比ミンダナオ危機でトランプ、プーチン両大統領と渡り合うドゥテルテ大統領:『君主論』の3点から読む
5月半ばに始まった、フィリピン・ミンダナオ島のマラウィ周辺でのイスラーム過激派との衝突は、長期化の様相を呈しています。
フィリピン軍は6月20日、「週内の戦闘終結」を目指し、過激派が占拠するマラウィ市への猛攻を開始。しかし、わずか3日後には「戦闘が長引く」という見込みを示唆しました。
ミンダナオ危機が長期化の様相を呈する一方、これは同国のドゥテルテ大統領にとって、対テロ戦争だけでなく、自らの権力基盤という文脈においても、大きな節目になるとみられます。ドゥテルテ大統領は「ミンダナオ危機」をめぐり、米国やロシアといった大国とだけでなく、国民や軍隊との関係でも、微妙な舵取りを迫られているといえるのです。
その様子を、「権力者のあり様」を指南した、マキアヴェリの『君主論』であげられた論点のうちの3つのポイントに絞ってみていきます。
『君主論』の3つのポイント
まず、有名ではありますが、『君主論』について簡単に紹介します。
イタリア人ニッコロ・マキアヴェリ(1469-1527)が1513年に著した『君主論』は、君主の心得を記したものです。その特徴は、「元来人間は父親が殺されたことはすぐ忘れても、相続財産をなくした方はなかなか忘れない(第17章)」という表現にみられるように、利己的な人間像と、それに基づく政治の現実を見据えたものであることです。マキアヴェリによると、「…注意しなければならないのは、人間はなでてもらうか叩きつぶされるか、そのどちらかでなければならぬということである(第3章)」。
その徹底した現実直視に基づく、計略や暴力を正当化する議論は、「強い国家」を作るためとはいえ、キリスト教会などから『悪魔の書』と忌み嫌われました。その一方で、フランシス・ベーコン(1561-1626)のように、宗教的、規範的な価値観から解放された「科学的」なものと評価する哲学者もあります。
『君主論』の論点は多岐に渡りますが、ここでは以下の3点をあげたいと思います(手元にある1967年の角川文庫版の翻訳が、やや読みづらいかもしれないので、多少の補足をしてある)。
「自力での勝利」にこだわるべし
「さればこそ賢君は…おのが手勢を頼りにしており、他人の軍勢で勝つよりも手勢でぶつかって敗ける方がはるかにいい、加勢の力で勝ったところで本当の勝ち戦ではないのだと考えていたものなのである(第13章)」
権力者たるもの役者以上の演技派たるべし
「…肝心なのは、(約束を守らず、信義に違えるなどの)そういう本性を手際よくごまかし、水際立った芝居達者のとぼけ上手になりすますことである(第18章)」
自分の立場に欠かせない者には満足を与えるべし
「とにもかくにも(軍勢など)諸君が身を保つのに必要だと考えるものが腐りきっているときには、その一般の気分に順応して相手を満足させてやるがいい、もとよりそういう時には(腐敗を正そうとするといった)善い行いゆえに諸君が危害を被ることになるからである(第19章)」
ドゥテルテ大統領は米軍に支援を頼んだか?
