛いのに食べるのは残酷」「犬は人間にとって家族のようなもの」と反対している人が多かった。私たち日本人は犬を食べないが、おそらく同様の感想を持つ人が大半だろう。
では牛や豚ではどうだろう。犬は食べないが牛や豚は食べるという人が多いのではないだろうか。しかし犬も牛も同じ動物、命であることに変わりはなく、犬が可哀想で牛は可哀想ではないという論理はいささか合理性に欠ける。
この違いが生じる理由は、私たち日本人にとって犬は愛玩動物であり、牛や豚は家畜であると古くから認識しているからだ。しかし、韓国では犬を家畜と認識している人がいる。逆に競走馬の馬主などは馬肉を食べない人が多い。絶滅危惧種の保護などの観点以外では、食肉の是非は文化や立場の違いに依るところがほとんどなのだ。
動物のみならず野菜や果物の植物も含めて、私たち人間をはじめとする全ての生物は他の生物の生命を食べて生きている。ペットだから可哀想とか、賢いから殺してはいけないという、自分とは異なる風習や文化への感情的な否定ではなく、異文化の存在や背景を踏まえ認めた上で、その一歩先の議論が成されることを期待したい。