脚本家・矢島弘一の仕事論「そこに愛はあるか」~矢島弘一×倉重公太朗対談~第2回
倉重:矢島さんが演劇など、チーム作りにおいては何か意識されていることはありますか?
矢島:いや、もう愛しかないでしょう。
倉重:愛ですか。
矢島:それしかありません。先ほども言ったように、僕は会社をM&Aで手放しました。M&Aで売れたとはいえ、僕は個人的には、つぶした、一つの会社をなくしたと思っているのです。
倉重:ある意味ではそうでしょうね。
矢島:今、この劇団員の子たちにはそうなってほしくないし、そうしてはいけないと思っています。お金の規模などは全然違いますが、やはりこの人たちへの愛しかないという感じです。
倉重:それは自分だけではなく、ある意味では人の人生も背負ってますよね。
矢島:それもあります。一つのファミリーですよね。
倉重:慕って付いてきてくれるわけですから、当然「こいつらに報いてやらなくては」というのがありますよね。
矢島:もちろん、当然そうですね。
倉重:それがやはり自分が好きで情熱を掛けられるものなら。実際に親の代から引き継いだ運送業と、自分で選択してなった脚本家や劇団だと、やはり違いますか?
矢島:違うといえば違うでしょうね。今までは劇団をずっと1人や2~3人でやっていましたから、本当に劇団を増やしたのは去年なのです。増やそうと思ったのは、少し変な話になってしまいますが、僕は会社もそうだったし、あとは親ともあまりいい関係を築けませんでした。やはり、親の代から継いで、会社にいろいろありましたから。父親とは今後会えるかというと、僕は会えるか分かりません。
倉重:自分の代で終わらせてしまったという。
矢島:そういったこともあるし、何かいろいろ思うこともあります。育ててもらった感謝はありますが、父親に対しては本当にいろいろな、許せないところもたくさんあるのです。もちろん感謝はしていますが、それとこれとは違います。
倉重:複雑ですね。
矢島:本当にこの血というのは面倒くさいところもあります。そのときに、自分の家庭はあったとしても、ある意味でもう一つの家族が欲しいと思ったこともあったのです。
あとは、僕個人はおかげさまで賞を取ったりドラマを書いたりして、それなりにお仕事も頂いて、もちろんこれからどうなるかは分かりませんが、ある程度のことはやれそうな感じがしています。それこそ、この世界の神様からは「やっていいよ」という許可を得たような気はするのです。そのときに、この劇団で一緒に今までやってきたやつらを何とかしたいという気持ちと、やはり劇団を立ち上げたことが僕の原点なので、これをどのように大きくして著名なものにするかが、脚本家でどれほど売れようが僕の一番根底にあるものなのです。
倉重:では矢島さん自身が有名になって、ということではないのですね。
矢島:そういったことはもう関係ありません。劇団が有名になってこそ僕がこれをやった意味があると思っています。これは皆さんもあまり知らず、意外だと言われるのですが、僕がどれほどドラマで視聴率を取っても有名な本を書いても、それが舞台に来てくれることにはつながりません。日本のエンタメは劇団とテレビが別物なのです。
倉重:完全に分かれてしまっているのですね。
矢島:映画もそうですが、全く重ならないのです。ですから、向田を取った後も『コウノドリ』を書いた後も、一般の人の集客は増えませんでした。友達は増えましたが。
倉重:ああ、なるほど。
矢島:それこそ倉重さんも「では友達を連れてくるよ」と釣りやすいでしょう。
倉重:確かに言いやすいし、紹介しやすくなりました。
矢島:『コウノドリ』を書いた人だから、賞を取った人だからと言えますから。それが、今までは1人の友達だったものが、「『コウノドリ』好きだったので、私も呼んでいいですか」と。SNSに上げれば、「私、このドラマが好きだったので行きたいです」と来るのです。友達に関しては増えるのですが、悲しいことに一般の視聴者が来るということはまずありません。
倉重:そういうものなのですね。
矢島:そうなったときに、やはり劇団が大きくならなくてはいけないと、これは個では無理だと思ったのです。
倉重:チームとしてですね。
矢島:はい、チームでいこうと切り替えて、去年劇団員を増やしました。
倉重:では、これからどういった戦略で大きくしていこうと思っていますか?