以上の3点に沿って、ミンダナオ危機におけるドゥテルテ大統領の言動をみていきます。そこで特に注目すべきは、6月11日の記者会見です。
6月10日、在フィリピン・米国大使館は、米軍の特殊部隊がミンダナオ島でフィリピン軍を支援していると発表。これに関連して、米国防省も治安支援の他、諜報、監視、偵察の分野での支援を明らかにしています。
しかし、11日の記者会見で、これを問われたドゥテルテ大統領は「米軍に支援を要請していない」と強調。さらに「彼らが到着するまで知らなかった」と答えました。
ドゥテルテ発言を『君主論』から読む
実際にドゥテルテ氏が「知らなかった」かどうかは定かでありません。いずれにせよ、この反応は、控えめに言ってもそっけないものです。なぜ、ドゥテルテ氏は米国の支援にここまで冷淡な態度を示すのでしょうか。
また、米軍の活動をドゥテルテ大統領が知らなかったということがあり得るのかという疑問もあります。仮に「知っていた」なら、ドゥテルテ氏はウソをついたことになりますが、だとするとそれはなぜでしょうか。
その一方で、万一、本当に「知らなかった」場合、ドゥテルテ氏は自分を「飛ばして」米軍に支援を要請したフィリピン軍の責任を追及してもおかしくないですが、その様子がみられないのはなぜでしょうか。
これらの疑問を、先述の3つのポイントから読んでいきます。
加勢による勝利は勝利でない
まず、「『自力での勝利』にこだわるべし」から。
マキアヴェリはローマ法皇クレメンス七世がローマの北約400キロにあるフェラーラを攻め落とそうとした時、自らの傭兵隊だけでは不安があったためにイスパニア王フェルナンドに加勢してもらったことを引き合いに、以下のように述べています。「かような軍勢は軍勢として役に立ち、よいものでもあろうが、これを招いた者にとっては十中八九まで有害である。それというのも、敗北すれば再起の望みはなく、勝てばその軍勢の虜になるのが落ちだからである(第13章)」。
つまり、眼前の敵を倒すために、力のある者の手を借りれば、例えその目標が達成されたとしても、その加勢してくれた者の手中に収まることになる、というのです。そのうえでマキアヴェリは自らの軍勢の強化こそが欠かせないと説きます。
この観点からドゥテルテ大統領の冷淡な態度を振り返ると、そこには「自らの力でイスラーム過激派を掃討すること」への執着をみてとれます。これは、ドゥテルテ大統領の米国に対する不信感とロシアへの接近を背景にします。
フィリピンを取り巻く米ロ関係
フィリピンはかつて米国の植民地で、独立後も両国は緊密な関係を維持してきました。しかし、2016年に就任したドゥテルテ大統領のもと、国内の麻薬組織に対する「超法規的な処刑」を含む鎮圧が進むにつれ、これらを「人権侵害」と批判したオバマ政権と対立。そのため、2016年10月にドゥテルテ氏はオバマ氏に向かって「地獄へ落ちろ」と悪態をついたうえ、中ロへの接近を公言するようになったのです。
その翌11月、米国は2万6000丁の自動小銃のフィリピンへの売却を停止。これは「人権に関して問題のある政府には武器を提供しない」という国内法に基づく対応でしたが、結果的に両国関係はさらに悪化したことは、言うまでもありません。
しかし、これと並行して、フィリピンはロシアと、主に軍事分野で急速に接近し始めたのです。2016年11月、ロシア政府はフィリピン政府に2万6000丁の自動小銃の売却を申し出ました。さらに、2017年1月には両国海軍の合同演習が初めて実施されています。
中ロが台頭する現在、フィリピンを含む多くの開発途上国にとって「海外スポンサー候補」は西側諸国だけではないため、その「売り手市場」としての発言力が相対的に向上しています。一方、ロシアの立場からすると、フィリピンと米国の関係がギクシャクするのは、米中が角を突き合わせる南シナ海一帯に割って入るのに、願ってもない好機です。
「加勢に頼らない」意思表示
これを受けて、トランプ政権の誕生後、両国間の関係には好転の兆しもみられました。2017年4月、トランプ氏はドゥテルテ氏と電話で会談した際、その「超法規的な処刑」を賞賛し、さらに「自分とよく似ている」と評したと伝えられています(これらは米国内では物議をかもしている)。
とはいえ、トランプ政権の誕生後も、米国は基本的にドゥテルテ政権に対する支援を制限しています。実際、ミンダナオ危機でも、米軍は戦闘で協力する一方、兵器は提供していません。そのため、ドゥテルテ氏にしてみれば、トランプ氏の電話も、「リップサービスに過ぎない」と受け止められるかもしれません。
いずれにせよ、ドゥテルテ大統領はロシアに接近することで、フィリピン軍の強化を進めようとしています。5月23日、ドゥテルテ氏はロシアを訪問し、プーチン大統領に兵器の提供を要請。ドゥテルテ氏によると、「我々には近代的な兵器が必要だ」。これを受けて、6月8日には両国政府間で兵器提供に関する協議が進行していることが明らかなりました。ここからは、トランプ、プーチン両氏を秤にかけ、「直接支援する」という前者より、「兵器を提供する」という後者に傾く姿勢がうかがえます。
フィリピンの歴史と、昨今の関係を振り返れば、イスラーム過激派の掃討作戦で米国の加勢を得ることは、ドゥテルテ大統領にとって、再び米国がフィリピンに影響力を伸ばす契機になりかねないものです。この観点からすれば、ドゥテルテ氏が「兵器の提供」にこだわり、これに応じるロシア(その一方で直接的な支援はおくびにも出さない)と接近することは、不思議ではないのです。プーチン大統領が「より踏み込んだ」支援を提示しないことは、相手のニーズを踏まえることが、現状において得策だという判断があるからでしょう。
こうしてみたとき、ドゥテルテ氏の「知らなかった」発言には、マキアヴェリのいう「加勢の力で勝ったところで本当の勝ち戦ではない」という考察との類似性をみてとることができるのです。
芝居達者でとぼけ上手であるべし
ただし、一般論でいえば、軍隊が外国軍隊に支援を要請する時に、最高責任者の承認を経ないことは考えにくいといえます。仮にドゥテルテ氏が米軍の支援を知っていた場合、彼はなぜ「知らなかった」ととぼける必要があったのでしょうか。
これを、第2のポイント「権力者たるもの役者以上の演技派たるべし」から考えると、そこには大きく二つの理由が考えられます。
第一に、先述の内容にも重複しますが、米国との関係において「強気」を崩さないためです。ドゥテルテ氏が米軍の支援を知っていた場合、どちらの発案であったとしても、「支援を求めた」と認めることは、今後の米国との関係でフィリピンの立場を著しく弱めることになります。それはドゥテルテ氏が求める「独立性」を後退させるものです。つまり、「フィリピン軍が勝手に支援を求めた」というストーリーにすることで、ドゥテルテ大統領は米国に「弱み」をみせないようにしているといえます。
第二に、米軍の関与を受け入れていたとなれば、それは国内政治の文脈においても、ドゥテルテ氏にとって大きなダメージになります。
麻薬組織が横行するフィリピンで、それに対して「断固たる」処置で臨み、それを批判する米国とも対峙するドゥテルテ大統領は、フィリピンの多くの人々の根底にある「強いリーダー」への渇望をすくい上げることで支持を集めてきました。その一方で、冷戦時代、フィリピンにはアジア最大の米軍基地がおかれ、沖縄と同様に米兵による犯罪が横行。そのため、国民の間には反米感情が根深くしみついています。
国内政治の観点からみれば、米国に対するドゥテルテ氏の「強気」は、支持を集めるうえで、いわば合理的でさえあります(もちろん、国内政治において「合理的」なことが、国家間関係においては「不合理」になることは珍しくない)。しかし、それゆえに、「窮地において結局米国を頼った」となれば、期待が大きかっただけに、支持者が急速に離れることも予想されます。