矢島:戦略的なものでいうと、まずやはり作品はとにかく打ち続けなくてはいけないと思います。
倉重:先ほどもう再来年のものも書いてあるとおっしゃっていましたが、それぐらい先のことを見据えてやっているのですね。
矢島:あとは、どうすればこの劇団がバズるかというのは未知数なので、これから探っていかなくてはいけないと思っています。
倉重:日本において劇団だけでやっていくというのは、やはりなかなか、劇団四季ぐらいではないかなどとよくいわれたりすると思うのですが、結構大変なことですよね。
矢島:正直に言うと、劇団だけで食わせてやろうとは思っていないです。それは食わせられない、厳しいでしょう。当然のように、その公演を見たプロデューサーなり監督なり局の関係者なりに目を留めてもらって、そこでまた次はテレビや映画に呼んでもらえるような役者になってもらいたいと思います。僕は、場所は提供できるけれども、そこを勝ち取るのは本人の実力です。
倉重:今はマハロを台座にして、そこから上がっていくなり別のことをやるなり、つなげてもらえればと。また戻ってきてもいいと。
矢島:そう思います。
倉重:そういった場をつくろうとされているのですね。
矢島:もちろんそれはあります。あとは自分がドラマを書いたときに、僕が最先端というか、マネジャーよりも先に関係者と会っているので、自分がこの脚本の中にこの役者を入れたいのだということを言えます。
倉重:もうそういったことも言えるのですか。
矢島:そうですね。現状はそういったことが少しずつ起きているので、やっている価値はあると思います。
倉重:では、東京マハロに所属しているということ自体がプラスになるような、お金の面だけではなく機会を提供されるというメリットがあるのですね。
矢島:機会は与えられますね。
倉重:そういう意味では強いですね。けれどもやはり、僕の友達でも俳優をやっている人はいますが、俳優に限らず、特に30代になってくると自分の夢をどこまで追っていくのかと、現実を見ていったん就職しようかなどと思う人もいると思います。もしかすると「矢島さんはたまたま賞を取ったからうまくいったのだろう」などと言う人もいるのではないでしょうか。そういった夢と現実の折り合いをどのように考えますか。
矢島:才能がない人はないですから、僕はとっととやめたほうがいいと思います。
倉重:少しでも迷うぐらいなら、ということでしょうか。
矢島:いや、迷うというか、己を知っていないと駄目でしょう。どの仕事もそうかもしれませんが、役者は自分がどういった役者でどのようなことにたけているか、声の質なり舞台上での立ち居振る舞いなり、何でもいいから、とにかく自分がどのような役者なのかを知らないやつが多過ぎると思います。
倉重:自分の強みを知れと。
矢島:強みなり弱みなり。だから、すぐに着飾るというか舞台上で格好を付けます。それこそ先ほどのさらけ出すではありませんが、さらけ出せないのです。やはり自分のことを知らない役者は今後どのようにしていくのだろうと思います。
倉重:今のはすごくどのような仕事にも当てはまる話です。個人事業主としてやっていく人や起業する人でもそうですが、おまえは何が強みなのかと、何が好きでやっているのかというのは、本来はどういった職種でも持っていないといけない話です。
矢島:そうだと思います。
倉重:けれども、そういったことに自分自身で気付くのはなかなか難しくはないですか? 矢島さんの場合は結構言ってあげるのですか?
矢島:もちろん「あなたはこういう人だから、こういうお芝居が得意だよ」なり、「飲んでいる姿のほうがよっぽどキュートだよ。だから、それが舞台上で出たらいいんじゃない?」なり。簡単にいえば、電話で声が変わる人など、そういうことではないと思いますから。
倉重:1オクターブ声が高くなる人ですね。
矢島:そうではなくて、舞台の板の上やカメラの前で営業はしなくていいわけです。
倉重:なるほど。着飾るなと。
矢島:それはいつもみんなに言いますね。
倉重:やはり見ていて分かるのですか。
矢島:当然のように分かるでしょうね。
倉重:何かさらけ出していないなということが。
矢島:さらけ出していないことや目的がないという……
倉重:目的ですか?