仮に「知っていた」としても、これら二つの理由から、ドゥテルテ氏は知らなかったふりを演じ続けて、「差し迫った脅威」であるイスラーム過激派との戦闘を続けるしかないといえるでしょう。それはとりわけ、第2の理由においていえることです。マキアヴェリによると、「元来、人間はすこぶるもって単純、かつまたさしあたっての必要にはすこぶるもって従順なのだから、だます方はいつでもだまされ放題の相手を見つけることになるだろう(第18章)」。
「役に立つ者」をくさらせたり、恥をかかせたりしないこと
最後に、「自分の立場に欠かせない者には満足を与えるべし」について。
さっきとは逆に、ドゥテルテ氏が米軍の支援を本当に知らなかった場合を想定してみます。つまり、国家の最高責任者を飛ばして、フィリピン軍が米軍に支援を要請した場合です。これは本来、ドゥテルテ氏にとって決して認められないものであるはずです。
しかし、ドゥテルテ氏は6月11日の会見で、軍が直接支援を要請したかには言及せず、「我々の兵士が親米的であることは否定できない」と述べるにとどめました。仮にドゥテルテ氏が米軍の支援を知らなかった場合、この発言は自らの方針と異なる軍の行動を、大統領がある程度容認すると言ったに等しいものと理解できます。
一般に開発途上国の政府にとって軍隊は、支配の柱であると同時に、その影響力の大きさゆえに「目の上のタンコブ」にもなりやすい存在です。政府の腐敗や専断に軍隊がクーデタを起こすことも珍しくないため、国家の正規軍以外に、支配者個人や支配集団に直接忠誠を誓う軍事組織をもつ国さえあります(サウジの国家警備隊、イランの革命防衛隊など)。
フィリピンの場合、国民に根深い反米感情があるのと対照的に、長い米国との同盟関係を背景に、兵士なかでも将校以上の高級軍人ほど、留学や演習を通じて米軍に親近感をもつ者も少なくありません。そのため、フィリピン軍の側にロシアとの関係に傾く大統領への警戒感があることは、容易に想像されます。
それはドゥテルテ氏からすれば、決して面白くないことでしょう。かといって、麻薬組織の撲滅やイスラーム過激派の掃討の中心で、支配の柱でもある軍隊を、くさらせたり、反発させたりするのは、得策ではありません。だとすれば、仮にフィリピン軍が「現場の判断」で自分を飛ばしたとしても、ドゥテルテ氏が(将来的にはともかく)即座に責任者を処分したりしないことは、不思議ではありません。マキアヴェリによると、「ただ一つ用心しなければならないのは、誰によらず自分が使っている者ども、ならびにおのが側近に仕えて君国のために犬馬の労をいとわない者どもにはひどい危害を加えないということである(第19章)」。
ドゥテルテイズムは完遂するか
こうしてみたとき、ミンダナオ危機においてドゥテルテ大統領は、ただイスラーム過激派と対峙しているだけでなく、米ロとの関係や、それぞれに希望が異なる国民と軍隊のかじ取りなどにも目を配っているといえます。人権侵害と紙一重ともいえる戒厳令の導入など、その手法に賛否はあるものの、そこにフィリピンという小国が独立性を回復するとともに秩序を維持することへの、飽くなき野心あるいは熱意があることは確かです。
マキアヴェリの『君主論』は、小国に分断されたイタリア半島が、それにつけ込んだフランスやスペインに蹂躙される状況で著されました。最終章でマキアヴェリは、新君主に対して、外国人の手からイタリアを取り戻すことを進言しています。『君主論』は「強い国家」を生み、独立性を回復することを最大の目的にしていたといえます。ここに、ドゥテルテイズムとも呼ぶべき、ドゥテルテ大統領の行動パターンとの共通項があるといえるでしょう。
ただし、強引なまでの手段を辞さない場合、手続きを重視する場合以上に、結果が問われることになりがちです。マキアヴェリがいうように、人々が長期的展望や深慮に欠けているとしても、やはりマキアヴェリが指摘するように、損得勘定に長けていることは確かです。現在のフィリピンは、ドゥテルテ氏の方針が奏功して秩序を回復するのが早いか、プロセスや成果に対する不満から国民あるいは軍隊が離反するのが早いかのレースが、展開されています。ドゥテルテイズムが完遂するかは、今しばらくの注視が必要といえるでしょう。