矢島:自分自身の目的もそうですが、役者としての目的など、何をやりたいのかも分からないと、深いところになってくると見えてくるのです。
倉重:演じているとそこまで滲み出てくるものですか。
矢島:それはそうでしょう。当然、どんな仕事でもそうではないですか。
倉重:確かに、何のためにこの仕事をやっているのだろうと、これも本当にどのような仕事にも当てはまると思います。また「では、あなたはなぜこの仕事をしているのですか」という目的を聞かれて、ぱっと答えられる人のほうがむしろ少ないのではないかと思います。
矢島:確かにそうかもしれませんね。
倉重:やりたいことが見つからないなどと。僕も「あなたはたまたまうまくいったからでしょう」と言われたりすることもありますし、矢島さんも言われるのではないかと思うのです。そのような人に対して、どういった気付きを与えてあげられるでしょう。与えてあげるというとおこがましいですけれども。
矢島:難しいですね。好きなことを見つけろといっても、それは……。
倉重:「おまえはたまたまうまくいっているのだろう」と。
矢島:そういう人に何を言えばいいのでしょう。別にこれは人格否定ではなくて、そういう人は……。
倉重:その人の人生があるのでアドバイスというのは難しいと思いますが、結局それは矢島さんがどのような思いで今まで歩いてきたかという話だと思います。例えば、脚本をやっていて賞を取る前でも不安なときは全くなかったですか?
矢島:1回、やめようというか、劇団をやって今年で12年ですが、8年目の時に、あと2年、10年たつまでに、自分の劇団以外で他から声が掛からなかったらやめようと思いました。
倉重:他からの声というのは、矢島さんの脚本を使わせてくださいというようなことですか。
矢島:そうです。ドラマなり舞台なりの脚本を書いてくださいと。今までは自分のオナニーでやっているわけですから、自己満のようなものでできるわけです。
倉重:それはできますよね。
矢島:それはできても、あと2年後に他から声が掛からなかったらやめようと思ったのです。
倉重:他者から評価されなかったら、ということですね。
矢島:そのやめようと思った作品で声が掛かりました。ですから、覚悟というのは大事だと思いました。
倉重:そう覚悟したのは、何かきっかけがあったのですか?
矢島:踏ん切りを一回付けようと思ったのです。やめはしないけれども運送屋にきちんと力を入れようかと思っていました。
倉重:それでは、今は運送業のほうに本腰を入れていたかもしれないわけですから、結構瀬戸際だったのですね。それは人生が随分違います。やはり覚悟すると変わりますか?
矢島:分かりませんが、何かが変わったのでしょうね。
倉重:それこそ、さらけ出すではないですけれども。
矢島:もしかするとね。
倉重:それは何の作品の時ですか?
矢島:『エリカな人々』を下北でやったときです。
倉重:やはりそれまではオナニーだと言われるときもあったのですか?
矢島:自己満足とは言われていませんが、やっていることがそうでしょう。
倉重:そもそもが。
矢島:僕たちのやっていることはそもそもそうです。あとは来ている人が友達なので悪くは言いません。
倉重:言いにくいのですね。
矢島:応援されているのです。
倉重:「矢島さん、頑張れ」と。
矢島:僕は応援されるのが一番嫌いなのです。応援は本当に難しくて、応援されるというのは、まだ評価されていないということです。
倉重:その裏返しになりますか。
矢島:「まあいいよ。あいつの作品、なかなか頑張っているから行ってやろうよ」ではなくて、純粋に「矢島さんはいつやるのですか?」と、こちらが宣伝しなくても「あ、やるみたい。チケットを取らなきゃ!」というふうにならなければいけません。
倉重:単純に面白いから見たいから行くわけですね。
矢島:そうです。そういったことに気付いたのではないでしょうか。
倉重:なるほど。最初はみんな友達だけが来てくれていて。
矢島:応援ですよ。ですから、僕は「応援して」と言うのは大嫌いです。
倉重:けれども、よくそういった宣伝を見ることがあります。
矢島:「ぜひ応援してください」という。当然、友達に例えば「今回はちょっとゴールデンウィークが厳しそうだからもう一人誰か追加で呼んで」というのはありますが……。
倉重:いろいろな人からメッセージが来ますね。
矢島:けれども、僕は基本的に面白くないのなら来なくてもいいというスタンスなので、無理して来ないでと思っています。
倉重:内容勝負ということですね。
矢島:評価ですから、それは仕方がないのです。
倉重:僕は見せていただいていて、やはり舞台はそこでしかできない表現や、生の人間でなければできないという熱量がすごいじゃありませんか。僕も矢島さんとお会いするまでは小劇場へ見に行ったことはなかったのですが、やはりテレビとももちろん違いますし、映画とも全然違うのですよね。
矢島:違いますね。
倉重:そういった意味では見に行く人が増えるといいとは思っています。けれども、それほど矢島さん自身がドラマで有名になっても変わらないものなのですね。
矢島:全然変わらないです。
倉重:そこが意外でした。
矢島:悔しいけれども変わらないです。映画でも、年間の興行収入ベスト1から5は全部ディズニーかアニメかジブリか『天気の子』かという、本当の人間を描いたものはなかなか評価されません。どうしても、評価はされているけれども、やはり一般の人たちに届くのは興行収入のランキングなのです。
倉重:矢島さんは、映画の話などは来ていないのですか?
矢島:やりますよ。
倉重:やるのですか。何かは言えないけれども。
矢島:もう企画はあります。
倉重:楽しみですね。また上映ツアーをしなければなりません。
矢島:ぜひお願いします。
倉重:話は戻しますが、チームという観点で組織作りについてお伺いします。好きなことをやるときのチームは愛を持ってつくっていくという話が先ほどありましたが、当然ぶつかるときもありませんか?
矢島:劇団の中で、ですか?
倉重:はい。
矢島:ぶつかるときはあります。けんかのようなことはありませんが、それはあります。
倉重:自分の「もっとこうしてほしいのに」などというときにはどうしますか?
矢島:愛を持って接するのではないですか。
倉重:愛を持って諭す。
矢島:はい。何でもそうです。いやらしいというか変な話ですが、まずこの作品に対しては僕が一番愛を持っているし、あとはこの役をやってもらいたくてあなたを選んでいるわけだし、この役については僕が一番分かっているのであってと、そこに対してこんこんと説明します。それこそが愛ではないでしょうか。
倉重:どれだけ手間を掛けても分かってもらえるように説明するのは、確かに愛ですね。面倒くさかったらできません。
矢島:そうです。そういったことは心掛けています。
倉重:では、あまり衝突したり、本当にこちらの思いが伝わらなくていらいらしたりといったことはないのですか。
矢島:それは当然あります。本番が始まってからでも、このようになってしまったかといったことはたくさんありますが、それはそれで仕方のないことです。役者は役者でいろいろなものを考えてやっているので、パーフェクトなものはなかなか難しいです。
倉重:そうでしょうね。けれども根底にあるのは愛ということですか。
矢島:そうですね。
倉重:その思いがあると、きっと例えば本番後の駄目出しなどをされても言い方などが違うでしょうね。
矢島:常に笑いながらみんなでやっています。
倉重:そういった感じなのですね。
矢島:本当に怒るときには怒りますけれども。
倉重:それはきちんとした理由があるときなのでしょう。では多少笑いが取れるように意識してやっているのですか。
矢島:当然チームとして。僕は舞台のときは1カ月間の会社だと思っているのです。
倉重:一つのプロジェクトチームですね。
矢島:はい。そのようにつくっています。
倉重:当然雰囲気は良くないといけませんね。
矢島:興行収入があるのです。チケット代は5千円くらい取るので、実際にそこでお金がかかります。無料イベントではなく、本当にきちんとしたお金が生まれるのだから、それはもう完全に一つの会社でしょう。
倉重:普通のビジネスをうまくいかせようということと同じ話なのですね。やはり愛ですね。
矢島:僕はね(笑)。
倉重:やはり結局は自分が好きだからそこまでできるのでしょうね。
矢島:当然そうですよ。
倉重:どういった仕事でもそうですが、それがなくては。
矢島:そうですね。
【対談協力】
矢島弘一(やじま こういち)
劇団東京マハロ主宰・脚本家・演出家
2006年11月劇団「東京マハロ」旗揚げ。
「毒島ゆり子のせきらら日記」で全話の脚本を務め、第35回向田邦子賞を受賞。
関係者から“女性の気持ちを描ける男性劇作家”として注目を集めている。
これまで劇団公演にて描いてきた作品には、不妊治療や震災直後の被災地、いじめ問題に性同一性障害など現代社会が目を背けてはならないテーマが多く、さらにはコメディ作品にもチャレンジして脚本の幅を広げている。
テレビ初作品となったNHK Eテレ「ふるカフェ系ハルさんの休日」は現在も脚本を手掛けているほか、2017年5月スタートのNTV深夜ドラマ「残酷な観客たち」では、第1話、第2話の監督も務めた。
同年秋にはTBS金曜ドラマ「コウノドリ〜命についてのすべてのこと〜」の脚本も担当。